カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

今更、『ハウルの動く城』観ました。/「魔法」と「戦争」

今更、『ハウルの動く城』観ました。上映館が今週からずいぶん減ったけど、それでもまだ上映してました。映画館では見れないと思っていたけど、見れました。徹夜に近い状態で行ったので、見ている間に寝てしまうのでは、と、恐れたけど、そんなことにはならなかった。

動きとか「どこでもドア」は面白かったけど、見終った後、疑問がいくつか。
1;なぜヒロインが「動く城」を壊したのか、理由が判らない。「動く城」が壊れたことによりヒロインは危機的状況になるけど、なぜ「動く城」をヒロインは壊さなくちゃならなかったのだろう? 何かシンボリックな意味があるとしても、ラストシーンでは「動く城」復活しているし。つまりシンボリックな意味を付与したとしてもラストでそれを否定していることになる。わからん。説得的理由は劇中語られていたっけ? 
2;ヒロインは当初、髪は茶色である。「呪い」により白髪になる。さてヒロインが老女となり、恋愛によって「若返る」ということ自体はいいんだが、劇後半、若返ったヒロインの髪は相変わらず白髪である。なぜ? 「成長」を暗喩するのだと解釈してみても、「白髪」は妥当なシンボルだとは思えない。単純に色指定を間違えたんじゃないか、という疑念が湧く。
また「老女」であるヒロインが途中から背筋がしゃっきりと伸びるのだが、それに対し、もうちょい説明ないし周囲のりアクションがあっていいと思う。「恋をすれば若くなる」ということなのだろうけど。
3;「魔法の先生」のところに残されたヒロインの帽子は、伏線ではなかったの? 
「魔法の先生」に「戦争」を終わらせる能力を付与し、セリフで語らせたのは余計だったと思う。戦争は始めることはできるが、止めることは遥かに困難だ。

逆に、良かった点を。
「戦争」は「魔法」をも動員する。それはイギリスでも日本でもドイツでも第2次大戦で実際に行われたことだ。その意味、リアリティがある。
「魔法」により「王宮」は空襲されず、その周辺住人が空襲される、というセリフがあった。ここもリアリティがある。実際、第2次世界大戦では皇居はほとんど空襲されなかった。米軍は皇居を空襲しなかった。皇居を空襲し天皇を除去すると、終戦の交渉相手がいなくなるからだ。「東京大空襲」で空襲されたのは、下町、貧乏人の居住区であり、山の手のお金持ちの居住区は空襲されなかった。米軍は占領時に山の手の高級住宅を占領軍の宿舎として予定していたからだ。
戦争では戦争責任者は最も安全に生活し、貧乏人は召集され国家により殺害され、空襲され殺害される。

さて、「魔法」と「戦争」といえば。
昭和天皇が終戦を決意したのは、「三種の神器」を米軍にとられてしまうことを恐れたからだ。昭和天皇は、水戸学での「正統」な天皇家である「南朝」ではなく、非正統な「北朝」の血筋だ。だから昭和天皇は日本の統治権の正統性を自分の血に求めることができなかった。当時の右翼思想、昭和天皇の「教育掛」である杉浦重剛の思想では、「三種の神器」が天皇位をシンボライズするものだとされていた。「三種の神器」継承者が天皇位としての正統性を持つこととなっていた。だから、昭和天皇は「三種の神器」を奪われる危険を覚えたとき、初めて終戦を考えた。