カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

安倍晋三と、山口市長選

http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/ 2005.03.08
安倍晋三事務所の策略か? 地元・山口県新下関市長選挙保守系立候補者三つ巴攻防の裏側
●安倍事務所の後ろ盾で4期目を目指す江島潔現市長
 12_349安倍晋三自民党幹事長代理の地元・山口県下関市は、周辺の豊浦郡との合併に伴う市長選挙モードに突入している。〔略〕前回は、安倍代議士が応援する江島現市長の圧勝だった。しかし、今回は当初、江島氏は危ないとも見られていた。原因は、安倍代議士の意向を受けてか、安倍氏がかつて就職していた神戸製鋼が同市の大型公共工事を次々受注するなど、中央政界や大手企業の顔色ばかり伺い、地元本位の政治を行って来なかったことに、市民の間からもさすがに怒りの声が起きているからだ。〔略〕(先週末には、安倍代議士本人がお国入りし、江島氏応援を後援者にお願い)。
 また、地元の新聞の一面記事にアクセスできるようにしておく(『長周新聞』「江島市長の人物像--下関の精神荒廃を促進」2005年2月26日付http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/amerikakijunnosingataningen.htm)が、ここまでボロクソに書かれても、江島市長は何ら反論をしていない(できない)のだ。
〔略〕「裏で安倍事務所が糸を引いたに違いない。かつて元代議士で強力なライバルだった古賀敬章氏が市長選に出馬した際(99年。江島氏が2期目を目指した)、古賀氏は北朝鮮出身で、当選させたら下関は金王朝みたいになるという怪文書が流され、古賀氏は落選した。その後、そうした怪文書依頼を安倍事務所からされたとする暴力団関係者が安倍氏の地元自宅車庫への火炎瓶による放火罪で(広域暴力団工藤会幹部らと逮捕されたが、それは見返りに約束されていた公共工事を安倍事務所が回さなかったためともいわれます」(地元記者)
 当初、これはまったくのデマと見られていたが、最近になり、安倍事務所が出したとされる「念書」の存在、また、安倍事務所の秘書が絵画j購入名目でこの暴力団関係者に300万円支払っていた(さらに要求され、恐喝で訴え逮捕にも)など、不可解な事実が数々判明している。〔略〕

江島潔情報/『長周新聞』「江島市長の人物像--下関の精神荒廃を促進」2005年2月26日付

http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/amerikakijunnosingataningen.htm
 以上のように、〔江島潔は〕人人の想像をこえたタイプの人物であった。どうしてそういう人物があらわれたのか。ある年寄りは「生い立ちにあるんです」と語る。
 生まれ育ちも下関とは無縁だが、江島家は下関の大きな地主で、曾祖父は陸軍司令部の司令長、父親の淳氏は江田島兵学校出身の軍人エリートコースで戦後は国鉄官僚から参議院議員になった。
 江島潔氏の小・中学生の時代は、父親国鉄の領事として赴任したサンフランシスコだった。「日本の大学卒業後にアメリカに留学するといった遅れたやつとは違って、アメリカの小・中学校に行って、後進国の東大を出たのだ」「われこそはアメリカ市民なのだ」といった調子である。
 大地主の金持ち一家で、国鉄官僚から代議士の息子で、アメリカが古里という経歴がその人物をつくったわけである。アメリカに心を置いて、下関を植民地にするためにきたというのがあたっていると思われる。
 下関支配者としてだれもが認めるのは、安倍晋三氏と林芳正氏である。かれらが江島市長の登場と前後して代議士になった。林氏は東大を出たあとハーバード大に留学し、安倍氏もアメリカのよく知られていない大学に行った。ちょうど、レーガンと中曽根の80年代で、「新自由主義規制緩和、市場原理、自由競争」といって、はなばなしく叫びはじめていたときであった。
 江島市長の10年は、これら安倍、林の「代議士の息子3人組」の連携で成り立ってきた。「3代目で店はつぶれる」ということわざがあるが、下関いわんや日本をつぶしてもらっては、たまったものではない。〔略〕  

複数の問題を同時に検討できるわけがない

言葉を正しく用いなければ、正しく思考するのが困難になる。そして言葉や概念は、誰かにより混乱・攪乱がなされている。これは一般に「情報操作」と呼ばれる。もちろん私たちの触れる「情報」は日常的に「操作」されているわけだが*1、その「形式」と「内容」のうち、とくに陳腐でありウンザリするものを取り上げ、晒し、その詐術を解析してみたい。概念攪乱詐術を「呪的闘争」と呼称する。
今回は、いわゆるネット右翼が多用する1行フレーズをとりあげる。

〈言葉の攪乱行為〉  「××の問題はスルーかよ」

〈具体例〉  「ネットウヨと喚くレッテル厨はスルーかよ」
さて、全ての問題を同時に一人の人間が検討できるわけがない。人間が一度に検討できるのは一個のことだ。 複数のことを同時に検討せよと要請するのは、その組み合せ自体に政治的意図・詐欺がある。異なる問題を同時に検討しようとすると、問題はいつまでも焦点化しない。「ネット右翼」と呼称され、侮蔑される人間に共通する態度は、この問題の焦点化を故意に攪乱する「荒らし行為」にある。別な問題それ自体を焦点化したいのならば、自分で焦点化して展開すればいいのだ。他者にそれを要請するだけでストップするのは、「議題を焦点化させない」テクでしかない。もちろん「ネット右翼」と呼称される厨房たちは、「議題を焦点化させない」ことにエネルギーを注いでいる。

「呪的闘争」については、以下のスレを参照のこと。
http://www.din.or.jp/~kamayan/otachan/kotobanokonnran.html
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/535/1039730401/

*1:たとえばテレビからの情報は広告主の意図が濃く反映し、同時に広告主の存在を意識させないようにさせなくてはならない。このような「情報操作」は日常的に存在する。

テレビ朝日とNHKが、世界日報(統一協会)ビジネスの宣伝をするのはなぜだろう?

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050306/1110159091
注釈部分、続き。
1;『冬ソナそっくりさんコンテスト』報道は、NHKとテレビ朝日とで、同一の取材者によるものが「報道」されていた。
2;『冬ソナそっくりさんコンテスト』は、観光地ドラゴンバレーの宣伝報道であり、ドラゴンバレーの所有者は「世界日報統一協会」だ。つまりNHKとテレビ朝日は、世界日報統一協会)のビジネスに加担し、その「宣伝」を行なった、行っていると見るべきだろう。(その後、同じ「報道=宣伝行為」は他の民放でも行われたようだが、カマヤンは確認していない。)
観光地ドラゴンバレーの所有者を示す記事は以下。

週刊アサヒ芸能』2004年8月の記事から。
「ドラマ『冬のソナタ』ロケ地を回るツアーが人気を呼んでいるが、中でも一番の名所が、韓国で最も有名なスキー場がある『龍平リゾート』(ドラゴンバレー)。ドラマでは、ユジンとミニョンが共同で開発した設定になっている。しかし、ここは〈合同結婚式〉や〈霊感商法〉で物議を醸した統一教会世界基督教統一神霊協会)の関連会社、世界日報社の所有地。もともとは、韓国の財閥・双龍グループの系列会社が経営していたが、昨年2月、この会社の株の9割以上を、世界日報社が取得した。日本から韓国に来る〈冬ソナ観光客〉は年末までに20万人と予想され、統一教会にとっては〈冬ソナ特需〉。ドラゴンバレー統一教会の「修練会」が行われている場所でもあり、統一教会とつながりの深い旅行代理店も冬ソナツアーを手掛け、販売も上々、とのこと。」

3;『冬のソナタ』など「韓流ブーム」は、大手広告代理店・電通がしかけた「ブーム」だと囁かれている。「純愛ブーム」を一方で煽り、同時に「凶悪犯罪報道による社会不安喚起」することで、トクをするのは複数存在するだろうが、統一協会はそのひとつだろう。
4;「北朝鮮バッシング」は、「北朝鮮との窓口を統一協会に一本化する」ことが狙いだという声もある。この仮説には説得力を覚える。
以下も参照のこと。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/1274/1080423404/r88-89
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050223/1109190662
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050225/1109331591
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050302/1109722251

誤用されやすい概念;「易しい」「わかりやすい」

〔以下は2003年1月-2月に書いたもの〕
「易しい」「わかりやすい」とは何か、という事柄は、他者の思考モデルをどう想定するか、人間一般の思考モデルをどう想定するか、によって、意見が分かれるだろう。本来、社会科学、とくに教育学が最も集中的に「科学的」に検討し実験を繰返すべき事柄だろうと私は考えるが、どうなんでしょうね。研究成果はあるんだろうけど、カルトで脳味噌の腐った文教族がそれを放置していそうだ。
以下、まず、自説を述べる。
 1;誤読可能性を極力排する[1]。
 2;定義の不明瞭な語を極力排する[2]。
 3;文の中での、修飾・被修飾の論理関係が、極力明晰となるようにする。
 4;馴染みの薄い日常語から外れた概念については、使用時、適宜適切な注釈と出典を明示する[3]。たとえばwebではハイパーテキストリンクを駆使し、概念説明の労力を惜しまない。
 5;より少ない言葉の数で語れるときは、より少ない言葉の数にする。
 6;焦点が明瞭である。

[注釈]
[1] 実践においては、最大限の悪意を込めて誤読しようとしたとき、どう誤読されるか、ということを想定し、自らの文をチェックする。誤読される可能性のある文は、必ず誤読される。
[2] あるいは、中心概念となる言葉の定義をまず明示しておく。言葉は全て「抽象(シンボル)」であり、各人の内面での辞書は、各人の人生経験に従い、各様だ。個々の言葉が示すシンボル内容は、誤読可能性を極力排しておかないと、いたずらに混乱し、結果、何も語られていないのと同じになってしまう。解釈の差は読者の人生経験の差によって生まれるものであり、解釈が多様であること自体は知的活動にとって生産的だ。だが、「解釈が多様」であることと、「混乱していること」は全く別だ。発話者の責任で「混乱」させることを避け、発話者の力量で「多様な解釈」を喚起することを、「わかりやすい」と呼ぶ。
[3] 知的刺激を喚起する言説は、「わかりやすい」。「つまづく」というインテリ方言がある。誤読可能性が強い部分を差す。「つまづき」を回避させる文を、「わかりやすい」と呼ぶ。

ダメな人は、「易しい」「わかりやすい」という言葉を、「粗雑」「単純」「短絡」「幼稚」「貧語(不正確)」、あるいは「情緒的」だと思っている。これらはいずれも誤読を招く要因だ。
あるいは、「わかりやすい」を、「粗野で乱暴な二元論」だと思っている人もけっこういる。
これらは、いずれも誤読可能性を拡大させ、コミュニケーションを不毛化させる。
「易しい」「わかりやすい」を、「粗雑」「単純」「短絡」「幼稚」「貧語(不正確)」、あるいは「情緒的」だと思っている人の思考は、たいがい、粗雑で単純で短絡的で幼稚で浅薄で、しばしば激しく狭量だ。
「粗野で乱暴な二元論」は、粗雑・単純・短絡・幼稚の産物であり、情緒しか喚起せず、 内容的には貧弱で、接続する言説が不毛となりやすい。「粗野で乱暴な二元論」は、「誰が作った枠組なのか」について、思考することを困難にさせ、人を痴呆化・隷従化させる。たちが悪いことに、この摩り替えを故意にやっているヤツがけっこういる。騙されるな。

「言葉の攪乱」への対抗法

日常会話での「混乱」の元は、2つの原因のうちの、どちらかだ。
1;「対象」の明晰な限定を怠る。
2;「判断」を不明瞭にする。

会話している現在の「話題」=「対象」が何であるかを、チェックし直し明晰化する努力を怠ると、会話は混乱する。しばしば、日常会話では、ズルズルと連想的に話題が横滑りしがちなものだ。
だが、事実は何か、正当性は何か、正誤は何か、という会話をしている時は、「話題」(対象)の横滑りは、慎むべきだ。何について議論しているのか話者が忘れてしまったらその議論はムダだ。「対象」は「抽象(シンボル)」であり、ふつう、複合的で多面的だ。
人間は一度に複数のことを同時に思考することはできない。976×698を計算することはさほど難しくない、29×67と51×39をそれぞれ別個に計算することもさほど難しくない。だが29×67と51×39を一度に同時に計算するのは、特殊な訓練を積んでいない限り、ムリだ。
一つ一つ思考すること自体は、そんなに難しいことではない。一度に複数のことを同時に思考しようとしないよう、私たちは心掛けるべきだ。複雑な「対象」は、いくつの事柄が複合しているのか、適切に切り分けた上で、寄り道せず丁寧に思考するべきだ。
「あれが」「それは」などの「指示代名詞+助詞」をあまりに過度に多用すると、「対象」が何であるか不鮮明になりがちだ。適宜、誤読可能性がないかチェックして、誤読可能性があるときは、「指示代名詞」を避け、「対象」の名詞を使用するべきだ。日常会話ではしばしば「指示代名詞+助詞」をすら略しがちだ。これは混乱の元、思考のエラーの元だ。
言葉は全て「抽象(シンボル)」であり、各人の内面の辞書は各人の人生経験によって作られている。話者にとってある概念Aが別のある概念Bと無条件に繋がっているかのように感じるとき、話者はしばしば概念Aから概念Bへ「対象」をスキップさせがちだ。だが概念Aと概念Bが不可分であるかどうかは検討が必要だ。多くの場合、それは分けて考えるべき、別のものだ。複数の概念を同時に思考しようとすると、実際の実力よりずっと劣った思考しかできなくなる。
情緒は、枠組の一つだ。情緒枠組自体は別に悪くない。だが、正誤や正当性という枠組と情緒枠組は別だ。「対象(シンボル)」と情緒はしばしば結びつきがちなものだ。情緒を喚起させられると、「情緒」という複雑な概念と「対象」という複雑な概念を、同時に思考することになりがちだ。結果、実際の実力よりずっと劣った思考しかできなくなる。
日常会話では、助詞の使用法がいいかげんになりがちだ。だが、助詞は数学の四則(+−×÷)に等しい、日本語に論理性を与える重要なものだ。「対象+助詞」と「述語」の関係で日本語は構成される。
  「『対象』が何であるか」
  「『対象』を、『述語』はどう『判断』したのか(修飾・被修飾関係)」
この2つの明晰さを書いた文(会話)は、エラーを起こしやすく、誤読を喚起し、「わかりにくい」。
参照 http://jbbs.livedoor.jp/news/410/storage/1043181168.html

吾妻ひでお『失踪日記』

吾妻ひでお失踪日記』購入、読了。

失踪日記

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