カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

議員数はこれ以上減らしてはいけない。


議員数はこれ以上減らしてはいけない。
議員数を減らせ、という俗論がある。たとえば小沢一郎が語り、民主党マニフェストに書き、私のブログを読んでくれているらしい http://d.hatena.ne.jp/oasis-a/20050930 といったところで国会議員を減らせ、という意見が書かれる。
私はそれに反対する。議員数はむしろ増やすべきだ。
議員は理念的には庶民から選ばれる。庶民を代表し、官庁・官僚組織・行政機関を統括するのが議員である。選ばれた後の議員がどの程度無能であったかどの程度有能であったかの評価は残酷になされるべきだ。だが議員を減らすべきではない。議員に対立するのは官庁・官僚組織・行政機関である。だぶつき、金を食らい、情報隠蔽しているのは官庁・官僚組織・行政機関である。官庁・官僚組織・行政機関が何をしているのかを晒し公開し大衆に審議させ判断させる機能を負っているのは議員である。議員の数を減らすと、相対的に、議員vs官庁・官僚組織・行政機関の力関係で、後者が強くなる。つまり官庁・官僚組織・行政機関の不正や暗部を暴く手段を大衆はそのぶん失うことになる。
「議員を減らす代わりに議員のスタッフを増やせばいいんだ」という反論もあるかもしれない。ならば先に官庁職員を減らし、議員のスタッフを増やし、しかる後に議員の数を削るべきだ。それならば削られた官庁職員が議員スタッフになり人材が有効活用されるかもしれない。スタッフの数すら極めて少ない現状でさらに議員の数を先に減らすことは、人民と官吏の力関係で後者が圧倒的に強い現状で、さらに前者の力を削ることしか意味しない。
永田町や、あるいは都議会、地方議会は、現状でそれぞれ「永田町村」「都議会村」「地方議会村」を構築している。小さい、俗世から隔絶した村は、社会とは異なる論理が支配する。我々はそれぞれの村を監視し、それぞれの村に積極的に関わるべきだが、村の定員を削れば削るほど、村住民は特定階層特定出身者に純化され、我々マイノリティの意見はそこに届きにくくなる。
我々は大衆であると同時に、現在の大衆はマイノリティの集合体である。

我々は大衆であり、現在の大衆はマイノリティの集合体である。「世代論」が有効でなくなった頃から「オタク」は誕生した。
かつて、戦前の日本社会は、出身地域が同じであるのなら、「同郷」であるのなら、前提抜きで話が通じた。(小選挙制という制度はそれを前提している)
太平洋戦争の後、「同郷」である共通項より、「戦時中に何歳だったか」「終戦時に何歳だったか」という共通項のほうが、人にとってより重みを持つようになった。世代ごとの共通経験は、「同郷」である共通項より遥かに強靭な紐帯だった。「同郷」であることが無意味となり、「同世代」であることが重要になった。その時期、「世代論」が有効になった。
日本人のほとんどが「戦後」生まれとなり、「世代論」が失効した。
「世代」の共通経験がなくなり、「同郷」であることはとおの昔に無意味になり、その後は、「同じ趣味を持つ」ことがかろうじて人と人との共通項となった。「オタク」はその時期に誕生した。共通のサブカル体験を持ち、共通のサブカル情報を持つことが、かろうじて人と人とを結んだ。(これは、「共通の信仰をもつ」新興宗教と機能等価なものだ。だからカルトとオタクは競合する。)

それぞれの「オタク」趣味は、マイノリティな、少数派だ。我々大衆は、現在、このマイノリティの集合体である。
マイノリティの集合体である大衆をいかに統治するか、これが「統治」側の課題となる。手法は何種類かある。
最悪な手法は、「霞ヶ関村」の存在を隠し、「霞ヶ関村」を管轄する機能が果たせないほどに「永田町村」を縮小させ、「永田町村」を「霞ヶ関村」に今までと同じように従属させ、マイノリティ同士を不毛にいがみ合わせ、マイノリティたちの意識を逸らさせ続ける、という手法だ。
「永田町村」は歴史的経緯から、延々、「霞ヶ関村」に従属してきた。逆に、本来の名目通りに「霞ヶ関村」を従属させようとする議員は、常に例外で少数派だ。しかしながら、だからこそ我々は例外で少数派の議員を全力で応援し、支援しなくてはならない。例外で少数派の議員こそが我々の味方であり我々の代弁者足りうるからだ。そういう少数派議員は現在、以前よりは「永田町村」に進出しやすくなった。これは一時的な現象なのかもしれない。だから我々は少数派をより多く「永田町村」へ送るべく、力を尽くさなければならない。
議員の数を減らすことは、我々の代弁者足りうる少数派の議員から削られていくことを意味する。自身がマイノリティであることを自覚できるほど自身の実像を認識できる有権者は多数派にはなりにくいからだ。だから我々は、例外的議員を増やす機会を制度が削ってしまわないよう、意識しなくてはならない。
現状で、議員と高級官僚の出身高校は、かなり少数に絞られている。高校を同じくする者同士は、表からは見えないインナーサークルを形成している。このインナーサークルから外れている者は、少数派として排斥されやすい構造になっている。議員の数を今以上に削った場合、残るのは彼ら「特定少数高校出身者」であり、排斥されるのは「特定少数高校出身者以外、特定少数高校出身者と価値観を同じくしない全ての人々」である。
議員の数をこれ以上、制度の上で減らしてはならない。議員の数はむしろ増やすべきである。

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