カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「共謀罪」再考。刑法の構造。

刑法では、「犯罪」を、以下のように定義している。「犯罪」とは、鄯;「構成要件」に該当する、鄱;「違法」で、鄴;「有責な行為」 である。 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/1274/1056491912/l100
共謀罪」が新設されると、この定義が吹っ飛ぶ。
従来の刑法の構造は、以下である。

刑法の構造

鄯;「構成要件該当」性を問う。

犯罪を「構成」する「要件」を充たしているかを問う。たとえば殺人罪なら人を殺したかどうか。「構成要件」を充たしてなければ、「構成要件該当性阻却(そきゃく)」となる。たとえば相手が死んでなければ「構成要件阻却」。犯罪と刑罰は、あらかじめ成文の法律によって明確に規定されてなければならない。この原則を、「罪刑法定主義」と言う(対義語は「罪刑専断主義」)。事後法は禁止されている。つまり事件が起きた後で法律を新たに作ってそれで処罰する、ということはできない。何が適法で何が適法ではないかは、事件が起きた時点での成文法に照らされる。これを「刑罰法規不遡及の原則」と言う。

鄱;「構成要件」を充たしている場合、「違法」性があるかどうかが検討される。

たとえば、「正当防衛」など、適法として扱われる例外であるか否かが問われる。「正当防衛」などの場合、「違法」性がないと判断され、「違法性阻却」となる。

鄴;「構成要件」を充たしていて、「違法」性があった場合、今度は「責任」性が問われる。行為者に「責任」能力があるか否かが問われる。

責任主義」とは、行為者の行為について、「責任能力」及び、「故意」または「過失」を要件として、行為者を「非難」できる場合にのみ、その行為者に責任を認める原則をいう。「責任なければ刑罰なし」の原則。
民法では、「過失責任主義」。過失は行為者の責任とされる。刑法では、わざとやったときに、「責任」がある。たとえば「過失による窃盗」は、ない。「責任を負う」と、「非難を負う」は、ほぼ同義である。(「行為者」とは、加害者とかのこと。無罪の場合を想定して「行為者」と呼ぶ。「行為」とは、犯罪行為のこと。無罪の場合などを想定して「行為」と呼ぶ。)
以上の、どこか1箇所で否定されると、「犯罪不成立」となる。
が、「共謀罪」ではこれらの構造が吹っ飛び、「犯罪構成要件該当」性がなくても「共謀」として「犯罪成立」する。
以下、刑法の構造及び定義の続き。

「構成要件」

「構成要件」とは、刑罰法規に規定された違法かつ有責な処罰に値する行為の類型〔カタログ〕または定型をいう。「構成要件」は、客観的構成要件要素と、主観的構成要件要素からなる。
「客観的構成要件要素」は、以下5つである。 
 鄯;行為の主体(加害者は誰か、犯罪者になりうるのは誰か)
 鄱;行為の客体(被害者は誰か)
 鄴;行為の状況(例;「消火妨害罪」)
 鄽;結果
 酈;行為と結果の因果関係
「主観的構成要件要素」は、以下三つに分かれる。
 鄯;故意 か、 鄱;過失 か、 鄴;その他

「実行行為」

特定の「構成要件」実現の「現実的危険性」ある行為を「実行行為」という。(結果犯においては、構成要件的結果発生の「現実的危険性」ある行為をいう) たとえば、AがナイフでBの胸を刺し、Bが死亡した。「胸をナイフで刺す」行為を、殺人の「実行行為」という。

不真正不作為犯

結果を知っていながら、適切な行動をしなかった場合、「不真正不作為犯」として責めを負う。たとえば、「嬰児Bの母親Aが、嬰児Bを殺すつもりで、嬰児Bに食事を与えなかった」場合、この「母親A」は、「不真正不作為犯」となる。

間接正犯

人を道具として、犯罪を犯しす場合、「間接正犯」として責められる。たとえば「医師Aが、患者Cを殺すつもりで、毒の入った注射を、事情を知らない(毒入りであることを知らない)看護婦Bに命じて、患者Cへ打たせた」場合、この「医師A」は、「間接正犯」となる。