カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

なぜ日本には飛び級がないのだろうか

私の村では「同級生」というのは生涯付き合うという意味を含む。ところで私の小中学校の「同級生」というのは偏差値30未満のヤンキーばかりだというのは以前ブログで述べたとおりであるhttp://d.hatena.ne.jp/kamayan/20100119/1263875108。そのことを思い起こすだけで憂鬱となる。人生に憂鬱となる事柄は多いものなのだが、なぜたまたまあの年代に生まれたことで、たまたまあの村に生まれたことで、こんなムダな憂鬱を抱えなければならないのか。
小学生の頃、朝礼で校長だったか誰かが「諸君らは今、人生で最も楽しい時期を過ごしている」と述べていたが、この陰惨な小学校での今が人生最高だとしたら人生とはどんなに酷い牢獄なのだろうと悲観したことを今でも覚えている。その悲観は10歳代になる前からずっと持ち続け、10歳代いっぱい継続した。救いのない未来へ順応するための心構えに長い時間を使い、その環境から脱出できる機会が来たときにはそれが脱出できる機会だということを認識できなくなっていた。そんな非現実的なことがあるわけがない、と、心の底から思うようになっていた。私は早熟だった。早熟であることは悪徳であり、学校の成績が良いことは悪徳であった。それは我が家庭においてもそうだった。人生への希望を断念することへの努力に全ての力は蕩尽した。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20070119/1169154250
我が父母がもう少し常識的な人であるか、もう少し愛情の厚い人であればもう少し救いがあったのだが、そういう救いはなかった。
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20090804/1249389663 
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20091115/1258218769 
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20090716/1247683786 
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20090506/1241611662 
せめて飛び級があればあの環境から抜け出せることを現実的なことだと感じることができただろうに。なぜ日本には飛び級が存在しないのだろうか。なぜあんなにも長い時間、ムダな時間を浪費させるのだろうか。
仮説的に思うのは、日本の統治機構は現行制度で成功した人が維持運営しているのであり、現行制度によって苦しみ脱落した人の声というのはノイズとして排除する仕組みになっているというのが一つ。日本は本当は有能な人間を必要としていないのだというのがもう一つ。たとえば就職において企業が新卒のみを優遇し、社会経験を持つ者を嫌い、高学歴ワーキングプアを増産してそのことに国家が痛痒を覚えないのは、日本社会が、少なくとも社会上層が、知性ある人能力ある人を求めていないのだろうと以前述べたがhttp://d.hatena.ne.jp/kamayan/20100122 私は相対的に非常識なところで生まれ育ち、相対的に非常識なそして底辺な人生を送ってきたので、この世のことはよく分からない。

感じるところのある同志は   にほんブログ村 政治ブログへ  をクリックされたし。

画像はhttp://piapro.jp/content/62fsoegvanvp6207から。