カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

日米関係他

日米関係他、以下メモする。

http://asyura2.com/0601/senkyo19/msg/799.html
結論から言うと、アジア諸国間で「対立」が続く事で最も得をするのはアメリカと言う事です。〔略〕
またアジア諸国間の関係が親密になると最も困るのもアメリカです。だから「裏」でアジア諸国の衝突をあおるような事を工作していると私は考えていますし、実際にやっている事でしょう。CIAの工作員の常駐が最も多いのは日本と言われています。
  ※たとえば国粋的な立場(民族主義)の立場である○翼をなぜアメリカは弾圧しなかったのでしょうか。アメリカの民主主義の立場からすれば、天○制は敵のはずです。
共産主義の脅威から「自由と民主主義を守る」などと言う美辞麗句にだまされてはいけません。現実に共産主義の中国とアメリカは国交が成立して何年たつのでしょうか。旧共産圏諸国が崩壊して何年たつのでしょうか。それは自分達の都合が良いようにアジア諸国間で「摩擦」が続くようにするために対抗勢力を確保しておく必要があったためであると推定しています。
少々脱線しましたが、現在から近未来においてアメリカがアジア諸国間において日本を中心にして「摩擦」を影で演出している黒幕だと考えるのは以下の点からです。ここで要点を書くと以下のようになります。

[現在の構図]

1.アジア諸国の経済背長の結果、それらの諸国は外貨準備をドルで保有するようになっている。
2003年の数字で外貨保有高のベスト4は、日本(5431億ドル)、中国(3160億ドル)、台湾(1752億ドル)、韓国(1316億ドル)となっている。
出典 http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2003/07/02/20030702000028.html
2.現在のアメリカ製造業の競争力は乏しく、経済の拡大と成長はもっぱら消費と金融・証券業によりもたらされている。
3.双子の赤字を穴埋めしているのはアジア諸国のドル債券の購入であり、資金の還流が続いている限り「大英帝国と植民地インドの関係」のように困ることはない。
 参照「植民地のインドは商品を輸出しても、その見返りの代金はポンドでイギリスに蓄積され、デフレになり、不景気になった」
  http://asyura2.com/0601/hasan45/msg/253.html
4.アジア諸国は外貨の多くをドル債券(国債)で保有している。
これらの国が債券を売ってくるとアメリカの現在の覇権地位が崩れてしまう。

[アメリカの状況と推測される行動]

1.製造業は弱体化したが軍事力と軍需産業は未だにトップの実力にある。
2.軍事力を維持するには経済力が必要だが、すでにアメリカの製造業にはそれだけの経済力と技術力がない。このままではいずれ軍事力も衰えてしまう。
3.外国からの資金の流れが続いている限りアメリカは困る事はないので軍事力をもとにして「覇権」の維持を図り維持できる限りそれを続ける。
  ※大英帝国と植民地インドの関係(前述) http://asyura2.com/0601/hasan45/msg/253.html を参照
4.軍事力があれば、すべての経済活動の源である「石油の確保と独占」ができる。中東などの産油地域での覇権を軍事力で確保すれば「ドルで石油が買える」と言う構図を力ずくで構築できる。
 ※ドルの機軸通貨としての地位「ドルで石油が買える」と言う構図は「金(本位制)」よりも重要なのだ。現代の経済社会は実質的には石油本位制なのだ。
5.アメリカの製造業が弱体化している中で「軍事力を維持するだけの経済力」を確保するには金融業、証券業の国際化を促進し「アメリカへの資金の流れ」を維持・拡大しなければならない。
6.したがってドルを所有しているアジアの国々(欧州は統一通貨を作ってしまった)である日本、中国、韓国、台湾などの国が自力で経済圏を作るなどしてアメリカへの資金の流れを途絶えるような事となっては困る。
7. アジア諸国との友好関係においては「アメリカと中国」、「アメリカと日本」、「アメリカと韓国」、「アメリカと台湾」、「アメリカと○○○」といったようにすべてアメリカとの関係が第一であるような関係を作り出し、必要によってはアジア諸国愛国心国民感情に訴え「摩擦」、「軍事衝突」を引き起こさせる事でアメリカとの友好・依存関係が途切れない事とする。〔略〕
8. このような「対立の構図」が続いている限り、アジア諸国はアメリカの債券を売り飛ばすことはできないし、「圧倒的な軍事力」(その軍事力を支えているのはアジア諸国の経済力が産んだ資金なのだが・・・)をもっているので、近隣諸国との「軍事衝突」が起きるような「緊張関係」が維持できている限り、アジア諸国はアメリカからの依存から抜け出せない。〔略〕

http://asyura2.com/0601/senkyo19/msg/808.html
日本は中東でのイスラエルの様な、アジアで孤立した立場に立たされるだろう。軍事的な緊張状態を生み出す為の「悪役」、「道化」、或いは「生贄」として。国際資本群が世界を操る為の「餌」、又は「馬の前に垂れ下がったニンジン」として、この2ヶ国は便利な存在だ

粗くはあるけど、大雑把な見通しとしてはこれら指摘が妥当だと思う。

ぽちっとな 

「コミュニケーション能力の有無」と「力関係」

http://d.hatena.ne.jp/terracao/20060219/0040320000
「コミュニケーション能力の有無」って、「力関係」の言い換えじゃないかって気がする件
〔略〕コミュケーションが取れないのはコミュニケーション能力がない人間のせいだ、という考え方は、現実の力関係を反映しているだけじゃないかと思える。つまり、会長さんの「コミュニケーション能力」の低さは大目に見られるが、在日外国人や犯罪者の「コミュニケーション能力」の低さは決して甘く見てもらえず、むしろ過大にその責任を負わされる恐れがあるということだ。

id:terracaoさんはクレバーだ。
日本ではいつまでもしつっこく「抑圧の委譲(@丸山眞男)」を弱者に圧しつけようとされる。弱い者虐めとも言う。

ぽちっとな 

「ナショナリズム」と「公定ナショナリズム」

ナショナリズム」は本来、国境内においては平準化・平等化を求める。が、日本で「ナショナリズム」に類する思想は日本国内での階層格差拡大を求め、階級の固定化を求める。日本の「ナショナリズム」は復古封建主義であり、フランス革命をルーツとする「ナショナリズム」の伝統から見ると、奇形的存在、「鬼子」である。
以下は某教授から教わった事柄のメモ。「ナショナリズム」は「グローバリゼーション」の反作用であり、両者はセットである。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/1274/1038415480/l50
国家や民族という、境界内での均質化を「ナショナリズム」と呼ぶ。境界を越える均質化を「グローバリゼーション」と呼ぶ。「ナショナリズム」は、縦の均質化だ。「グローバリゼーション」は、横の均質化だ。境界内の上下が似てくると「ナショナリズム」。境界〔国境〕を越えて上辺〔支配層〕同士が似てくると、「グローバリゼーション」。上辺〔支配層〕同士の「グローバリゼーション」が進行して似てくると、互いの境界(国境)の底辺同士の違いは、却って際立つこともある〔貧乏人同士のほうが民族対立は激しい。底辺の人々ほどコリアン差別が激しい〕。
貴族や王家は境界内では「身分差」を強調するが、「国際的」だ。「国民」は身分差を否定するが、境界を強調し「排外的」だ。欧州の貴族・王族は国を超えて貴族同士王家同士婚姻した。イギリスの現在の王家はドイツ王家から来た。

フランス革命をルーツとする「ナショナリズム」は国内においては平等を求めるから、本来、天皇制などとは相容れない。が、それでは明治政府には都合が悪いので、日本やタイでは「公定ナショナリズム」というまがい物を捏造する。以下、エンカルタ百科事典から。

ナショナリズム Nationalism

Microsoft(R) Encarta(R) 98 Encyclopedia. (c) 1993-1997 Microsoft Corporation. All rights reserved.
ナショナリズムという言葉はこれまで国家主義民族主義国民主義と訳しわけられてきた。ナショナリズムは当該の民族(ネーション)の歴史的・社会的・文化的背景と深く関係している。したがって、世界情勢はもとより、当該民族の国家体制、エスニシティ、民衆意識、運動の担い手層などさまざまな側面を考慮してナショナリズムの性格を理解する必要がある。ナショナリズムについて一般的に定義するならば、同一の民族ないしエスニック・グループが政治的・社会的・文化的に独立をもとめて運動する、そうした運動もしくはそのイデオロギーといえる。

ナショナリズムの分類

ナショナリズムを大きく分類するならば、19世紀から20世紀前半にかけて近代国家形成においてみられたヨーロッパのナショナリズムと、欧米による植民地化に対してアジア・アフリカでおこった抵抗運動にみられるナショナリズムとがある。
ヨーロッパのナショナリズムは、さらにこまかくわけるならば、歴史的に先行したイギリスやフランスなどの場合と、それよりおくれて発展したドイツやイタリアなどの場合とで性格を異にしている。たとえば、ドイツのナショナリズムは、イギリス・フランスなどのそれとくらべると、同一の民族による民族国家の形成という側面が強い。
アジア・アフリカのそれは、特権支配層の自己防衛運動なのか、それとも被支配者による自己解放運動なのかという抵抗運動の性格によって、「植民地型ナショナリズム」と「非植民地型ナショナリズム」にわかれる。
政治学者ベネディクト・アンダーソンは、ナショナリズムをおしすすめた担い手が特権支配層かそれとも民衆かによって、それぞれを「公的ナショナリズム」と「民衆ナショナリズム」に分類している。

ナショナリズムの勃興

フランスでは、国王が市民階級と連携し地方諸侯をおさえて中央集権をはかり、国家の統一とよびうるような状態を形成していた。イギリスの歴史学者E.H.カーはこれを「前期的ナショナリズム」と称している。
近代ナショナリズムとよぶに値するものがあらわれたのは、市民階級がたちあがり中世の身分制を廃し、主権在民の思想にもとづいて近代国家の建設をおこなって以降のことである。1789年のフランス革命とナポレオンの遠征、その後各地で発生した革命などの一連の出来事が、ヨーロッパ大陸主権在民による近代国家建設の基礎をもたらしたのである。しかし、これはあくまでも国家建設の基礎であり、これによって国民国家が形成されたわけではない。たとえば、フランスでは地域ごとに言語や習慣などがいちじるしく相違しており、近代における学校教育制度や徴兵制の整備、印刷文化の浸透などをとおして、国語としてのフランス語を普及させることが可能になり、さらに第1次世界大戦が契機となって、しだいに国民としての同胞意識が形成されていった。
ヨーロッパ大陸全体においては、第1次世界大戦後、アメリカ大統領のウィルソンが民族自決をとなえ、それによって多くの国々が新しく誕生したこと、およびその当時印刷文化が普及していたことなどが、ナショナリズムの形成に大きな影響をあたえたのである。

アジアのナショナリズム

アジアのナショナリズムはヨーロッパのそれとは根本的にちがった性格をもっている。なぜならば、ヨーロッパのナショナリズムは自生的な民族意識の発生にもとづいたものであるのに対して、アジアのナショナリズムはヨーロッパ列強による植民地化を契機にして外圧によって発生したものだからである。アジアのナショナリズムは、ヨーロッパ列強の植民地化に対する対応の仕方としてあらわれ、それゆえに主たる担い手層の相違など各国によって事情がことなっており、その性格も相違している。
こうした事情のため、アジアのそれは「植民地型ナショナリズム」と「非植民地型ナショナリズムとに大きくわけられる。
前者はインドや中国、インドネシアベトナムなどであり、これはアフリカの国々にも多くみられる。
これに対して、後者は日本とタイにかぎってみられる。
前者は、ヨーロッパ列強による植民地化を契機とする被支配層の政治的・経済的・文化的な解放運動であった。
いっぽう、後者は、ヨーロッパ列強に対する伝統的特権支配層の政治的・経済的・文化的な防衛運動であった。
日本とタイが植民地化をまぬがれたのは、ひとえに支配層による自己防衛運動によって中央集権国家の建設にまがりなりにも成功したからである。しかし、それゆえに、国民が自己解放運動をとおして政治的に成熟することのないまま今日にいたっている。

インドのナショナリズム

インドは「植民地型ナショナリズム」の典型的な例である。イギリスは18世紀の後半以降、東インド会社をとおしてインドの植民地化を強化していった。インドの王侯や貴族たち旧支配層はみずからの利益がおかされたため、妥協して自らの存続をはかり、イギリスの植民地統治に寄生して、名目的な立場のみを保持するだけになった。
そうした状況下にあって、インドの抵抗運動をみちびいたのは、都市の官僚や会社員、商人たちであり、比較的豊かで社会的にも地位のある人々だった。1880年代以降の民族運動は、そうした人々が結成した国民会議派(1885年創立)が中心となって、イギリス流の制度を導入して展開されていくことになる。
20世紀にはいり、ガンディーがとなえた非暴力・不服従は、多くの農民や労働者たち被支配層をひきつけ、それまでのエリートの民族運動から大衆の民族運動へと転換していくことになった。
インドの場合、ガンディーによってナショナリズムは「公的ナショナリズム」から「民衆ナショナリズム」へ転換したといえる。
中国の場合は、毛沢東周恩来が登場して抵抗運動を大衆化することに成功している。

タイのナショナリズム

植民地化をまぬがれたタイのナショナリズムはインドのそれとはまったくことなる。タイは19世紀後半に、ビルマ(ミャンマー)を植民地化したイギリスと、ベトナムを植民地化したフランスの圧力を東西からうけた。そのため、周囲の領有した地域をしだいに割譲しながらも、植民地争奪戦を展開していたイギリス・フランス両国の緩衝地帯となり、国内的には、ラーマ5世チュラロンコン王 (在位1868〜1910)が、行政、軍隊、教育などの面に西欧の近代的制度を導入して、近代国家の建設をおこない、タイの独立をたもった。
タイは、西欧諸国がアジアで植民地争奪戦をしていた19世紀の後半に、はじめて自国の国境を画定した。そのため、国境の内部に多くの華人少数民族(エスニック・グループ)をかかえることとなり、国家にとって国民の形成が大きな課題となった。国王は、彼らをタイ国民にするために仏教を布教し、その信仰をとおして国王崇拝を内面化させるとともに、小学校の義務教育化によってタイ語の普及につとめ、同化政策を実施してきた。宗教政策と教育政策をとおして国王への忠誠を達成し、そうした装置を介して国民の形成をはかったのである。

日本のナショナリズム

日本のナショナリズムは、タイと同様に「非植民地型ナショナリズム」にふくまれる。それは、西欧列強の開国要求に対して幕末維新時に主張された尊王攘夷論に由来している。当時は国内的には薩摩・長州らの倒幕の動きがはげしく、そうした動乱の世にあって、吉田松陰らは国学にもとづいて尊王攘夷をとなえ、それまで支配的であった幕府体制と儒教の教えを否定し、自然で素朴な古代にたちかえることを説いた。すなわち、最古の先祖の系譜をひいている朝廷・天皇にしたがいさえすれば、それが自らを神々の末裔(えい)につらねる行為であると主張したのである。しかし、それは一時的なものでしかなく、そうした理念が新たに国民をつくりだしたわけではない。
明治政府が西欧の制度を模して府県制・市町村制をしき、また税金や教育などの行政制度や議会制度をとりいれて中央集権を確立したことが、日本の近代国家の骨格をきずいたのである。しかし、これらの行政制度の近代化がすぐさま国民の形成に役だったわけではなく、日清戦争日露戦争とその後の三国干渉などが契機となって、人々に日本人としての同胞意識をもたらしたのである。
日本の近代化の特徴は、天皇制の再編・強化によって国民の支配の正当化がはかられた側面を無視して論じることはできない。それゆえ、戦前の日本のナショナリズムの特徴は、国体論の中に端的にみいだすことができる。すなわち、国家は大きな家族であり、天皇は親、国民は子供であるとされ、子が親にしたがうように、国民は私をすてて公(国家・天皇)にしたがうことをもとめられた。思想的には、天皇制は「家」と先祖崇拝の2つの制度に根ざしたイデオロギーである家族国家観によって正当化された。この家族国家観は植民地の併合問題を論じる場合、多民族国家論として姿をかえて提出されている。
多民族国家論とは、日本は古代から「一視同仁」で異民族を同化してきた経験をもつとともに、日本の家族は非血縁者を養子としてうけいれることを原則としてきたというものである。多民族国家論はこうした論理を提供することによって植民地の皇民化政策を正当化する機能をはたしたのである。台湾や朝鮮・韓国・満州を植民地化し、異民族を日本国の臣民として同化させることは、まさしく日本の「伝統」にのっとったものであると正当化されたのである。こうした観念は近代において日本固有の「伝統」として政治的に捏造(ねつぞう)され、国民の統合や植民地の同化政策などに利用されたのである。

戦後

第2次世界大戦後の日本のナショナリズムは、1960年代の後半以降顕著にみいだされる。政治の保守化と経済の自由化の波の中で、60年代の後半から政治家や文学者、さらに研究者の間で単一民族国家論が登場し、80年代以降盛んに論じられるようになった。こうした意識は、経済大国の自覚と物質的に満足した消費生活とがもたらしたものであり、戦前の多民族国家論とは表裏一体の関係にある。
すなわち、日本のナショナリズムは外にむかって拡大したときには「ウルトラナショナリズム」になり、反対に内にむかうと差別的なものになる。
そのほか、戦後では家永三郎教科書検定内閣総理大臣靖国参拝、沖縄の基地、昭和天皇の葬礼とその後の国民的謹慎など、ナショナリズムをめぐる問題がくりかえし生起している。
このようにみると、日本の社会が戦後も天皇制を存続させ、なおかつ中央官僚が強大な権力をもっていることが、日本のナショナリズムを顕在的、潜在的に再生産する可能性を内包しているのである。
"ナショナリズム"
Microsoft(R) Encarta(R) 98 Encyclopedia. (c) 1993-1997 Microsoft Corporation. All rights reserved.

ところで、「あすく」さんが昨日コメント欄で「副島氏の見解」を紹介してくださっていたけど

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060219
ところがアメリカ人は国王、王政をものすごく嫌って作った国だから逆にすさまじい劣等感(インフィリティ・コンプレックス)があって王政を嫌うくせに、同時に貴族主義に対する憧れがつよくて、これが日本の天皇制の見方を複雑にしている。

そおかなあ。これって「神話」つまり右翼内フォークロアでしかないと思うんだよなあ。たとえば君はタイ王室を憧れるか? カンボジア王室を憧れるか? ニューギニアの部族長一族を憧れるか? 
その権威で何か美味しい目に遭う時に王制は便利なのであって、日本の皇室はアメリカ支配層にとってしばしば「美味しい」というだけであって、「美味しい」のと「憧れ」るのは精神の方向としては随分違うんだが。
天皇制は1945年に、アメリカの間接統治マシンになります、という昭和天皇&宮中派&マッカーサー&グルーらによる合意・合作があったから延命しているわけで、つまりアメリカにとって間接統治マシンとして残してあるんだから残しとけ、という意見と、天皇制がなくても日本は傀儡国家として使えるから天皇はいらんだろ、ヘタしたら対米独立のシンボルになりかねない、イスラムのカリフやスルタンみたいなものだから、という意見がアメリカの中で混在していると解すべきだと思うが。アジアの王室を共和党のメンタルを持った白人が「憧れ」るだの、日本は「憧れられている」だの、んなありえない、筆力の乏しい三流少女マンガみたいなメンタル・三文ストーリーで国際関係を理解しねえでほしいと私は思う。好き嫌いで国家間を語るのはバカであるか、バカを騙そうとしているかのどちらかである。

ぽちっとな 

「人権擁護法」という「空騒ぎ」

城内実という、日本会議住吉会統一協会系ペテン師(父親日本会議理事で、元警察庁長官。城内実の元秘書は、安晋会代表幹事=杉山氏のゴールネットに入社http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-81.html)について昨日投稿した。
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060219#1140290199 その続き。

2

id:VanDykeParks2さんとこの記事。

http://d.hatena.ne.jp/VanDykeParks2/20060220/1140370239
郵政民営化解散したときの国会で大変政治意識の高いみなさんが、その国会に提出される予定であった人権擁護法案に対し「危険性」を発見したとして、ネットで大騒ぎとなった。が、そのことがどうだったというわけではない。その「危険性」に対する指摘のあまりのずさんさ、お粗末さに対抗した僕らも含めて。あの法案がその国会を通らなかったのは、なんてことはない、郵政解散日本会議系議員による謎のキャンペーンが原因である。ぼくらはいつのまにか考えることを止めてしまったが、今をもってあのキャンペーンの理由は謎である。〔略〕なぜこんなものに騒ぎ立てたのか……いったいその背景は……実に黒い政治の匂いがする。この騒動の中、うっかり日本会議系の集会に何も知らずに動員されてしまったチャンネルボーイは、その後取り込まれしまったりしたのだろうか。

webを使った政治活動ってのは、私らマンガ規制反対運動が2002年頃行なった「青少年環境対策基本法案反対」ってのが一つのモデルケースになったんだと想像する。で、日本の「右翼活動」は常に「左翼活動」「市民活動」を真似て、自分のものとする。
その昔、中曾根康弘が広告代理店・東急エージェンシーを使って官製市民団体にデモ活動させたことなどはその典型である。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/1274/1075152018/l50
電通より小規模だが、官僚のための宣伝活動を積極展開しているのは、東急エージェンシーだ。電通は官僚を通じて仕事の注文を受けるが、東急エージェンシーは首相在任中の中曽根康弘から直接電話で指示を得た。東急グループ総帥で、日本商工会議所会頭五島昇(1989死去)が、中曾根と東大同期性だったからだ。
中曾根の行政改革案の宣伝キャンペーンでは、東急エージェンシーは、主婦組織から参加者を募り圧力団体を作り、市中行進・国会前デモを組織した。中曾根と東急エージェンシーは、15000人のデモ隊動員に成功している。これで東急エージェンシーは急成長した。
自民党政府の「政策要綱」が広告コピーのようなのは、電通博報堂東急エージェンシーなど広告代理店が作っているからだ。
広告代理店業界第二位の博報堂は、大蔵省官僚の天下り先だ。
『日本/権力構造の謎 上巻』369p

日本 権力構造の謎〈上〉 (ハヤカワ文庫NF)

日本 権力構造の謎〈上〉 (ハヤカワ文庫NF)

日本会議系「人権擁護法反対」活動は、NTTが絡んでいたくさいけど。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050923#1127414977
NTTと瀬島龍三/「日本戦略研究フォーラム」http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20051011#1129020189

3

「青環対法案情報メモ」
http://www.din.or.jp/~kamayan/otachan/seikantaijouhou.html
この「青環対法案」つーのを提出したのは、自民党村上正邦小山孝雄。後に二人ともKSD汚職事件で逮捕される。両者とも元々「生長の家」を票田としていた。
http://homepage2.nifty.com/tatsumi1123/nagata174.html
…さっき検索して判ったんだが、小山孝雄の方はつくる会と一体となった日本会議(国会質問のママ)の議員懇談会事務局長。

http://www.ishii-ikuko.net/kokkai/151/kaigiroku/010227.htm
151-衆-文部科学委員会-3号 2001年02月27日 平成十三年二月二十七日(火曜日)
○石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。〔略〕最初に、一問、大臣にぜひ伺っておきたいことがございます。
 父母、祖父母を敬愛し、進んで家事の手伝いなどをして家族の役に立つ喜びを知る、約束や社会の決まりを守り、公徳心を持つ、このように道徳教育のあり方を説き、現場で道徳教育がなされていない、道徳教育省をつくれと迫ったのが、KSD汚職で逮捕された小山孝雄参議院議員でした。
 国会で道徳教育の強化を説き、一方で、KSDからわいろを受け取り受託収賄罪で逮捕される、これこそ不道徳きわまりない、教育を語る資格なしと断ぜざるを得ないと思いますが、文部大臣、どのような感想をお持ちでしょうか。〔略〕
○石井(郁)委員 どうも歯切れの悪い御答弁かなと思いますけれども、実はその小山氏が道徳教育の強化とともに熱心だったのが、今問題となっている新しい歴史教科書をつくる会の歴史教科書の検定と採択問題だったのです。小山氏は、自民党の教育改革実施本部の教科書に関する分科会の座長を務めていました。また、つくる会と一体となった日本会議国会議員懇談会の事務局長でした。

つくる会」と「日本会議」が一体であると言い切れる証拠がなかなか見つからなかったのだが、この国会質問は根拠として使用に足る。
メディア規制三法っつーて、「人権擁護法」も「青環対法」も「個情法」も同時期にセットに提出されたんだよな。自民党によって。衆院選のときの「空騒ぎ(人権擁護法反対で厨)は、日本会議・瀬島龍三系列による、一種の「自作自演」だわな。マッチポンプとも言う。

ぽちっとな 

殺人を警察が「自殺」と断定した前例

ライブドア野口を殺害した事件を沖縄県警が「自殺」と強弁し、webで現在異議が唱えられている。殺人を「自殺」と警察が断定し隠蔽したケースは過去にけっこうたくさんある。2000年9月の、日本債券信用銀行本間忠世社長(六〇)殺害も大阪府警によって隠蔽された。

 本間の遺体は大阪のホテルの一室で発見された。現場の模様は詳しく多岐にわたって報告され、首吊りによる窒息死だと指摘された。家族や会社あての遺書があった。しかし、アメリカではこのようなケースでも、事件として捜査するが、日本では異なっていた。彼の息子、本間正純によると、本間の遺体は司法解剖されることなしにすぐに火葬されたというのだ。大阪府警は自殺と断定した。
 不良債券が銀行に悪影響を及ぼすということが日本中に知れわたり、その調査が行われ始めた1997年から数えて、本間の死は七番目の死ということになる。その中には、不良融資について証言しようとした議員、中小の金融機関を監督する日本銀行の課長、金融監督庁の調査員、大蔵省の中小企業担当課長補佐も含まれている。これら七件は、どれひとつとして、殺人事件として取り扱われなかった。
 間接的な状況証拠を積み上げると、、こんなシナリオが考えられる。それは、日本のヤクザ組織が関わっていたのではということだ。その夜、ヤクザが本間の部屋を訪れ、ピストルで脅して遺書を書かせ、鎮静剤を打ち、絞め殺して、首吊り自殺のように見せかけたのだというのである。このようなやり方は、「よく知られたヤクザのやり口だ、とくに、政治がらみの殺人にはこのような方法が行われる」と、ある弁護士は語る。
 本間のケースの場合、現場が不自然であった。阪急インターナショナルホテルのスポークスマンである吉井恭子は、発見されたときの遺体は壁に対して前かがみになっていたと証言している。さらに、女性誌の『女性セブン』によると、ポケモンの声の主でありテレビタレントである森公美子が、インターネットのチャットにその当時の模様を語っていたという。森の泊まった部屋は本間の部屋の隣で、その夜、叫び声やうめき声がうるさくて、ホテルに対して苦情を言っていたというのだ。しかし、その女性誌が刊行されたときには、すでにウェブページはシャットダウンされていた。彼女のマネージャーは、当時は混乱していたので、彼女はその件に関するインタビューは断っていると言う。
 このような微妙なケースには、有力政治家からの圧力が警察当局にかかることはよくあるだろう。(事実、ある自民党有力者から電話があったと証言する二人の人物がいる)。書面で問い合わせたが、大阪曽根崎警察の副署長の答えは、「ノーコメント」だった。
  出典;ベンジャミン・フルフォード「闇から闇へ」『日本がアルゼンチンタンゴを踊る日』光文社、2003年。59-60頁。

日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日 (光文社ペーパーバックス)

日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日 (光文社ペーパーバックス)

ぽちっとな