カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

聴講先が冬休みになった

聴講先が冬休みになった。ので今週は聴講に行っていない。
聴講しなくなったら、知的刺激がなくなって、「なろう」小説ばかり読むようになった。教養書を読もうという気力が湧かない。知的能力が衰えているというか、鬱症状が緩く再発しているというか。
聴講に行っていないと、朝から晩まで、正気ではない老母から理不尽な罵りを受けるばかりだ。俺が仕事をしていようがいまいが。
田舎での俺の環境は、知識や知性とは縁遠い。社会とも断絶している。
幼少期から青年期にかけて、俺はマンガばかり読んでいた。ここでの生活と俺とは相性が悪い。その状況を再現している。
幼少期青年期とは違うのは、50歳前後のあたりから、自分の脳味噌の働き、思考力のうちとくに先々のことを考える力がずるずると衰えているところだ。以前、自分には少しあると思った未来予測能力のセンスは、今の俺にはない。年齢的衰えと、社会と全く関わっていないことと、双方によると思われる。
聴講先までは自動車で片道1時間半弱かかる。自動車の運転ができる年齢の間は、できるだけ聴講を継続させないと、脳の衰えがかなり早く酷いことになりそうだ。脳を使うと長生きするとコリン・ウィルソンが書いていたのを覚えている。さほど長生きしたくはないが、娘が大学卒業するくらいまで俺があまりバカにならないよう、あまり娘に間違ったことを言わないよう、知的刺激を受けるようにしておきたいと思う。
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ルビ(ふりがな)が少ねえよ

俺はマンガを大量に読んでマンガのルビ(ふりがな)で漢字を覚えた世代なのだが、小学1年生の娘に本を与えようと思ったりコミック(漫画単行本)を与えようと思っても、フリガナのついている児童書・マンガが存外少なくて、どういうことやねん、次世代読者作るつもりないのか、と、感じる。
たとえば手塚治虫『ユニコ』を買い与えようと思ったが、フリガナがないので娘一人では読めない。
手塚治虫鉄腕アトム』にもフリガナがない。小学校低学年じゃ読めねえよ。
児童書『宇宙・地球いのちのはじまり』(理論社)にも、フリガナがあったりなかったり。この本の場合、推奨年齢が小学校中学年以上なんだろうが、全部ルビふれよ。どういう制限やねん。小学校低学年は読むなっちゅうんか。
みたいな。
中学生以下が読むことを想定しているマンガや児童書は総ルビ付・フリガナ付にするべきだと思うがどうか。
日本の小学校国語教育・漢字教育能力を過信しているのだろうか。過信できるほど能力高いとは思えないのだが。
http://kamayan.hatenablog.com/entry/20090414/1239655178
http://kamayan.hatenablog.com/entry/20090425/1240591589
http://kamayan.hatenablog.com/entry/20090426/1240674689
フリガナさえ振ってあれば、俺の娘もyoutube見る時間が減ってマンガや児童書読む時間が増えて将来のマンガ読者人口も増えると思うので、早急にこれはどうにかしてほしい。

ユニコ 特装版 (上下巻セット)

ユニコ 特装版 (上下巻セット)

なお、児童書『宇宙・地球いのちのはじまり』(理論社)は娘に買い与えるつもりではなくて、今聴講している大学の地球科学のスライドに出てきたので自分が読むつもりで購入した。大学生が読むんならルビ少なくて良いけどさ。想定読者小中学生でしょ。
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キャラクターメイキングとしての自画像

抗うつ剤は今でも飲んでいるが、症状が緩和したので、教養書もそれなりの量最近読んでいる。教養書を読む時間が増えると「なろう小説」や「ふたばちゃんねる」を読む時間が減る。悪いことではないだろう。「なろう」も「ふたば」も現実逃避と憂さ晴らしで読んでいる理由が大きいのだから。
ところで6月頃いったん憑き物が落ちた件を以前書いた。それについて少し書きおく。
6月に以前の大家兼友人宅へ泊ったとき、生前の老父のことと絡めそれまでの自分の半生を思い返してみた。
考えてみると老父は俺に強制をしたことがほとんどなかった。

1

我が家業がキャンプ場と釣り船屋をしていた頃、老父とよくボート運びの作業をした。
老母の俺への命令は昔から理不尽だったが、老父は理不尽な命令はほとんどしたことがなかった。
俺の進路について、老父は特に何も言わなかった。アドバイスも何もしなかったが、足を引っ張るようなことも特になかった。
学部選択に悩んでいた時、法学部を老父は提案した。それを聞いて俺は法律学向けじゃないから行くとしたら政治学科かな、と思った。
俺は生まれた時から僻地の自営業で生きて世界が狭く、ポンコツで手間ばかりかかる家業で児童労働させられる時間が長く、老母は当時たぶん更年期障害で毎日ヒステリー起こして理不尽な事ばかり俺に要求していた。世界が狭いのは俺もだが老母の世界の狭さはむしろ盲目的になろうという衝動が暴れていて俺はそれにつきあわされていた。
俺は当時老母の理不尽に従順に従っていたが、俺が学部選択に悩んでいるとき、老母は唐突に「弁護士になればどうか」と俺に言った。今思うに老父の言う「法学部」から老母が理解できた職業がそれだけだったのだろうと思う。
俺には弁護士という職業がイメージできなかった。
ポンコツで手間ばかりかかる家業で理不尽な児童労働をさせられていて、そのポンコツな家業を継ぐ責任を無駄に押し付けられ続け、周囲に大卒経験者がほとんどいなかったこともあり、俺は当時老母への反感が溜まっていたのでその提案を拒絶した。
なお老母は学部選択に悩んでいた俺に、「偉くなるな」と「政治にかかわるな」という要求をした。この二つの呪い*1は老父のいない時に俺に要求した老母の本心であり、法学部政治学科に進むという選択肢は俺の中から消えた。
以上の件は以前、書き方は違うがブログに書いたことがある。
俺の中でこの時のエピソードやその後のことを考え直すと、父は俺の進路に対して特に何も要求しなかった、と解せる。放任ともいう。俺の好きにさせたのだから良い父親だったと言える。老母の狂乱な過干渉を放置していたこと以外は。
老母は卑怯だから狂乱な過干渉を老父に見せていなかったかもしれないし、老父自身が優しい姉3人を持っていたから「女の人に任せておけば大丈夫」と信じていたようにも思う。父はその場を盛り上げたり人の手助けをしたりするのは得意だったが、我の強いところはなく、中年期の病気(肝炎)もあって商売のことも子育てのことも老母に任せていたというよりは老母の下僕のような感じだった。
父と俺はタイプがだいぶ違っていたので、父は俺の扱いに困っていたところがあるだろう。父はスポーツ万能、勉強それなり、人付き合い上手、というタイプで、俺は勉強はできたが運動音痴で人嫌いで本ばかり読んでいた。本は教養を指導してくれる存在がいなかったことと老母の無駄な制限の悪魔合体の結果、マンガとオカルト本と大衆SFとアニメ誌ばかり読んでいた。当時の田舎のオタクにはありがちな読書傾向ではある。

2

で、俺の半生を、RPG的に「どういうキャラクターメイキングを生まれる前にしたか」という視点で考えてみた。
基礎ステータスを、Aを最上、Eを最低として、大雑把にこんな感じにキャラメイクしたと思う。
■知力A~B 
まあ田舎のおっさんになって恥知らずになったんで、ちと過去の自分をうぬぼれて自己評価高めに申告させてくれや。
ただし知的環境は15歳までほぼ最低水準。12歳ころまで知識の吸収源を学研の「ひみつシリーズ」に限定された。文化的環境は一切なく塾もなく中学の教員の能力が低かったので英語力はゼロになった。
15歳ごろまで「頭が良い」という言葉は俺に対する憎悪の言葉・侮蔑語だった。19歳ごろでも侮蔑語として家族から使われた。
18歳以降知的訓練をできる環境になるよう予定してキャラメイクした。ただ19歳の時老母の狂乱な過干渉のために鬱状態になって知的訓練を放棄してしまった。
知的訓練を放棄してもその後それなりに社会で他人から認められたのだから、素の知力はそう悪くはなかったのだろう。知的訓練をしっかりすれば知的スキルをたくさん得ることができ、レベルアップできただろう。レベルアップを繰り返せる条件は後で考えると存在した。レベルアップしないまま過ごした。残念なことだ。
50歳前後になったあたりで鬱症状もあってここ数年知力は衰えている感がある。知力と一口で言っても色々あるね。
■体力C~D ただし8歳ころから12歳ころまで肝炎によりデブとなり運動能力ゼロとなった。デブで運動音痴なため自己評価がかなり下がった。これはアクシデントだ。肝炎は死んでもおかしくなかった病気だから死ななかったことは幸運だ。それ以降は人並み。
■闘争心E~B- 暴力的闘争心は25歳ころまで最低レベルEだった。中年期に政治的闘争心がレベルアップした。B-くらいまで
■芸術センスC+~B- ただし文化的環境は18歳ころまでほぼ最低だった。そのため音楽スキルゼロ。小学校時代は絵を描く授業が当時ずいぶん多かったのと、マンガ好きだったことから画力スキルは+1~2程度。現役エロ漫画家していた時点で少しレベルアップして+2から3程度。文章力スキルはここ数年衰えてきたが画力よりは才能あったと思うので+4程度。人に説明する能力は少しボーナスがつく。ついた。かつては。今はレベルダウンしている。社会から隔絶して生活していたことと文化素養がないことからプロット作成スキルゼロ。
■総合運A 
0歳から11歳ころまでは祖母祖父の愛情を受けた。このため情緒の根底が正常になる。
4歳から15歳までの同級生運は最低。人嫌いになる。キャラメイクの時にはもう1週ほど早く生まれる予定だった。そうすればもっと穏やかな環境だった。俺が1歳まで暮らしていた「離れ」には似た年代の穏やかな男子が数人いたので、キャラメイキング時点ではその数人とは生涯近所づきあいする予定だったのだが、1歳の時に父母が村から隔絶した僻地で事業を始めそこで生活するようになり、村との人的交流が俺はほぼゼロとなった。これはキャラメイキング時に予想していなかったアクシデントだ。
16歳から18歳までの同級生運は普通。
19歳以降の友人運対人運は俺は振り返ると物凄く恵まれていた。
順当にいけば、俺は後輩が紹介してくれた大手アニメ会社に就職し、後年になって気づいたがどうも俺に淡い好意を持ってくれていたらしい前述とは別な後輩とたぶん結婚し、田舎の家業は接客業に向いた妹2号に継いでもらえば、これが一番自然な流れだった。そうなったとしても老父はそれなりに喜んでくれただろう。
それ以外にも他の後輩から仕事の誘いが2度ほどあったし、オタク向けの書店の店長にならないかという誘いがあったし、香港で漫画の仕事をしないかという誘いもあったし、塾でも正社員の誘いがあったし、大手出版社で書籍を発表しないかという誘いもあったし、田舎に帰らないでそれなりにしっかりした生活をするチャンスがいくつもあった。俺は19歳の夏に家業で、というか老母から豚のような扱いを受け自己評価が豚以下になっていたので、それらのチャンスを全部棒に振った。
愛郷心E 故郷には何の愛情も愛着もない。友人もいない。文化もない。家業にも愛着がない。老母には恨みが募るばかりで同居していることが鬱の原因である。19歳以降故郷に帰らないことをキャラメイキングの時想定していたのだろう。
■財運B
上記のように出鱈目で幸運をどぶに捨てまくったが、運よく、現在は人並みの収入、人並みより少し上の収入になっている。生活は退屈と不愉快で死にそうだが。
順当な別な人生を歩んでいてもほぼ同じくらいの収入になれた可能性がある。退屈で死にそうということはたぶんなかったと思う。
■名誉運C+
知的訓練していないエロ漫画家という立場から表現規制反対運動というミームを作れたのだから、別な人生ではもう少し名誉のある何かに達せただろうな、とか思う。
塾講師としては人気のある塾講師だったから、まともに勉強していれば、最低限でもそこそこ条件の良い高校の教師くらいにはなれただろうな、とも思う。条件の良い高校教師なら教養書の何冊かを発表することもできただろう。注目を浴びる才能はそれなりにあったと思うし、前述のように説明能力はそれなりに高かったと思う。
ただし今生活している田舎ではなにしろろくに対人関係結べないし結ぶ気力もわかないのでレベルダウンして名誉運D-くらい。
■塾講師としての才能A
■漫画家としての才能C~C-
■観光業自営業者としての才能C-~D

3

順当な別な人生を俺が歩むことの方が老父のむしろ願いだっただろうな、とか、思った。
といった感じで「生まれる前に予定していたキャラクターメイキング」を考えてみたら、憑き物が落ちた。
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*1:あと一つ、「彼女を作るな」という要求もあった。我が老母は酷い毒親だ。他二つはともかくとして「偉くなるな」と言って大学に送り出すバカ親がどこにいる。ここにいた。俺の老母だ。俺の娘が生まれて初めて老母が抱いた時にも「偉くなるな」と呪いの言葉を俺の娘に吐きやがった。

9月から11月にかけての、昔の友人関係

1;塾講師時代の同僚が8月末に逝去した。突然の心不全だったそうだ。
彼は俺より10歳以上若かったはずだから、40歳前くらいだったろう。
塾が上海に進出し、上海の校舎で働き、上海の宿舎に帰宅後急逝、という感じだったようだ。
塾時代の同僚からその連絡があり、9月後半に東京で通夜が行われたので参列した。
2;塾講師時代最後の年に担当した女生徒が、バイト先の友人たちと、10月20日頃、当施設に一泊した。一流大学の法学部3年生になっていた。
彼女は中学受験終了直後、一度当施設に来てくれたことがある。
俺という人間が何人かにとって心に残る講師であったことを嬉しく思う。あれはあれで俺にとって天職だったんだなとか思う。
ところで10月20日って平日(日曜)なのにやけに宿泊客が多かったが、都民の日かなんかだったんだろうか。
3;たしか6月か7月頃、昔、漫画家時代に仲良くしていた友人に連絡を取った。
彼はアニメの世界に進んでいたが、進ませた元凶は俺だ。俺は彼に謝罪をしなくてはならないという感情が凄く強くなっていた。鬱病による情緒不安だろう。連絡を取った上で、謝罪の気持ちもあって、彼にお布施的な献金をした。
彼はアニメの世界で順当に立身し、今年から監督業をなさっていたそうだ。
秋になったら時間ができるから、その頃一度会おう、という話を彼からしてもらった。
11月になって、彼から電話が来た。彼のほうは仕事が一息ついて時間が取れるようになったそうだが、俺は鬱病緩和のための大学授業聴講をできるだけ休みたくないので、とりあえずまた時間が合うまで先延ばしにしよう、という話になった。
12月のうちに会いに行けないかと俺は俺で日程確認したが、どうも年内に会うのは無理なようだ。
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近況、9月から11月にかけて

近況
1;9月の台風の影響
9月21日頃に台風が来た。台風17号だったかな。
雨量が多かった。雨量がたいへん多く、その後、台風18号19号の影響でさらに雨が降り、河口湖の水位が上昇し、テントサイトが水没した。
水位がなかなか下がらないため、11月13日頃までテントサイト閉鎖した。
2;鬱症状について
観光協会長を辞めさせてもらったので、だいぶ時間的には楽になった。
鬱症状は一進一退。低気圧が近づくと鬱症状が悪化する。
時間的余裕ができたのと、妻の協力があって、10月から地元大学の公開授業を聴講し始めた。鬱症状の緩和にある程度役立っている。「なろう小説」と「ふたばちゃんねる」しか読まない状態から、教養書を読む気力が湧いて何冊か教養書を読める程度には鬱症状緩和効果があった。
最近一週間ほどはアルコールを飲みたくて(飲む予定があって)抗鬱剤飲まないでいるけど、抗鬱剤を飲まないでいると鬱症状が悪化するね。アル中と同じで負の感情のブレーキがゆるゆるになっているというか負の感情のブレーキが壊れている感がある。堪え性がないというか。情緒不安定というか。
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「マンガ図書館Z」から俺のコミックが消えたこと

今年の7月くらいまで、「マンガ図書館Z」に、俺が昔描いた『アニマルファーム』というコミックが掲載されていた。
俺がまだ「人類の敵」だった頃 - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記
マンガ図書館Z」の体制が変わったやら何やらで、9月くらいから、その掲載が終わった。
寂しいなあ、とは思うけど、コミックの寿命で考えると、あれはたしか2000年頃刊行したコミックだったから、20年間くらい経っているから、まあまあ寿命が長かったかな、と思う。
表現規制反対運動」というミームを生むことができたのは幸運だった。そこでの俺の歴史的役割はだいぶ前に終わっていたけど、その余波的なものも俺に関しては終了したんだな、とか思う。
別な世界線でまじめに勉強して論文とか学術的な本をもし書いたとしても、本としての寿命とか読者数とか影響力とかは同じようなものだったろうなあ、とか思う。
論文と違って、ロリエロマンガだから、嫁にも娘にも読ませにくいなあ、ていうか常識人な嫁には読ませられない(嫁の趣味に合わない)なあ、というのが残念と言えば残念。
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2019年夏の我が施設の状況について

1

3月頃から7月頃にかけて、睡眠不足などもあって体調不良が続いた。
脳が痺れるような感覚がずっとあったので、今にして思えば蓄膿症を再発していたかもしれない。
当時は老父がなくなったことによる鬱病の悪化かなあ、とか思っていた。

2

5月の10連休は過去に例がなかったので、宿泊料金を弱気設定にしたが、強気設定にすべきだった。俺の体調は悪かった。

3

当施設のメインの労働力であるおばさまが、5月末から病欠した。入院なさり手術なさるということだ。当施設の戦力は5割減となった。
代わりの労働力が必要なので求人広告を複数回出した。
俺と同じくらいの年齢の男性をバイトとして採用した。夏前の準備のための体力作業、具体的にはボート移動作業にはこの労働力が大変助かった。
掃除能力はあまり高くなくて、8月頭に相互不信となり、以後男手はない状態となった。

4

病欠なさっているおばさまとは別の、掃除メインのおばさまがおばさまの息子の嫁さんをバイトで紹介してくださった。この掃除おばさま含め3人+昨年からの清掃スタッフ1名で、どうにか夏を回した。

5

記録で見ると、今年の7月末から9月にかけての売上は、どうも昨年比1割減、もっと減るかもしれない。
河口湖全体の客の動きはほぼ前年並みなので、地域全体に比べ、当施設の売り上げが落ちている。
ここ3年程、当施設は予想以上に客が来て、売り上げが伸び続けていたが、俺の体力がそれに耐えられなかったし、今年はメインの労働力のおばさま不在でギリギリ回したので、今年くらいの集客で良かった、と、嫁と話している。
当施設の売上が昨年比で落ちているのは、施設のサブタイトルの吸引力ボーナスが終わり、サブタイトルが客に期待させるものに応える力が当施設になかった、と言える。
具体的欠点はいくつも数えることができるが、ここに書くのは愚行であるので、一つずつ解決していこうと思う。

6

体調不良は、6月に休日作って上京した際、家(店)から離れたところで、自分の来し方、どういう人生がありえたか、といったことを今までと違う角度で脳内整理したら、だいぶ収まった。
夏の客も秋の客もおとなしい客ばかりで、前年比1割減、もうちょい減っているかな、そういう客数なので、8月9月の疲労度合いは少ない。このくらいの客数で良い。清掃スタッフを除くと、俺と嫁の実質二人で回すには、我が施設は大きすぎる。定員も来年度からもっと減らしたい。

7

前年晩秋、老父が亡くなる前から我が施設の前の県道拡幅工事の話があり、今年7月から着工になった。
これに関連して我が施設に有利になるよう老母が県議会議員に働きかけたが、老母が興奮すると俺の体調が悪化するという悪いスパイラルがあって、俺のせいで我が施設にとって有利なことを引き出すことに失敗した。
それについてわが嫁は俺を責めないから、わが嫁は人柄が練れている。良き妻であり、娘にとって良き母親だ。
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