カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

船田元

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050322/1111560279 などの続き。
言論の自由」「表現の自由」をぶち壊そうとする、アナクロ自民党憲法案を作ったのは、元・政界のプリンス、《政界失楽園》船田元なわけだが

http://ch.kitaguni.tv/u/5859/%BE%AE%C0%F4%C0%AF%B8%A2%A1%A2%B4%A4%B2%F2%A4%D8%B8%FE%A4%B1%A4%C6%A1%A3/0000184143.html
「家庭・家族を保護する」どころかむしろ崩壊させた男、船田元。
船田元のアフォが皆様にご迷惑をおかけしているようで、まことに申し訳ありません。栃木県民の一人としてお詫び申し上げたいと思います。

「「国防の責務」盛る 自民新憲法起草委、小委が試案」(産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050211-00000008-san-pol

まあいろいろ書かれていますが、一点だけ指摘しておきますかね。
「家庭・家族を保護する責務」
お前が言うな。

《政界失楽園》という言葉もそろそろ風化しきっちゃったので、記憶を呼び覚ましてみよう。船田元が奥さん捨てて同じ自民党同僚の畑恵とくっついちゃった件のことですね。栃木一区は事実上船田一族による王国だったのだが、この《政界失楽園》で評判をすっかり落として、その直後の選挙では、船田元も畑恵も落選した。
畑恵は東京から無所属で2001年に立つが、落選。

http://www.sponichi.co.jp/society/kiji/2001/07/15/01.html
 東京選挙区から無所属で立候補した畑恵候補(39)が14日、東京・銀座で夫の船田元・元経企庁長官(47)とともに2ショットで演説を行った。「政界失楽園」で話題を呼んだ2人。夫婦そろっての選挙活動は前日(13日)に続き2度目で、繁華街への登場はこの日が初めて。夫妻は買い物客らの好奇の目を浴びながらも“婦唱夫随”で支持を訴えた。
http://www.sponichi.co.jp/society/kiji/2001/07/30/05.html
  畑恵氏惨敗“政界失楽園”にNO!
 “政界失楽園”に都民も「NO」。東京選挙区から無所属で立候補した畑恵候補(39)が惨敗、昨年の衆院選で夫の船田元・元経企庁長官(47)が落選したのに続き、有権者は厳しい審判を下した。それでも畑氏は「選挙戦の最大の功労者は夫」とかばったものの、次の衆院選で復帰を狙う船田氏に悪影響を与えるのは必至だ。

で、船田がいつ政界復帰したのか気づいてなかったけど、2003年の衆院選で、水島広子を制して当選してたんだね。

http://www.tbs.co.jp/senkyo2003/shu/cyuumoku.html
失楽園 栃木1区
「政界失楽園」騒動で議席を失ったかつてのプリンス・船田元氏。国政復帰を目指しての雪辱戦。結果はいかに
http://www.tbs.co.jp/senkyo2003/shu/sys/se/901.html

プリンスなんて呼ばれるやつはたいがいどうしようもないロクデナシだと相場が決まっているが(たとえば橋本派のプリンス・鈴木宗男、政界のプリンス・安倍晋三)、船田元は典型的世襲議員の一人だ。で、船田元で検索してたら、変なものを見つけた。

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/egawasoudou.htm
☆空白の1日(江川騒動)☆
〔略〕作新学院江川卓(すぐる)氏〔略〕は、1973(昭和48)年のドラフト会議で阪急ブレーブス〔略〕にドラフト〔略〕1位指名されたが、これを拒否して法政大学へ進学した〔略〕。
その4年後〔略〕「怪物・江川卓投手」は、クラウンライター・ライオンズ(現・西武ライオンズ)から1位指名を受けた。〔略〕巨人軍への入団を希望していた江川氏は、後見人(こうけんにん=うしろだてとなって面倒をみる人)に母校作新学院理事長船田中(ふなだなか。畑恵参議院議員と「政界失楽園」を起こした船田元〔はじめ〕衆議院議員の祖父。両氏の肩書きは「政界失楽園」といわれた当時。その後の選挙で両氏とも落選。元氏は、03年の総選挙で返り咲く)自民党衆議院議員(元衆議院議長)をたて、「九州は遠い」という理由でクラウンへの入団を拒否し、次回のプロ入りまでに2年を要する社会人球団ではなく、作新学院職員の肩書きでアメリカ・南カリフォルニア大学野球留学する。この間、クラウン買収に動いていた西武鉄道堤義明社長は、買収後球団を関東に移すとの条件を出して江川氏獲得を図るが、江川氏はこれを断る。
翌年のドラフト会議前日の1978(昭和53)年11月21日、江川氏は、船田代議士立会いのもと、巨人と電撃契約を行う。
これがいわゆる“空白の1日”である。「球団と指名選手との間の入団交渉期間(優先交渉権)は、ドラフト会議当日から翌年のドラフト会議前々日(2日前)まで」となっている野球協約第138条の盲点をついた「ウルトラC」であった。「前日」までとしていなかったのは、球団に新人選択の方針を決定する余裕を与え、納得のいく形でドラフトに望むことができるという配慮からであった〔略〕。
この契約が、とうてい常人には考えられない“抜け駆け〔略〕”を意味したため、野球界だけではなく、日本中が騒然となり、世論は沸騰、〔略〕読売新聞の不買運動も起こるほどの巨人パッシング(巨人たたき)が激化した〔略〕。

南カリフォルニア大学といえば、安倍晋三が「留学」していたと自称(経歴詐称)していた大学…。どういう大学なんだろ。船田一族とか岸一族みたいな日本の保守政治家となんか特殊な関係でもあるんだろうか。