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カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか

学歴貴族を目指すのが当然とする価値観との我が町の違和感

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県庁から出向の副町長は、「なぜ県庁から出向?」「専門でない観光の枠で?」という疑問がモニョモニョあって本人も所在無い感じらしいが、法人化観光連盟会長が自分の政治力を全部賭けて出向させたという観測もありその辺はよく判らない。ただ副町長は発言だけ素直に受け取ると比較的年齢の近い俺を評価しているっぽいので、先日、直接に副町長室で少しの時間面談した。観光行政関係でいくつか提言したがどの程度ピンときてもらったかは判らない。ていうか少しもピンと来ていないとは思う。提言のお返しに観光と環境関係で面白い情報を得たが、使いようがあるかどうかは判らない。
その県庁出向副町長の講演会が商工会であった。観光に関する講演という演目だった。
演目と講演内容は、まあいいんだけど。
副町長が「挨拶回り」的に町内複数の集落に行った際、教育に関する質問が全然なかったのが副町長としてはちょっとショッキングだったらしい。

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この副町長は典型的「学歴貴族」だ。山梨の田舎出身だが、学歴貴族にならんとして勉強し、早稲田法学部を卒業し、司法試験にしくじり、山梨県庁で妥協し、その後自治省などに出向し、という経歴だ。
山梨県は二地域に分かれる。甲府を中心とした「国中」と、山岳で断絶している「郡内」とに。
「国中」は、ごく粗く言うと、中央線沿線最西端だ。電車が中央線に繋がっていることを所与とし違和感も感じない。勉学して「学歴貴族」になって中央線の先へ行き立身出世して戻ってきて故郷に錦を飾る、というのが違和感ない人生設計だ。
「郡内」は学歴貴族的発想からは断絶している。例外的に学歴貴族化できた個人は地元に戻らない。学歴貴族化は裕福な家での次男以下への遺産分けのオマケであり、裕福でない家には鼻から関係のない話だ。たぶん。学歴貴族輩出に成功した一族は数世代スクリーニングにより地元からは消える。
3世代くらいのスクリーニングが済んでいるので、もう我が村に残っているのは、「学歴貴族」なんて選択肢がこの世にあることすら知らないドカタと、学歴と無関係な観光業自営業者と、正体は学歴貴族だけど村は単なる「避暑」場所で村住民と何の交流もない人、の3種に大別できて、最後の人は戸籍が村にあっても血縁があっても実際問題村住民とは全く関わらないのでここではカウントから故意に外す。
よって村にはドカタと旧地主観光業者の二種人類しか存在しない。
前者は学歴を必要としない。
後者も学歴を必要としない。
よって我が町我が村では学歴とは親と本人の道楽として見なされ、結果として偶々学歴貴族になるケースはあるが、それは予期せぬボーナスを得ただけとしてカウントされる。
我が老母的価値観・低学歴的価値観だと(我が老母が狂人二歩手前であることはいったんカッコにくくり、我が村的価値観の半数的には)、半端に学歴を得ようとするのは、たいして美人でもなく演技力もないくせに女優になろうとしてしくじって水商売に入るのとだいたい等価だ(中学高校までなぜかその道へ進めと社会が圧力かけることだけが少し違う。成功事例は見える範囲には存在しない。見える範囲で一番の成功事例は町役場と教員。)。それよりは村に忠誠を誓い村の消防団員として人生の数十年を奉仕することが重要で、これが村の下士官以下的価値観となる。学歴を下手に付けようとするのは、地主の子供が手習いをするのとほぼ等価だ。

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我が村で大卒になるとこうなるという事例 → http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20160319/1458400385 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20160410/1460294542

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