カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「有害コミック」問題研究論文

マンガの社会的評価についての一考察
加藤正志
http://www.hmt.toyama-u.ac.jp/socio/lab/sotsuron/97/kato/0-contents.html
富山大学 人文学部人文学科社会学コース〕
第二章 マンガの歴史http://www.hmt.toyama-u.ac.jp/socio/lab/sotsuron/97/kato/2-rekishi.html
第三章 マンガはどのように語られてきたのか

マンガ規制略史

http://www.hmt.toyama-u.ac.jp/socio/lab/sotsuron/97/kato/2-rekishi.html
第二章 マンガの歴史
・マンガの社会問題化
 これまでにも所々で触れたように、マンガ、特に子ども向けのマンガはしばしば非難の対象になってきたが、実際にマンガの出版に影響を受けたのは、戦時中というあらゆる物が規制された特殊な時代だけであった。しかし、この「悪書追放運動」においては運動が盛り上がるにつれて行政機関や警察までが動き、(主に青少年の保護をうたう)法律による規制や取り締まりがおきた。〔略〕
 事の発端としては、1955年3月に二つの出来事が起きている。一つのきっかけは「日本子どもを守る会」と「母の会連合会」や各地のPTAなどがマンガのみならず映画、放送、レコードなど広範囲の物に対して非難の声を挙げたことによる。そしてもう一つは『日本図書新聞』に「児童漫画の実態その一」(以降その五まで続く)という特集が組まれたことである。これらに呼応する形で全国紙がマンガを非難する記事を展開していくわけだが、この新聞報道によって運動(騒ぎ)が大きくなっていったふしがある。まず第一に、「日本子どもを守る会」と「母の会連合会」の主張はマンガのみならずさまざまなメディアに対するものだったのだが、新聞はそのうちからマンガや絵物語(前出)だけを大きく取り上げた点、第二に「悪書追放運動」というセンセーショナルな名前は、どうやら新聞の見出しが名付け親であるという点である。特に第二の点に関して、それまで統一した呼び名のなかったこのタイプの運動及びその対象になっているマンガ本に「悪」書、そして「悪」を追放する運動であるという定義を与えることにより、運動の盛り上がり、先鋭化を招いたと言えよう。一部では運動は魔女狩りの態を示し、焚書すら行われた。「行き過ぎ・大人の一人よがり」という意見・非難も少なくはなかったのだが、「悪」を懲らしめる戦いは行政をも動かすのである。
 運動が一番の盛り上がりを示していた4〜5月という時期の真ん中、4月28日に警視庁防犯部が警官 500名を動員し、特価本の発行所・取次店など42箇所を一斉捜査し、37種の雑誌を押収するという出来事が起きた。また5月9日、中央青少年問題協議会が、青少年に有害な出版物・映画等対策専門委員会の結論に基づき、政府に答申している。そして8月19日、文部省が悪書・映画対策として指導方針を決定し、全国の教育委員会、国立学校長に通達を出した。また、地方でも1955〜56年の間に神奈川県、北海道、大阪府青少年育成条例を公布している。
 これに対し、非難を受ける側である出版社・編集者・作家達も手をこまねいていた訳ではない。1955年4月15日「日本児童雑誌編集者会」が発足、当時の殆どの主要な児童雑誌の編集者が集まり、機関紙を出版して議論を広める働きをした。その活動は積極的で、父兄や児童文学者・教育者等との討論会なども行っている。ほかにも出版社側からの自主規制をはじめとして、非難をする側の圧力団体に於いてすら、行政・立法による規制を避ける働きがあった。後述する「有害コミック問題」の時との大きな違いである。
 〔略〕1960年代前半から半ばに大きく取り上げられたのは少年誌での戦記ブームであった。62〜63年頃一番盛んだったが、これにより戦争肯定論・愛国主義が子どもに植え付けられるのでは、と危惧された。さらには67年末から『週刊少年サンデー』で連載の「あかつき戦闘隊」の翌年3月での「あかつき戦闘隊大懸賞」が問題になる。ピストルのおもちゃから果ては1等は日本海兵学校の制服のセット(刀帯・短剣までも)が当たるという代物であり、全国紙でも取り上げられ、多方面から小学館に非難が集まった。
 ほかにも、1960年代後半になると非常に大きな非難を浴びたマンガが登場する。1968年創刊の『少年ジャンプ』で連載された、永井豪の「ハレンチ学園」(68年8月開始)である。ちょうど時代的にはTVで野球拳が話題になっていた頃であったが、「ハレンチ学園」ではスカートめくりなどの性の遊戯化や、権力と性の亡者である教師が描かれ、特に70年のTV化以降に大きく非難されることになる。70年1月8日(朝日)9日(毎日)に新聞の記事になったが、この時は非難のトーンは少なかった。しかしこの記事をきっかけに議論の輪は広がりを見せる。『週刊新潮』『週刊文春』やNHKの報道番組でも取り上げられ、また三重県四日市の中学校長会が追放を決定、県青少年保護条例審議会に有害図書に指定するよう働きかけた。その一方で『毎日新聞』では大人の性急な価値観で規制することに疑問を投げかける社説やハレンチ・マンガと精神発達の阻害との関連性が薄いという調査結果を掲載している。〔略〕
 1970年代のもう一つのマンガ界の動きとして、70年代後半にはエロ劇画ブームが訪れる。掲載される雑誌は月刊が主流で最盛期には40〜50誌にもなった。単に卑猥なものが受けたという訳ではなく、力量ある作家が多数出現し、作家の個性が評価されての人気がブームを支えた。78年の夏から秋にかけて、大阪の情報誌での特集記事やTVの深夜番組への雑誌編集者や劇画家の出演などエロ劇画が大きな話題になったが、78年11月6日に海潮社『漫画エロジェニカ』が、翌年2月5日には笠倉出版社『別冊ユートピア・唇の誘惑』がそれぞれ警視庁防犯部保安一課に”ワイセツ”として摘発された。『週刊朝日』『週刊新潮』『噂の真相』などのマスコミにも当然取り上げられるが、その反社会性を攻撃するでもなくむしろ編集者に「新左翼崩れ」らしくもっと反骨の姿勢を見せて欲しいと注文を付ける記事であったり、表現の自由といったきれいごと抜きの仕事だという制作側の意見を掲載したりと、同じ性的な表現が問題になった「ハレンチ学園」や後の「有害コミック問題」とは違う対応を見せている。
 さて、エロ劇画の次には、1980年代前〜中期にロリコンマンガのブームが訪れる。〔略〕
 さて、その「有害コミック問題」であるが、事の発端を挙げるとすると、1990年8月に東京都生活文化局婦人計画課が発表した「性の商品化に関する研究」と、9月頃から和歌山県田辺市を中心に起きた住民運動の二つということになろう。前者は色々なメディアに取り上げられた女性蔑視的な表現を調査したものであるが、第3章で触れられた「マンガの内容分析」が、『朝日新聞』で翌日「(マンガの)半数にセックス描写」と、大きく取り上げた。また後者は、8月初頭に地元の新聞の投書欄に取り上げられた「出版物の行き過ぎを規制するよう行政当局の対策を強く促したい」という内容の2通の投書をきっかけに、「コミック本から子供を守る会」を結成し、地元紙や市とも連携して運動を展開し、これも大きく取り上げられた。また、9月4日には『朝日新聞』に、先の調査をもとにした「貧しい漫画が多すぎる」という社説が掲載された。そうでなくとも地域ごとに問題視されていた性的な表現を含むマンガの問題は、これらの記事をきっかけに一気に全国規模に広がった。
 この運動の大きな特徴は、世論が法規制を容認する流れに傾きつつあったという点であろう。以前の例、例えば1955年頃の「悪書追放運動」では、問題提起した側も行政も法規制を避けるために業界の自主規制を強く求めていったが、「有害コミック問題」ではまずきっかけになった田辺市の団体が出版社よりも先に行政に働き掛けて規制を求めたし、マスコミも擁護せず、国会議員も「子供向けポルノコミック等対策議員懇話会」を設立したり、規制を求める市民からの「請願」への対応の雛形の準備するなど、できることなら法規制したいという姿勢が見られた。その理由として、1988〜89年にかけてマスコミを賑わせた少女連続誘拐殺人事件の犯人の部屋から大量のホラービデオと共にロリコンマンガ等が出てきたため、そのような本は規制すべしといった考えをその事件の時からずっと引っ張っていて、この「有害コミック」騒動の時に花開いたという背景があるのではないかという説もある(大塚、1991、80頁)。また、1989年9月には、岐阜県の青少年保護育成条例による有害図書の規制に関して最高裁が「合憲」の判断を下している。このことが自治体や警察にとって規制に対する「お墨付き」になったという背景もあった(中河、1993、80頁)。
 他の相違点としては、「悪書追放運動」が主に中央の動きが全国に広まっていったのに対して「有害コミック問題」は地方から起こった運動が中央に押し寄せた、「悪書追放運動」では出版側では編集者だけが頑張っていたが「有害コミック問題」では92年3月にマンガ家達がコミック表現の自由を考える会」を結成、マスコミに活動が取り上げられたりして一定の成果を挙げた、「悪書追放運動」では個別のマンガが名指しで批判されたが「有害コミック問題」では「性表現を含む子ども向けマンガ」というジャンル全体で非難された、などがある。3つ目の件に関して、特に槍玉に挙げられたマンガを1つ挙げるとすれば「ANGEL」(遊人、『ヤングサンデー小学館)であろうか。「ANGEL」は大手出版社である小学館の雑誌で連載され、絵柄も可愛らしくその点が規制推進派に「子ども向けと見分けが付かない」と言われた原因でもあろう。このマンガは10月12日発行の『ヤングサンデー』の掲載をもって休載に追い込まれる。しかし、誌上では翌月に「有害コミックってナンなんだよ〜!? 『ANGEL』問題を考える!」という連載企画がスタート、読者とともに問題を考える姿勢を見せた。
 これに限らず、当然出版社側としては法による規制だけは何としても避けねば、と自己防衛策に乗り出す。出版倫理協議会・雑誌編集倫理協議会は自主規制として、内容のトーンダウンの他に、「成年コミック」マークをつけ、そのような本が子どもの手に入らないようにという手段をとった。しかしこれが実行に移された後にも出倫協・雑協への抗議は止むことはなく、しかも「成年コミック」マークが付いた図書に「有害」指定がなされるという事態も起きた。だが、最悪の事態である「中央法制化」だけは回避された。