カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

津久井龍雄

『日本の右翼』から、以下抜粋。

「国士の風格を持った右翼人」と評されていた津久井龍雄が、平成元年九月九日朝、心筋梗塞のため〔略〕亡くなった。〔略〕
津久井龍雄の著作〕『右翼開眼』は、右翼人として最初に中国を視察したときの率直な感想をまとめたもので、当時の日本共産党はこの本を高く評価し、細川嘉六が『アカハタ』紙上に長文の書評を書いたほどであった。〔略〕
西ドイツも〔日本と〕同様に連合国憲法改正を迫られたが、日本の吉田内閣のようにすんなりとは受け入れなかった。西ドイツが占領下にあり、東西に分割されたことなどを理由にあげて、憲法とはせずに「ドイツ連邦共和国基本法」の名称にとどめ、その百四十六条にこの基本法は「ドイツ国民が自由な意志で決定した憲法が施行される日に効力を失う」と規定した。〔略〕ヨーロッパには、ハーグ条約以後、国家の一部または全部が外国軍隊の占領下にある場合は、憲法改正は認めないという考え方が定着しているのである。
〔略〕津久井再軍備に反対した理由は三つあった。
第一点は、再軍備が明らかに憲法違反であること。たとえ新憲法が連合軍が押しつけた「占領憲法」であっても、それが有効な間はこれを遵守しなければ、国自らが法の尊厳を破ることになるという立場である。
第二点は、新憲法下での再軍備は、占領体制の軍事的延長にすぎないこと。したがって装備面だけ強化された自衛隊は、国軍として自立できず、米軍の補助部隊ないしは隷属的性格から脱しきれない。
第三点は、真の国軍を編成するには憲法改正しかないこと。すなわち交戦権を放棄した軍隊は存在の必要がないし、隊員の士気もあがらず、防衛力としても期待できないというわけだ。
津久井憲法改正―国軍創設を前提とした再軍備反対論は、少数意見ながら強い支持を受けた。その論旨は必然的に日米安保破棄論へと連動していった。だが、この時点では親米反共路線を志向する右翼の圧倒的部分は吉田内閣の再軍備政策を支持していた。そこに戦後右翼の思想的不毛があった。〔略〕
私〔猪野健治〕は平成元年三月二十五日と五月一日の二度お見舞いを兼ねて津久井をインタビューした。〔略〕
津久井 率直に言って昭和天皇は、それほど優秀ではなかったと思う。戦争が終わったときに退位されて、皇太子を摂政にされたらよかった。〔略」そうすれば今ごろ戦争責任問題なんて出て来ない。
――新天皇朝見の儀での護憲発言について。
津久井 あれは当然の発言だ。今の憲法は不備だらけだが、現実にそれが有効である以上、天皇としてはそれを護ると言わざるを得ない。憲法の中には改正条項もちゃんとうたわれているんだから。〔略〕
――右翼の昭和維新運動をどう見ていますか。
津久井 〔略〕ぼくらは昭和維新運動に失敗した側の一人だから、今さらほかを批判する資格はないけれども、結果から言えばむなしさだけを感じます。たとえば二・二六事件は、昭和維新の断行を主張しながら、自らは政権をとる意志をもたなかった。政権を取る意志がないから、したがって具体的な政策ももっていなかった。君側の奸を倒したあとは、だれかに政権をとってもらう――というのでは、あとがどうなっていくかわからない。〔略〕展望を持っていなかった。
結局、そのあとはつまらん者が大将になったり元帥になったりですよ。軍人の中では気骨のある石原莞爾将軍なんて予備役に追い出されて、東条英機なんて木偶の坊みたいなのが首相になって…。〔略〕
当時、ぼく〔津久井龍雄〕らの周囲の革新的な考え方は、天皇を革新に利用するといったら語弊があるけれども、天皇を中心にして、天皇のご意志というものは資本主義的なものではないということで、社会主義天皇によって肯定し、天皇によってそういう運動を起こそうというのが昭和維新の思想だった。*1[279-310p]

*1:

日本の右翼 (ちくま文庫)

日本の右翼 (ちくま文庫)