カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

『キリンヤガ』

 以下、1999年1月8日に書いた文だけど、一部文章を手直しして転載する。
http://www.din.or.jp/~kamayan/nikki/nikki12.htm
 『キリンヤガ』(マイク・レズニック著、早川文庫)*1
 「SFというジャンルにとどまらず、すべての本好きに読んでもらいたい作品」と訳者が言ったのは誇張ではない。ユートピア物語は常にアンチユートピア物語になる。レズニックはそのことに自覚的だ。
 未来の物語だ。西洋化してしまったケニアを捨て、主人公コリバが、キクユ族のためのユートピア小惑星「キリンヤガ」に渡る。「キリンヤガ」を西洋文明に「汚染」されることから守るため、キクユ族の伝統を伝える祈祷師として、コリバは孤独な闘いをする。
 『空にふれた少女』は、『キリンヤガ』連作の中でも、著者レズニックが最も好んでいる話だそうだ。「古き良き共同体で暮らすには聡明すぎた少女カマリの悲劇」と裏表紙で要約されている。『キリンヤガ』全編は、この中篇の変奏曲だ。『キリンヤガ』にはいくつも寓話が登場する。ダチョウになろうとしたモズの寓話を、祈祷師コリバが子供たちに語る。寓話を聞いた後、少女カマリが言う。「ダチョウになりたいと願うのと、ダチョウが知っていることを願うのは別なことよ。モズがなにかを知りたいと願ったのはまちがいじゃないわ。ダチョウになれると思ったのがまちがいだったのよ」これにコリバが応える。「ちがう。モズはダチョウの知っていることを知ったとたん、自分がモズだということを忘れてしまった」
 …作中では、ダチョウは西洋文明人を、モズは少女カマリとキクユ族を指す。だが、著者レズニックはこの寓話に暗に別な寓意も与えている。ダチョウは(過去の)キクユ族、「ダチョウの知っていること」はキクユ族の伝統社会、モズは「ヨーロッパとアメリカで学位を収めた」コリバを指している。寓話を語っているコリバはそのことに気づいていない。だがレズニックはそれを意識している。読者はそれを読み取ってほしい。
 西洋文明に触れた者はみな汚染され、黒いヨーロッパ人になる。コリバはそう主張する。だからコリバは防波堤になろうとする。コリバはなぜそれを主張できるか。ヨーロッパとアメリカをコリバが見てきたからだ。コリバは自分を最も純粋なキクユ族だと信じている。だが、コリバは、純粋なキクユ族になりたいと願う黒いヨーロッパ人、裏返しの黒いヨーロッパ人でしかないのだ。悲劇は全てそこから生まれている。
 ユートピア「キリンヤガ」は、過去に実在したキクユ族の伝統社会ではない。ユートピア「キリンヤガ」ではキクユ族の言葉ではなく、スワヒリ語が用いられている。このことは控えめに書かれている。だが著者が込めている寓意としては重要だ。
 著者レズニックは、コリバにとってのユートピアに苦しめられる、コリバの対立者たち・少女カマリたちに共感している。共感の筆致は控えめだ。コリバの一人称であるがゆえなのだが、むしろ読者はコリバと一体化し、物語を読み進める。読者はそのことにストレスも覚えないし、コリバを異常だとも感じない。コリバは善人だ。コリバは物語の中で最も知性と知識を持った人物だ。同時にコリバは、救いようのない父権主義者・人種差別主義者・国粋主義者鎖国論者・衆愚政治家・狂信者だ。著者レズニックが小説家として有能で上手いのは、にもかかわらず、読者を、狂信者コリバにも(コリバの対立者と)等しく優しい視線を注がせることに、見事に成功しているところだ。
 『キリンヤガ』をいたずらに短絡して政治的に読むのは危険だ、という意見は正しいと思う。狂信者であるコリバと著者レズニックを同一視したら、誤読しかできないからだ。だが、メタレベルでの政治的意図は著者レズニックにはもちろんあると思う。
 鎌やん的には、K・V・ウォルフレンの日本論との呼応を感じながら『キリンヤガ』を読んだ。『人間を幸福にしない日本というシステム』でウォルフレンは言っている。…私(ウォルフレン)には「西欧中心的」という言葉の意味がよくわからない。たしかに私の育った文化は西欧文化と呼びうるし、その育ちが、私の考え方の形成に大きく影響したのも間違いない。そして、その影響のいくつかの側面に私自身が気づいていない可能性があることも認めよう。しかし、私が政治・経済のリアリティについて書くとき、私は、人類の共有財産の一部である概念体系(ランゲージ)を使っていると信じている。「…日本人技師が計算で代数を使ったら、それはアラブ中心的活動をしたことになるのか? 代数学はアラビアで発達したものだが、それを使う技師をイスラム主義者と呼ぶのはばかげている。フランスのグラフィック・アーティストが木版画の技術を応用したら日本主義者なのか?」
 日本にあまたいる少女カマリ、少年ンデミたちの未来が、明るいものとなりますように。

*1:

キリンヤガ (ハヤカワ文庫SF)

キリンヤガ (ハヤカワ文庫SF)