カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

教育勅語

http://www.h2.dion.ne.jp/~kyokasho/uesugi2.htm
 しかし今、「教育勅語には良いところもある」という意見が散見せられる。似たような議論は、右の当時もあった。国会決議に大きく寄与した羽仁五郎議員(歴史学者でもある)が、議会での発言において、神がかり的な教育勅語の奉読風景を思い起こさせつつ、「この(教育勅語の)ため、国民があることを正しいことであるか、間違ったことであるか…自分で判断する習慣を失うことが非常に有害であった」と批判したことは注目される。彼がそれについて、ある高校で講演した際、「羽仁先生は教育勅語は非常に有害なものであったといわれるけれども、あれに書いてあることは、兄弟は仲良くしろ、父母は大事にしろ、夫婦は愛し合えということだし、少しも間違っていないじゃありませんか」という質問を、ある教師が寄せたという。これに対して、羽仁は、相手が数学の先生であったので、「それじゃあなたは『朕思うに三角形の内角の和は二直角である』というふうになってもいいんだね」と尋ねたという。「それはちょっと違う」と口ごもったところへ、羽仁は次のように答えたという。
  三角形の内角の和が二直角というのはたしかに正しい。しかし、その上に『朕思うに』がつくと問題は別になってしまう。『父母に孝に、夫婦相和し、朋友相信じ…』というのは、三角形の内角の和は二直角というのと同じようなものだ。そして、これらの道徳を守れと天皇が命令しているのだ。 (和仁廉夫『歴史教科書とナショナリズム』)    
 教育勅語は、天皇(朕)が国民に対して「我が臣民」「なんじ臣民」「朕の忠良の臣民」などと臣民の語を繰り返し、天皇が一方的に命令する形式をとっている。天皇を神とし、国民はそれに仕える「臣民」に位置づけられ、「兄弟・夫婦は仲良くする」ことまで天皇が命じるものである。これは確かに、先の衆議院決議や羽仁五郎がいうように、国民の基本的人権を侵害し、主権在民の原則に反するものであろう。語られている「良いこと」にしても、文脈として、危急の際は天皇を助けるという目的へと結びつけられていることが問題である。また、男尊女卑の当時にあって「夫婦相和」すことがどのような負担を女性に強いるものであるかなど、社会的な文脈からも批判されねばならないだろう(高嶋伸欣教育勅語岩波ブックレット)。