カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「頼りなさ」と「抜き難さ」

近代的であり都市的であり個人主義的であることがらには、「頼りなさ」がつきまとう。「嘘っぽさ」「そらぞらしさ」という言いかたしてもいいかな。とくに田舎にいる時には、たとえば学校的なもの、お役所的なものは、皆、都市的な基準の上に乗っていたので、田舎の風土といっこも整合がとれてなくて、猛烈に嘘臭く、そらぞらしかった。田舎に出現する近代的なものはどれもこれも贋物めいていて、ていうかすべて贋物にしか見えず、でまた実際贋物だった。
前近代的であり非都市的であり共同体主義的であることがらは、どれもこれも「抜き難さ」がつきまとう。怨霊みたいなもので、合理的処理が不可能なもので、組み伏せるのが不可能で、そこから逃げる以外の手段がないのだが、逃れることができるとは長いこと思えなかった。
これは世代や地域によって濃度の差がかなりあるが、このあたりの皮膚的世代的感覚は、私はたぶん平均より約20-30年分くらい、遅れている。