カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「アドレナリン酔い」とか私的創作論とかペドファイルとか無邪気とか

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20160309/1457531964 の続き。
1;アドレナリンがだぷだぷ分泌されたと感じた翌日翌々日は、二日酔いのような感覚になる。言ってみるなら「アドレナリン酔い」みたいな。鬱っぽい感じが朝からずっと続く。
乳酸でも溜まるのか、体の芯に凝りが感じられ、この状態が続くと胃腸の具合が悪くなる。
俺は最近は相当マシになったが、以前はいつも下痢をしていた。
アドレナリン分泌は「闘争か逃走か」な状態に体がセッティングされた状態なのだそうだ。自分の母親の声を聴き母親の足音を聞くだけで「闘争か逃走か」状態になる生活を思春期前期頃からずっと続けていて50歳近い今もそうだというのは、幸せな状態ではない。
老母相手以外でも明らかな不正義が目の前でツッコミ抜きのボケ倒しな状況に遭遇すると、アドレナリンがだぷだぷ分泌され脈拍が上がり、というのはしばしばあった。たとえば河口湖漁業組合を相手にしたときとか。
2;で、俺はこの老母への感情を処理する必要があった。
「アドレナリン酔い」な状態はフラッシュバック的にしょっちゅう起きる。で、「アドレナリン酔い」しているときは読書しようとしても、目が滑って、本の内容が全然読み取れない。
俺は書痴だが、「アドレナリン酔い」することが多すぎるのと、「良書」に遭うのが遅すぎたことや、色々不幸な偶然から、読書が全然自分の人生の役に立っていない。
3;「アドレナリン酔い」しまくりな感情を処理するために、創作という方法が俺には必要だった。
老母からしつっこく受ける理不尽な要求は、そのまま書いても他者の共感を得ることはできない。あの理不尽を、不特定多数に理解可能な「物語」に変換する必要がある。
読者にとって「読みやすく」するために主人公は美少女としよう、我が老母からの理不尽な要求は実親からの性要求ということにしよう。
4;と、理性的に図式化できたのは、衝動(創作衝動という以上にペドファイルな性衝動)を優先して描き続けた後だった。衝動を作品化し、作品化することでアートセラピーし、衝動へ一定の距離感をもって接し、という相互作用を繰り返した後だった。
衝動の根源は、老母から俺への理不尽な要求、彼我の区別を全く欠いた老母の病理的な言動が俺の中で反作用的に醸したものだ。
セクシュアルなオタク文化を「無邪気」に非難誹謗している性嫌悪諸氏は、その無邪気さゆえに、自分の息子をペドファイルや凶悪犯罪者へとたやすく育てる。我が老母の「無邪気」さを疑う者は俺を含め彼女の周囲に誰もいない。「無邪気」と害悪や狂気や悪魔性はたやすく両立し、「無邪気」は善や無謬や愛情や正義を全く意味しない。
セクシュアルなオタク文化を「無邪気」に非難誹謗している性嫌悪諸氏は、その無意識下まで抑圧した性衝動、嫌悪という形にまで変質した汝の「変態性欲」(汝はそのことを死んでも認めまい、病理的意味で)を以て汝の息子へ充分過干渉するがいい。運が悪ければ俺程度のペドファイルになるか、運が良ければ日本史上屈指の大量殺人犯になる。確実に。

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