カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

代表議会制のルーツ

代表議会制のルーツ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/1274/1025577785/71-72
中世欧州の代表議会政治の発展 2つのルーツ

1;教会法の定め

司教は、司教座のある教会の聖職者たちによって選挙されなくてはならない、と、教会法で定められていた。問題が起きたら教会指導者の集会によって決定せよ、と定められていた。14世紀には、正当な権威は任命ないし選出された代表によって表明された、治められる者たちの同意から生まれる、という説が登場した。これが、世俗政治に応用された。

2;統治者と臣下の伝統的関係

君主は新しい重要な事業に取り掛かるとき、臣下にことを計ることが必要だった。これは、ふたつの機能を果たしていた。A;臣下の間の争いの調停。B;特定の軍事作戦を起こすか否かの審議。のちに、C;「一時献金」の認可が、加わる。騎士たちは後に戦争の召集に出頭するより傭兵を戦場に送るようになった。結果、騎士は王に献金し、王は俸給取りの戦士を集める、というかたちになった。献金が王と臣下の重要な協議事項になった。
都市市民は現金の潤沢な源泉だったので、都市の代表者も宮廷に呼び出されるようになった。都市代表は、貴族とは別の議会に席を持った。
このような偶発的事情により、欧州の重要な王国では、君主が領内の大きな利益を代表する人々と相談する慣例ができた。協議される内容は税と代表者たちの一般的な苦情処理だった。代表者たちは、新しい賦課税の承認をさしひかえれば、君主は苦情を除去せざるを得ないことを学んだ。このような代表制度により、財産家や納税者は自分たちと関係の深い公共問題に関して発言することができるようになった。統治者・土地所有者・商人間に、比較的緊密な協力関係ができあがった。
明朝時代、中国では新しい外航船の建造が禁止されたが、欧州政府ではそれほど大きな船主と船乗りの集団の利益を踏み躙ることは不可能だったろう。
公的な行政者が、臣下の経済的利益に対し考慮を払うことが、時には失敗を重ねながらもだいたいにおいてうまく行なわれ、欧州の政治構造に深く根ざすに至った。それゆえ、欧州政治は、欧州の交易・商業と同様に、他に例を見ないほど民衆的であり、新しい形態の経済的事業、特に租税収入が増える見込みのある改革などに対しては、異常なほどの適応力を持っていた。
出典;ウイリアム・H・マクニール『世界史』(中央公論新社) 315−317p*1

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世界史

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