カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

安晋会・杉山敏隆

杉山敏隆・安晋会代表幹事とヒューザーの接点
http://ameblo.jp/tokyufubai/entry-10008179995.html
安晋会の代表幹事は杉山敏隆・ゴールネット社長である〔略〕
ゴールネット株式会社は会社概要の主要取引先に「(株)ヒューザー」を挙げる。ゴールネット株式会社はWebサイト制作を行っており、株式会社ヒューザーのWebサイトも制作した。ゴールネット株式会社のWebサイト「制作実績1」ではヒューザーのWebサイトが紹介されていた。現在は削除されているが、 Googleのキャッシュには残っている(2006年1月19日)。

安晋会代表幹事・杉山敏隆が社長をしているゴールネットの案内↓

http://www.goalnet.co.jp/company/company.html
会社概要【商売繁盛指南のゴールネット株式会社】

商売繁盛指南するほどだからよほど商売繁盛しているのだろう。NTT関連と提携が多いようだ。ミラーサイトっぽいのが以下。

http://www.sns-pro.net/company.html
会社概要 ソーシャルネットワーキングサイトパッケージ

ゴールネットが販売しているもの↓

http://www.venturenow.jp/news/2005/01/17/1000_009009.html
 ゴールネット株式会社(本社:東京都中央区、代表:杉山敏隆)は、個人情報保護法が今年4月施行に向け、従業員向け教育システム「HSMS(ヒューマン・セキュリティ・マネージメント・システム)を開発、販売を開始する。

http://www.venturenow.tv/venturenews/vn20040805-07d.html
 ゴールネット株式会社(本社:東京都中央区、代表:杉山敏隆)は、独自のログ解析ソフト「Log Pro」を開発、それにより実践的なキーワードマーケティングによるプロモーションを提案するサービスを開始すると発表。(2004)

http://www.venturenow.tv/venturenews/vn20020708-04dq.html
 情報処理サービス、Web制作等を手がけているゴールネット株式会社(本社:東京都中央区、代表:杉山敏隆)は、婦人科系の病気が心配な女性達の為のコミュニケーションサイト「ジネコ」を利用したマーケティングサービスを8月から開始すると発表した。(2002)

安倍晋三はなぜか医療関係・厚生関係に利権があるようなのだが、以下のサイトにも杉山 敏隆の名前が登場する。

医歯薬ネット
http://www.ishiyaku.net/news.html
第一回 高齢者住宅建築管理推進協議会(仮称)発起人会 開催報告
2004年1月20日(火)13:00〜16:00 ホテルサンルート東京4F“さつき”の間において開催されました。
事務局より
医療業界は近年、競争の激化、景気低迷による患者離れなど、試練にさらされています。 一方では不動産業界も人口構造の変化(高齢化)や、新規高規格住宅の開発などにより既存物件の空室化や家賃の低下など数多くの問題を抱えています。そこで、医療業界と 不動産業界・建築業界を上げて、 上記の問題に取組みを始めるための協議会設置が重要と考えて、本会を提唱します。〔略〕
出席者の方々(16社・20名)
会社名(五十音順) 役職 氏名(敬称略)
株式会社 大林組 建設事業本部 営業部副部長 多田 幸三
株式会社 川原経営総合センター CS推進部長 大橋 許二
株式会社 クラヤ三星堂 CSセンター 副センター長 藤田 潤
開業支援グループマネージャー 久留田 雅夫
株式会社 クオリティ 代表取締役 白川 享伺
株式会社 ケアマックス 代表取締役 山村 十吉
医療経営アドバイザー 堀越 保
ゴールネット 株式会社 代表取締役社長 杉山 敏隆
社会福祉法人 新町福祉会 理事 野田 篤憲
株式会社 全国賃貸住宅新聞 編集部 花谷 美枝
大宝商事 株式会社 資産運用アドバイザー 室本 政衛
株式会社 なかやま不動産 専務取締役 中山 賢二
有限会社 ベストサービス 代表取締役 高荷 俊洋
株式会社 ベツルス 代表取締役 保坂 真美子
取締役 勢能 正博
村上公認会計士事務所 会計士 村上 眞樹
ユーアンドアイホールディング(株) 代表取締役 斉藤 勲
財団法人 流通システム開発センター 調査部部長 佐藤 聖
株式会社 医歯薬ネット 事務局 代表取締役 森田 健一
営業課長 和田 浩

安晋会の分析には以下のブログも参照されたし http://sensouhantai.blog25.fc2.com/

ぽちっとな 

入試と科挙

入試と科挙

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060123#1137988243《「一斉入試」という、日本特有(東アジア特有)の因習》の続き。
「入試制度」自体が「科挙」の伝統を引いた日本特有(東アジア特有)の因習だ、ということは、鶴見俊輔の『戦時期日本の精神史』で知った。

この入学試験制度というものは、もともとは中国の試験制度を真似て日本でつくられたものです。〔「転向について」16p〕

明治以後、〔略〕すべての学校の頂点に東京帝国大学をおき、何度かにわたる選抜試験を通り抜けさえすれば、国民の誰でもがそこに入学できる望みをもてるものとしました。〔略〕
ロナルド・ドーアが『学歴社会』(1976年、邦訳1978年)で書いているように、日本の政府の役人は、1880年に早くも試験制度によって選ばれるようになっていました。その頃には東京帝国大学法学部の卒業生たちはこの試験を免除されており、履歴のそもそものはじめから官吏として高い役職に登る保証を得ていました。そういう制度は産業にも影響をもちました。1910年までに政府のものではない私企業のきわめて多くが、大学卒業者からのみ新入社員を採るという習慣をもつに至っています。新聞社もまたこの習慣に従うようになりました。この点で日本は、産業革命の発祥の地であるイギリスよりも先進国となりました。〔略〕
日露戦争終結以後に始まった時代以来、日本の官僚、産業界、報道企業の諸領域において、その指導層は大学卒業者によって占められ、その中心は東京帝国大学法学部の卒業生でした。この事情は1931年に始まる十五年戦争の敗北によっても変らず、その後の米軍による日本占領によっても変りませんでした。〔「転向について」17-18p〕

以下は歴史学者山田朗(あきら)先生から教わった知識なのだけど、現在に至る官僚制・キャリア制度(入社・入省時点で出世の限界があらかじめ決まっているアホな制度)は日露戦争後に完成したのだそうだ。
鶴見俊輔は「明治半ばからつくられた〔略〕入学試験制度に基づく身分制度」という言葉を用いている。「キャリア制度」は十五年戦争と敗戦という、これ以上ない亡国を招いたのだが、戦後も相変わらず続き、現在も亡国を招いている。日本人は決して歴史から学ばない。
今朝は今年最大級の大寒波が襲うそうだから、公共交通にも支障が発生するだろうし、過労している受験生は心発作起こしたりすることもあるだろうが、それでも日本行政はこの時期に一斉入試を行なわせ続けるわけですね。この一斉入試制度で成功した人しか行政には携わらないのだから、この制度の不合理性は永続してしまうのかな。その渦中にいるときには、皆が不合理性に憤っていたはずなんだが。

十五年戦争

十五年戦争」という言葉を初めて用いたのは、やはり鶴見俊輔である。以下に引用する。

〔略〕歴史の区分として、私たちはここで第二次世界大戦の始まりを一九三一年に起こった中日戦争の開始と考えます。日本の陸軍指導者が一九三一年に中国の満州で戦闘を起こし、さらに進んでこの地域に日本軍の自由にできる政権を打ち立てたとき、この方法は世界にとって新しいものでした。それはそののちにイタリアのムッソリーニと、ドイツのヒットラーによって真似されました。中国東北地区に一九三一年に始まった中日戦争は、ひとつの新しい傾向の始まりとして、世界全体に影響を与えました。このようにして一九三一年から四五年にかけて日本の、世界にとっての地方史ともいうべき歴史は、日本史と世界史とを二〇世紀においてつなぐひとつの結び目となりました。〔4p〕
〔原注〕
私〔鶴見俊輔〕のこどもの頃、満州事変が始まった、日支事変が始まった、上海事変が始まった、大東亜戦争が始まったというように、ばらばらに、ニュースが伝わってきた。そのために、主観の側からとらえると、それぞれバラバラの戦闘行為がおこったようにうけとってきた。それでは変だと思うようになったのは、敗戦後のことで、ひと続きのものとしてとらえるほうが事実に(私の意識上の事実ではなく)あっていると思うようになった。
そのように考えているところに、小さなことをとり上げて恐縮なのだが、当時の圧倒的ベストセラーとなった遠山茂樹今井清一藤原彰『昭和史』(岩波新書、1955年)の帯に、われわれはわずか三〇年の間に二度の戦争を体験したと書いてあったので、昭和史のとらえかたとしてこれでは困ると思った。この『昭和史』の内容ではなく、帯についての批判を、「日本知識人のアメリカ像」(『中央公論』一九五六年七月号)に書いて、一九三一年から四五年にわたる戦争を一つのものとして名づける方法を現代史にのぞみたいと述べた。
十五年戦争」という呼び名を自分で考えたのは、シグムント・ノイマン(1904-1956年)が三十年戦争という言葉を二つの世界大戦の合間の期間をふくめて使っているのに示唆を受けたからである。「十五年戦争」という言葉は、いくらか使う人がいるようになった。家永三郎『太平洋戦争』(岩波書店、1968年)は、序文に記してあるように、十五年戦争という区切り方をとっている。
なぜ十五年戦争と呼ぶかというと、「日本知識人のアメリカ像」で書いたように、太平洋戦争あるいは大東亜戦争をアメリカに対する戦争とみなして、この部分はまずかったというふうにとらえる戦争観では、この戦争の構造をとらえることができないと思うからだ。これでは、日本人にとっての戦争の責任がぼかされてしまう。
いま調べてみると、「十五年戦争」という言葉をはじめて使ったのは、「知識人の戦争責任」(『中央公論』一九五六年一月号)で、その発想のもとを説明したのが、そのあとの「日本知識人のアメリカ像」(『中央公論』一九五六年七月号)だった。〔10-11p〕

戦時期日本の精神史―1931‐1945年 (岩波現代文庫)
あれ? 『戦時期日本の精神史』、amazonだと文字化けしてる?
ところで、鶴見俊輔の『転向論』が長いこと絶版であるのはどういうことなんだろうか。そろそろ再版してほしい。

ぽちっとな 

戦時期日本の精神史―1931‐1945年 (岩波現代文庫)

戦時期日本の精神史―1931‐1945年 (岩波現代文庫)

太平洋戦争 (岩波現代文庫―学術)

太平洋戦争 (岩波現代文庫―学術)

「入学金」は日本特有の因習

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060123#1137988243《「一斉入試」という、日本特有(東アジア特有)の因習》の続き2つめ。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/wadai/archive/news/2006/02/20060202ddlk45040476000c.html
大学進学調査:家計負担、重い98% 入学費用、平均176万円 /宮崎
 〔略〕回答によると、受験料、受験地への交通費、納付金(入学しなかった大学への納付も含む)、引っ越し代などの入学費用は平均176万2000円(前年161万円)。大学別では国公立が139万5000円、私立が205万2000円だった。〔略〕
毎日新聞 2006年2月2日

という記事を見て、『反社会学講座』の以下の記述を思い出した。

意外と知らない人が多いようなので改めて申し上げますが、ヨーロッパの国立大学では授業料はタダか、徴収しても日本円にして年間数万円くらいの場合が多いのです。授業料を負担するのは学生でも親でもなく、国なのです。ヨーロッパでは私立の大学はほとんどありませんので、結局、ほとんどの学生は授業料を払っていないことになります。
フランスでは、健康診断・学生社会保険料などを含め、年間日本円にして三万数千円ほどを納付金として払うだけです。
ドイツでは大学は国立ではなく州立ですが、授業料がタダという点では変りません。やはり年に二万円弱を払いますが、この費用には、交通機関の無料パスも含まれます。大学生なら、市内の地下鉄・市電・バスの料金まで無料ということです。留学生にもこのパスは発行されるとのことですから、〔略〕定期代の出費だけでもバカにならない日本の学生さんからしてみれば、うらやましく、また、ねたましいかぎりです。〔略〕
授業料がないくせして、なおかつ国の奨学金制度もあります。ヨーロッパでは奨学金は、おもに生活費や本代としての意味合いで支給されるのです(衣食住の費用は日本に比べて安いけど、本は高い)。奨学金のほとんどが授業料に消えてしまい、生活費にまでまわるはずもない日本とはエライ違いです。
しかもヨーロッパの奨学金には貸与ではなく給与のものが多いのです。もらえちゃうわけです。アメリカでも、国がやっているペルグラントなんて奨学金には返済義務がありません。〔179-180p〕
アメリカの大学は日本のようにきっちり授業料を取ります。しかも安くありません。州立の総合大学では四〇万円を超えます(2001年)。授業料だけ見れば日本の国立大学と大差ありませんが、日本には入学金という独自の制度があります。欧米の大学には入学金はありません。〔182p〕

反社会学講座

反社会学講座

なんだって我々はこんなに過剰に金を支払わされ続けにゃならんのだろう、と思う。これらの支出に耐えられる人だけしか行政には携わらないのだから、この制度の不合理性も永続してしまうのかな。あ、もちろん皮肉で書いてます。
ついでに雑学を書いておくと、引越しの時の「礼金」も法的根拠すらない日本の因習だそうだ。
反社会学講座』のweb版はこちら→ http://mazzan.at.infoseek.co.jp/ 

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