カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「憲法」関係の「知識」メモ

id:toxandoriaさんのブログから「憲法」関係の「知識」をメモっておきます。

http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050519
●歴史と向き合って「反省」することがどうして「自虐史観」だなどと言えるのでしょうか。もし、歴史を反省することが「自虐史観」だというのであるならば、このほどベルリンに「ホロコースト記念碑」を17年越しで完成させたドイツ人たちの勇気ある行為(詳細はURL、
http://www.asahi.com/world/germany/news/TKY200505090321.htmlを参照)は「自虐史観の記念碑づくり」だということになるでしょう。だから、「自虐史観」のような視野が狭い批判の言葉は、不勉強な輩の単なる“強がり、開き直り”の類なのです。ともかくも、勇気あるドイツの人々の「反省」の中から、現在の拡大EUの一角を支える新たな理念が創造されたのです。つまり、サビニーが樹立したドイツ法に関する「歴史主義」についても同様のことが言えるのです。「反省」の接木によってこそ、人類の未来は切り開かれるのです。(ドイツ人たちが自ら犯した誤りであった歴史についての「反省」がどのようにして拡大EUの理念の中に取り込まれているかについては右のURLを参照)http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050329

http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050519
2 「プロイセン憲法」を手本とした「大日本帝国憲法」の特徴
●あまり話題に取り上げられませんが、「大日本帝国憲法」の第1章「天皇」の直前に「告文」と「憲法発布勅語」が置いてあります。大雑把に言ってしまえば、この内容は、国家主権が天皇にあることを権威づけるための序文(前置き)です。つまり、大日本帝国は皇宗(神武天皇)に始まる万世一系の皇室(天皇家)を仰ぐ神の国(神聖なる国家)である。このように畏れ多い主権者たる明治天皇から下賜された「大日本帝国憲法」を臣民は心して拝受の上、それを遵守し、決してこの憲法に背くことなどないように愛国心を大いに奮い立たせなさい、というようなことです。
●そして、ここで隠然と強調されるのが万世一系天皇に仕える臣民(日本国民)が誇りとすべき民族精神(大和民族)の伝統です。このようなプレリュードの演出は、先に「(1)ナチズム誕生のプレリュード」の中で触れた「プロイセン憲法」の焼き直しです。プロイセン・ドイツの"名演出家”サヴィニーの国家理念づくりの「巧み」が日本の根本法の中で見事に生かされている訳です。そして、現在の日本における改憲論者の多くが着眼しているのは、このサビニーの“名演出”ぶりへの回帰ということです。
●これは誤った歴史の繰り返しに繋がる可能性が大きく、まことに危険なことです。しかし、もしも、このようなことを大声で主張すると、それは“杞憂でバカげた心配ごと”だと一笑に付す楽観主義的な傾向が強いようです。しかし、それは国家における「法」についての歴史的な意味と役割を十分シビアに理解していないだけのことです。どのような悪法であるにせよ、いったん決まってしまった「法」には絶対に従わされることになります。“マア、マアそこは常識で・・・”などと笑って済ませることは最早できないのです。鞭で叩かれ、銃口を向けて暴力的に強制されるまでもなく、それが「法の支配の原則」だということを理解すべきです。

http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050519
●「大日本帝国憲法」は、見かけ上ヨーロッパ諸国の近代憲法の体裁をとっていますが、君主の権威が強大なドイツ帝国プロイセン・ドイツ)型の立憲君主制を手本とし、そこへ日本独自の「万世一系天皇」を中心とする国家観を付与したものです。つまり、それは絶対君主主義的性格のものでもあります。結局、「大日本帝国憲法」は、「議会という立憲的要素」と「絶対君主主義的要素」の二つを併せ持つ憲法ですが、「外見的立憲主義」と呼ばれています。

http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050519
●[主権、基本的人権]旧憲法は、外見上は表現の自由などの権利を認めています。しかし、それはヨーロッパ諸国(特に英仏など)の自然権的な人間としての権利ではなく、主権者たる天皇が、恩恵的に、上から下の国民へ与えた権利に過ぎなかったのです。つまり、「信教の自由」以外は、いずれも法律で制限できることになっていました。この「信教の自由」にしても、「安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に背かざる限り」(第28条)という条件がついたものであったため、現人神(あらひとがみ)たる天皇及び国家神道靖国神社伊勢神宮)を礼拝することが臣民たる日本国民に強制されることになったのです。
●[非常大権]天皇は、あらゆる権利の上に立つ「非常大権」(第31条)を持つと規定されているが、旧憲法の解釈と運用に関しては、この天皇の「非常大権」を重視する「神権学派」(穂積八束など)と「立憲学派」(美濃部達吉など)の対立がありました。一時、大正デモクラシ-の時代には「立憲学派」が優位となりますが、昭和に入り軍部の勢力が強まるとともに責任政党による議院内閣制は崩壊し、「神権学派」の解釈が正統とされるようになります。やがて、陸・海軍大臣は現役の武官でなければならないとする「陸海軍大臣現役武官制」(1936/昭和11)が成立すると、非常大権を持つ天皇が軍部(大本営など軍令機関)の輔弼に対し消極的な対応をとったこともあり、この「天皇の大権」を後ろ盾とする軍部は内閣の進退も左右できるような強大な独裁的権限を持つに至ります。つまり、このころからの日本は、軍部の独走を誰も止めることができない政治制度の国となってしまった訳です。そして、この時に戦争突入の大義名分として利用されたのが「軍事国体論」と、上から国民に対して与えられ(強要され)た「愛国心」です。結局、国家ガバナンスの歯止めが効かなくなった日本は軍事ファシズムを許すことで全面戦争状態へ突入し、第二次世界大戦の悲劇・悲惨・敗戦をもたらすことになったのです。
(軍事国体論を掲げた日本が、無謀な太平洋戦争へ突入することになる顛末については、右のURLを参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050419
3 「歴史反省」に立脚する現代ドイツ憲法
<注>第二次世界大戦後のドイツがナチスを中心とする過去の歴史と深刻に向き合ってきたことを「過去の克服」(Vergangenheitsbewaeltigung)と呼ぶ。
(間接的な関連という意味で右のURLを参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050329
●ドイツ憲法(通称、ボン憲法/正称、ドイツ連邦共和国憲法)も日本国憲法と同じように連合国軍の占領下で起草されました。しかし、一つだけ日本の場合と大きく異なる点を挙げるならば、それは、初めから「ドイツ憲法は政治に制度的な枠組みを与えるものである」こと、つまり“ドイツ憲法の授権規範性”が、先ず権力的立場に立つ者たち自身によって明確に意識され、かつ国民一般に対してもこの点が周知されてきたということです。
・・・(余談)実は、これが日本国憲法をめぐる「哀れな事情」(たとえ自虐的だ!と右寄りの方々から非難されようが、こう言わざるを得ない)と決定的に異なる点だと思います。第二次世界大戦敗戦国の立場という意味で、起草の理念は、ほぼ同じであったはずなのに、何故こうなったのかという議論をあまり見たことがありません。これ又、何故なんでしょうかネ?

http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050514
(現代日本の状況とヒトラーの時代の類似点)

ところで、まったくもって余談なのだが、id:toxandoriaさんの中の人の名前は徳永さんとか徳島さんとかおっしゃるのだろうか。