《検証「国が燃える」と南京事件》
以前「オタクちゃんねる」に転載したものを、再掲する。http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/535/1038323808/411-417
しんぶん赤旗 2004年12月27日 http://www.jcp.or.jp/akahata/
検証「国が燃える」と南京事件 笠原十九司(かさはら とくし・都留文科大学教授)
集英社発行の漫画雑誌『週刊ヤングジャンプ』に連載された本宮ひろし作「国が燃える」の南京虐殺事件を描いた部分が、右翼団体や地方議員グループ、その他の南京大虐殺否定派からさまざまな抗議と圧力をうけた。その結果、同誌十一月十一日発売号で、編集部と本宮ひろし氏は連名で「読者の皆様へ」という文章を掲載、虐殺描写の大幅な削除・修正を発表した(経緯については、本紙〔しんぶん赤旗〕十月十五日付十二月六日付で既報)。
「読者の皆様へ」には「訂正について」(以下「訂正」と略す)の小見出しで、削除・修正の箇所が具体的に記されているが、ほとんどは削除・修正する必要のないものである。その理由を「国が燃える」の劇画を検証するかたちで以下に説明してみたい。
連載の第43号(九月二十二日発売号)の欄外に、南京虐殺事件を描くにあたって参考にした文献リストが記されている。なかでも中心的に依拠したのが、猪瀬直樹監修・高岡正樹編集『目撃者が語る日中戦争』(新人物往来社、以下猪瀬本と略す)*1である。
「読者の皆様へ」は依拠した両文献を再検証の結果、否定したことになるが、それならば、その論拠を公開して「論争」に託し、その史料的価値を確認すべきである。第42号
南京城内の残敵掃討の場面(182〜183ページ)
最初の絵は、猪瀬本の「戦闘で破壊され尽くした南京の街・下関(シャカン)大馬路」というキャプションのついた写真(58ページ)をそのまま絵にしている。後ろ手に縛って座らせた中国人の首を日本刀で斬り落とす場面のセリフ「穴を掘って次から次へ首を斬るんだが… 達人は皆、皮一枚残して斬る 皮一枚でついている首がオモリになって自分から穴へ落ちるんだ」は猪瀬本に掲載されている従軍カメラマンの河野公輝さんの証言(63ページ)そのままの引用である。
「訂正」はこのシーンを削除するとしているが、南京城内における残敵掃討作戦において、描写されたような市民の殺害や敗残兵、捕虜の処刑が行なわれたことは、拙著『南京事件』(岩波新書)*2にも記したとおりであり、削除する必要はない。第43号
東京軍事裁判の場面(105ページ)
東京軍事裁判で松井石根が死刑判決をうける場面が描かれ、松井が死刑執行直前に巣鴨拘置所の花山信勝・教誨師に語ったことが「語り」として記され、最後に死刑執行日が記されている。否定派はこれを法定の被告席で松井が南京大虐殺を認めて「証言」した言葉と受け取り「歪曲」であると批判しているが、絵は証言台に立っているのではなく、死刑判決を受けている場面である。松井の「語り」は、自分だけが南京事件の責任をとらわれて処刑されていく痛恨の心情の吐露である。
松井の花山教誨師への「語り」の部分は、第44号にも引用され、「兵隊たちの暴走で」不祥事が発生したと弁解する松井を、主人公の松前洋平(架空の人物)が「すべての責任はあなただ」と批判する(19ページ)。これは、大アジア主義を標榜して中国を侵略した松井石根の欺瞞性を告発する核心の場面である。
「訂正」では前者を削除、後者を修正するとしているが、訂正の必要がなく、もしも訂正したならば、本宮作品の「魂」を抜いてしまったことになり、形骸化して単行本にするのは痛ましいかぎりである。便衣兵処刑の場面(108〜109ページ)
「訂正」では、「百人斬り競争」を連想させ、係争中の名誉毀損裁判(別項)の「関係者の皆様には、深くお詫び」して当該シーンを削除するとなっている。
(別項 二人の将校の遺族が、当時の新聞の「百人斬り競争」の記事で名誉を傷つけられたとして、二〇〇三年、毎日新聞などを提訴した。)
「百人斬り競争」は二人の将校が南京への進撃途中で個別に殺害した競争であり、漫画のような集団処刑ではなかった。
先入観なくこの場面を見れば、便衣兵(私服を着た兵士)の嫌疑をかけた中国軍を日本刀で処刑している場面であり、南京城内外で多くの部隊が行なっていたことである。兵士たちが集団で見学する前で、将校や下士官たちが腕の見せどころと一刀のもとに中国人の首を切り落とし、賞賛をあびる光景は、兵士たちの日記や回想録に多く記録されている。
厳密にいえば、日本刀での処刑は、中国人を座らせて首を切る「据物斬り」がほとんどで、漫画に描かれたように正面からの袈裟斬りはまずやらなかった。ただ漫画というのは誇張した表現を特徴とするものであり、そのことが考慮される必要がある。
「百人斬り競争」の実態は戦闘最中の白兵戦での行為ではなく、無抵抗の敗残兵、投降兵、農民などを「据物斬り」した競争である。詳述する紙数はないが、同裁判のなかで、その事実を証明する史料が多数発掘、収集された。しかも二人の将校自身が「百人斬り」について後日、自ら語り、さらに一人の将校の父親も戦後の追悼録で語っている史料が存在するので、名誉毀損そのものが成立しないことが明らかな状況にある。下関(シャカン)への集団連行の場面(110〜113ページ)
猪瀬本に掲載されている元東京朝日新聞記者の今井正剛氏の目撃談の「屠所にひかれる葬送の列」にもとづいている(55〜58ページ)。漫画に登場する従軍新聞記者の望月正三は今井氏がモデルになっている。年寄りや女子どもふくめて敗残兵狩りで集めた集団を処刑場へ連行する話は、松岡本にも散見する(130、293ページなど)。「訂正」では絵柄、セリフを修正するとしているが、その必要はない。
下関(シャカン)における集団虐殺場面(115〜117ページ)
難民、市民もまざる敗残兵、投降兵、捕虜の集団を下関や長江沿岸に連行して、数百から数千の集団を機関銃で虐殺した事例は、小野賢二他編『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』(大月書店)*3をはじめ、日本軍将兵たちの記録の多くで証明されている確かな事実である。「訂正」はこの三ページをすべて削除するとしているが、そうなれば、南京虐殺事件はなかったというに等しい。
虐殺・残虐行為の諸事例(118〜119ページ)
この二ページにわたる日本軍の残虐行為をのべたセリフは猪瀬本に掲載されている田所耕三氏(元一一四師団重機銃機部隊一等兵)の証言がそのまま引用されている(73〜76ページ)。ただし、119ページのセリフにある「股裂き」については、南京でのことではない。
ここは、南京虐殺関係の写真集に掲載されている写真をもとに絵が描かれている。118ページの三枚の絵のもとになった写真は、南京で撮られたものだという証明はできないものである。しかし、119ページの絵のもとになった村瀬守保写真集『私の従軍中国戦線』(二本機関紙出版センター)*4は南京のものである。
「訂正」では、すべて削除となっているが、レイプや中国人の刺殺などの残虐行為が多くの部隊で行なわれていたことは豊富な史料で証明されている。削除の必要はなく、118ページの絵を確実な写真に基づいたものに修正すれば、問題はなかろう。城内に屍累々の場面(120〜123ページ)
猪瀬本の58ページの下関の写真をもとにして、累々と横たわる屍を加えて描いたものである。このような情景は松岡本の証言でも語られている(たとえば93、213ページなど)。私が史料から知っているのは、下関に通じるユウ江門付近で戦闘と脱出の混乱から多数の中国軍民が死亡、通りに死体が散乱していた情景である。城内街中の大通りで集団虐殺が行なわれた事例はないので、厳密に描くならば、考慮する必要があろう。
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*3: 南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち―第十三師団山田支隊兵士の陣中日記
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