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カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか

日本の教育行政はそもそも何を目的としているのか

1

俺の友人がこんなことを述べた。

<試験に絶対出る教育問題>
以下の問題に答えよ。制限時間なし
.
1 欧米に日本のような予備校や塾はない。
  なぜ日本ではダブルスクール化が進んでいるのか。
2 社会に出て必要な「法律」も「経済」も教科にないのはなぜか。
3 「受験」と「教育」と「学問」の違いについて述べよ。
4 「受験秀才」とは揶揄か褒め言葉か。その理由も述べよ。

俺は以下のように返答した。

2

1については実際のところそうなんですか? 何かデータと言うか根拠ありますか? 仮に本当だとしたら、
1-1 日本の学校は思想の左右を越えて「学校は『実直な精神』を刷り込むところである」という前提があり、知識を得るところだという合意がそもそもなく、知識を得ることだけを目的とした塾の需要が喚起された。
ということじゃないかな。
日本の文部省と日教組は日本国内で最も仲の悪いイデオロギー集団で、文部省は日教組を疲弊させるために教員を雑用でいっぱいいっぱいにさせる政策を長年とってきたので、教員が教育にエネルギーをほとんど残していない状況があり、知的教育については塾が代替するという傾向は55年以降はあったかなと思います。
上記問題を解決する一番簡単な方法は、発展途上国的官庁であるところの文部科学省を解体することもしくは文部科学省による学校干渉を全面禁止にすることであります。アメリカの教育もけっこう糞だがアメリカの教育の方が日本よりマシなところはアメリカには文部省がない点だとはよく言われるところであります。
とはいえ塾は戦前から日本では盛況でありますから、知識を公教育だけからではなく民間産業から得ようとするのは「日本の文化」かもしれません。それへの評価は色々だけど。
戦前から塾産業が盛況なのは、日本の「学歴」が「科挙」の伝統を踏襲しているので、「科挙」は私塾が教育するのが常態だったから、公教育のほうがむしろ東アジア教育歴史においてイレギュラーだったという見方もできます。
科挙」の伝統は日本には実際のところなかったので(中国韓国と、この点が日本は違う。)日本においては知識を得るというのは、私塾の「寺子屋」と、「お旦那が芸事を学ぶ」という二つの伝統だけがあり、私塾は日本の伝統に沿い、公教育は靖国神社信仰と同じ程度の普及度合いしかないのではないかという見方もできます。伝統としての長さも似たようなもの。立身出世の手段としての学問というのは明治期から現代に至る比較的最近の、歴史の浅い風潮であります。
日本においては明治期から90年代くらいまでが例外的に学問による立身出世並びに学問によって世界に肩を並べるのが国益に適うという価値観が共有されていた時代で、1920-1945並びに2010年代以降は「日本は身分制国家であり身分を固定することが政策の第一義である、それが日本の伝統である。ついでに言うと日本は欧米や中国みたいには知性を尊敬なんぞしていない。知性は『お旦那』の手遊びであり社会を動かすのは血統である」というのが「日本の伝統」主力価値観となっているというのが俺の感覚であります。
知力を以て世界と伍すという発想があったら安倍晋三が総理大臣になんてならない。
日本の教育行政は、高卒以上の学歴者を殺害したポルポト政権の政策が精神的に近似していると昔から思っているんだが、どうなんだろうね。あと思想統制の歴史伝統をガッツリ持っているロシア・ソビエトの教育政策とも近似しているんじゃないかなあと最近思うけどそっちはポルポト以上に知らないので、どうなんだろうね。
 [2015/11/08 21:41]http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20151108/1446985451へ続く。

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