カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

安倍晋三内閣=統一協会内閣、というwebでの評価

以下保存する。テレビはだいぶ前から官邸圧力その他で気が触れていて全く信用できないが、web世論は正常だ。

157 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2006/09/25(月) 19:03:31 SekuhkjO

現職国会議員128人の「勝共連合統一教会」関係度リスト http://www.asahi-net.or.jp/~AM6K-KZHR/wgendai.htm

158 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2006/09/25(月) 20:30:50 1VZ7uHWv

中川秀直氏の人脈に期待…「安倍自民」三役決定(読売新聞 - 7時間前)

カルト兄弟の「総裁」「幹事長」独占 キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!

統一協会・集団結婚に祝電 小坂文科相・中川政調会長も 安倍官房長官、広島大会にも送付(しんぶん赤旗 - 2006年6月25日)

159 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2006/09/25(月) 22:20:26 +Nj5olok

中川秀直覚せい剤使用疑惑と愛人への操作情報漏洩問題はどうしたんだよ。 ほんと!小泉政権ってのは、はっきりクロの議員を責任もとらせないどころか情報隠蔽でうやむやにして野放しにしやがる!

162 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2006/09/25(月) 22:29:37 1VZ7uHWv

つか、中川秀直安倍晋三と祝電兄弟だし、中川昭一丹羽雄哉も>157のリストに入ってるし、自民党三役+党総裁がこれで統一シンパに独占されたことになるね。このまま『美しい国』へ一直線!って空気がいよいよ濃くなってきた。

163 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2006/09/25(月) 22:59:17 +Nj5olok

>162 >このまま『美しい国』へ一直線!

<(゜ロ゜;)>ノォオオオオオ!!

国賊安倍晋三とそれを支持する亡国の豚どもは地獄に堕ちるべきである、と憤る同志は   をクリックされたし。

呪われた天皇家

天皇家の出産の報道洪水も一息ついたとこなので、天皇家がいかに呪われているか、ということについて。
ご存知の通り天皇とは日本最大のシャーマンだと一応されている。この信仰はケガレを嫌うとされる。天皇家は江戸期には稲荷信仰の元締めに零落していたのだが、幕末にこの稲荷信仰宗家・すなわち天皇家日本国王とする信仰が流行し、明治期に国家神道という新興宗教が政府により流布吹聴された。
なお日本では「保守」思想とはこの新興宗教国家神道の信仰を守る者か、稲荷信仰宗家を頂点とする幻想の体系を信仰する者を指す。私は稲荷信仰とは相性が悪いようだが、必ずしも稲荷信仰を否定するものではない。新興宗教・国家神道は否定する。
以下、ねずまさし『天皇と昭和史』冒頭から引用する。

裕仁は、明治三十四年(一九〇一)四月二十九日、〔略〕当時十八歳の皇太子嘉仁(よしひと)の第一皇子として出生し、廸宮(みちのみや)とよばれた。母は同妃節子(さだこ)である。ところが一部の上層社会においては、彼をもって節子の子と認めない風説があるが、ここでは通説にしたがっておく。〔略〕
〔略〕嘉仁は、明治天皇睦仁(むつひと)が柳原光愛伯爵の娘愛子(なるこ)に生ませた第二皇子である。睦仁の子十五人(男子三人、女子十二人)のうち、無事に育ったのは、嘉仁と女子四人にすぎない。あとは誕生即日死んだか、早死した。宮廷が王朝以来の迷信と非衛生な生活をたもっている結果、十人の赤児が死んだという観察もあるが(原注;鎌田栄吉『太陽』)、同時にもっと根深い理由もある。
天皇家をとりまく女たちの名前や地位は、いかにもいかめしいが、心情は民間の女と同じで、はなはだ嫉妬ぶかい。宮廷とは、大勢の女たちが、天皇から愛されること、男子をうむことだけを存在理由とし、また任務ともして、生活する異常な世界であった。だから「天皇の御寵愛を受ければ憎まれ、懐妊と判ると恨まれ、出産すれば呪はれる」(原注;長田幹彦『小説天皇』p167。小川金男『宮廷』p62)という、『源氏物語』を地でゆく有様であっても、ふしぎではない。〔略〕
さらに柳原愛子のめいにあたる歌人白蓮がつたえるところによると(原注;「柳原一位局の懐妊」『天皇白書』文芸春秋別冊)、明治天皇の子たちの「おかくれ(死亡)になりようが赤ちゃまにお歯が生える頃になると、一声きゃっと御叫びになって、おかくれになるのだという。おんもののけ(生霊とか死霊)の祟りというような……大奥でのひそひそ話は相当に根が大きい」と語り、その原因として「昔の七代祟ると呪詛して悶死したお局」の話を、あげている。〔略〕紹介すると、こうである。ある天皇の時に、同時に二人の局(つぼね)が懐妊した。一人は松の木家、一人は小倉家の出身であった。そこで、一日でも先に生まれた男子が太子である、と天皇は定めた。ところが二人の局は同日に男子をうんだ。小倉のほうは午前中、松の木は午後、約束によって午後にうまれた男子が弟になるはずであったが、天皇は「同日だから双生児(ふたご)だ。双生児は後からうまれたほうが兄というきまり、それで松の木のほうを兄とする」といって、太子にたてた。そして弟(実は兄)が七歳になった時、将来天皇になる野心を防ぐために、むりやりに仁和(にんな)寺の僧にした。小倉の局は狂わんばかりになげいた。この僧が後になって叛乱をおこし、母とともに遠島へ流され、やがて自殺した。局が死ぬとき、「天皇の系統には世つぎ一人を残して、ほかはみなとり殺してやる、七代たたるぞ」と呪った。このために孝明天皇もひとり息子であり、明治天皇にも兄弟がない。嘉仁(大正天皇)もまたしかり、というのである。

原注;孝明の兄弟は六人、いずれも誕生当日か、生後一年から三年の間に死んでいる。 明治の兄弟は一人、誕生の翌日に死ぬ。

宮中では、こういう伝説がまことしやかにつたえられた。明治天皇が生まれたときも、それまでに幼くして死んだ皇子、皇女があまりに多いので、彼の生母中山慶子は、小倉の局を京都の御霊神社に合祀して、とむらったという。

原注;御霊神社は、奈良時代以来天皇家の政略のぎせいとなって殺された皇族や貴族のたたりを恐れて、まつってある神社で、例祭の時には、天皇がみこしをおがんだという。

さて嘉仁の母愛子がみごもると、だれかしら廊下に油をぬって、彼女がころんで、流産するように企てたり、宮城内の紅葉山に深夜、呪いの人形を打ちつけたり、お局の寝所の床下に、豆をいっぱいにつめこんだ麻袋を、たらいの水にひたして置いてあったりした。そのわけは、豆がふくらんでも袋の外へ出ないように、つまりお腹の赤ん坊が生まれないように、という呪(まじな)いだった。天皇家の象徴である二重橋の奥にひろがる「神聖」な世界には、このような陰惨なたくらみが、しのぎを削って、争われていた。
だからこそ、嘉仁は〔略〕のろい殺される恐れがあるので、睦仁は〔略〕自分の生母の家、公爵中山忠能(ただやす)に預けたのだった。〔略〕
裕仁も、〔略〕睦仁は海軍中将川村純義に預けた。〔略〕
〔略〕翌年生まれた淳宮(あつのみや)(のちの秩父宮)も、川村にあずけられた。〔略〕

出典;ねずまさし『天皇と昭和史・上』(三一書房、1976年)11-14p
ぽちっとな