カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

バリ島へ行ってきた

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年末年始は我が観光業はほぼ一週間満室が続いた。
その最終日である1月5日(日)発、1月11日(土)帰還、のスケジュールで、妻と娘とバリ島へ行った。
このスケジュールは妻が決めたが、ちょっと無理があった。1月11日は土曜なので我が宿泊施設は満室だ。正確には少し空室が残っていたがこれ以上客を取らないよう予約サイトを設定して出かけた。
1月10日(金)に日本に戻り、我が宿泊施設の準備を1月11日(土)の午前中に行う方が順当だった。
昨年は老父の死後なので旅行は地味目だったので、妻の憂さを晴らすことをメインの目的として、少し無理目のスケジュールとなった。
このスケジュールに老母は不満を表明した。金曜日帰宅が順当だ、という。そのこと自体は妥当な意見だ。
だが、老母の不満の裏側には、いつも老母抜きで旅行していることもあると感じた。老父が生きていればともかく、老母一人で留守番というのはたしかに心細いものもあるだろうし、常に老母抜きで旅行しているというのはちょっと不自然感がある。
とはいえ、老母と一緒に連泊旅行というのは、俺も精神的に無理だが、妻も精神的に無理だ。正直言って、老母の顔を見ない時間が欲しくて連泊旅行しているからだ。老母を乗せて長時間自動車運転するだけでストレスで俺も死にそうになるし、妻も死にそうになる。
妻と相談した。来年は、鳩バスのような旅行で、老母を含め1泊くらいの旅行をしよう。「いつも老母抜きで旅行しやがって」という老母の不満を解消させる必要がある。また老母とは一度も旅行しなかった、と、娘に記憶させるのは宜しくない。鳩バスのような旅行なら、車中の老母の錯乱で運転事故起こす可能性もなく、どうにか俺と妻の精神も耐えるだろう。
老母連れの旅行では全く休息にならないので、老母接待の1泊旅行という「仕事」を終えたら、妻は娘と妻の妹夫妻とで何泊かどこかへ旅行してリフレッシュしてもらうこととしよう。
という来年の旅行計画を決めた上で、出発した。
1月4日(土)の夜のうちに成田まで公共交通機関で行って、前泊して、11(土)も公共交通機関で戻る方が楽かな、と調べたが、4日(土)の高速バスが満席でその計画は頓挫した。また4日より5日のほうが道路が空いているようなので、5日朝、家を発った。
ガルーダ空港で往復した。直行便で片道約7時間かかる。バリ島へ行った後現地ガイドの方から聞いたところ、フィリピン空港乗り換えのほうが楽で安かったらしい。もしも次回があればそうしよう。
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1/5から1/8まではVILLA AILへ宿泊した。趣味の良いコテージ型のホテルだ。
https://www.villaairbali.jp/
バリ島は赤道に近いので、気候は夏だ。おととし行った同じ時期のハワイはもっと肌寒い感じがあった。バリ島の空気は湿気が多い。ハワイの空気はもっと乾燥していた。
バリ島の1月は雨期だそうだ。現地ガイドさんによるとベストシーズンは6月だそうだ。雨季と言っても長時間の雨は降らない。特に滞在中は早朝にスコールのような雨が2時間弱降った程度で、ずっと晴天だった。俺たちは運が良い。
ハワイはアメリカの一部なので物価が高かった。日本は貧乏になったんだなあ、とハワイでは感じた。ハワイでは同時期に日本人客はほとんど見なかった。
バリ島はインドネシアなので物価は安い。現地民の一か月の収入は3万円ほどだそうだ。バリ島では日本の貧乏感を覚えることはなかった。バリ島には日本人客は少しはいた。
1/6から現地ガイドさんが運転するタクシーで移動した。現地ガイドさんは20年間ほど日本の水道工事関係で働いていた方だそうだ。日本へ働きに行ったのは水道工事会社社長とバリ島のサーファー仲間だったのがきっかけだったという。日本在住時に日本の漫才番組で日本語を覚えたそうだ。奥さんは日本人だそうだ。
バリ島には公共料金の自動引き落としサービスがなく、その点が日本での生活より不便だそうだ。
逆に公共料金自動引き落としサービスを実施する銀行があったらバリ島で老後生活する金持ちが増えると思うんだが、どうなんだろうね。
なお、旅行中、白人の姿が多かった。観光客も多いが住んでいる人も多いそうだ。ロシア人、フランス人、イタリア人、韓国人が多いそうだ。
バリ島は自動車交通量が多くバイクが多く、日本とは運転マナーがだいぶ違ってウィンカーをあまり点滅させない。日本と同じく右ハンドル車道左側だとはしばらく気づかなかった。
1/6はケチャを見た。バリ島についてはケチャしか俺は知らず、ケチャを見に行ったと言ってもいい。ケチャは中学生頃音楽の授業で聴いて「なんだこれは」と感じ、一度見たいと思っていた。
ケチャは現地舞踊を1930年代にドイツ人の提案で改変し観光用舞踊として発展したものなので、想像していた以上に観光用だった。
ただ衣装とメイクに萩尾望都テイストを感じたのは個人的発見だった。萩尾望都はたぶん『百億の昼千億の夜』執筆時頃にインドネシアヒンドゥー衣装やメイクをだいぶ参考にしたのだろうと想像する。
ケチャはたしかウルワツ寺院で見たが、予定より早く着いたので、ざっくりと寺院を見た後、ケチャが始まるまでの間、寺院境内のお茶屋さん的なところでわりと長い時間ガイドさんと話しして、ガイドさんの波乱な半生を聞けたのは良かった。
ケチャも雨天だと中止になって見れないことがあるそうなので、ずっと晴天が続いて幸運だった。
1/7はモンキーフォレストへ行った。ここも寺院だそうで、寺院のお参りもした。我が娘は「けものフレンズ」教育の結果動物好きに育っているのでオナガザルたちをずいぶん喜んだ。
モンキーフォレストの中に橋が2か所あったが、どちらも猿のトイレらしくて、猿のおしっこや糞の臭いがした。特に石造りの橋は手すりがあるのだが、その手すりに糞がしてあって、妻に手すりに触らないよう注意した。
その後は、棚田を見に行った。棚田で娘と有名なブランコをしたが、記念撮影時、手を放して後ろを見て、と現地の撮影者に言われたが、いやいやいや、この高所でそれは無理。無理やり後ろを見ようとして、頭に血が上って貧血起こしそうになった。
 こういうブランコ→ http://blog.livedoor.jp/balichili/archives/52100085.html 
1/8はバリ・サファリへ行った。オランウータンと記念撮影した。ゾウに乗って園内を回った。ここのショーは動物を使った本格的なものだけど、サーカスの動物ショー的な感じがしてそれが気になった。
ここまでで力尽きたので、以上投稿する。
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