カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

異なるメディアへの「翻訳」

webと紙メディアの関係は、英語圏と日本語圏、日本語圏とスペイン語圏、といった関係に似ている。と、この頃思う。紙メディアでは遥か昔に(ごく当然に踏まえるべき知識として)語られていることが、webにはなかなか流通しない、webで流通している言説が紙メディアになかなか反映されない。
webでは意外な情報が常に流通している。紙メディアが持っていた制約(たとえば流通による制約とか、印刷数の限界とか)をwebは持たないからだ。
webにある情報は刻々と豊かになりつつあるが(たとえば7年前時点ではwebにあった情報は、少なくとも日本語で記述された情報は、まったく貧弱で使いものにならなかった)、紙メディアに存在する情報のエッセンスを私たちはwebへ適宜写す作業が必要だろうと私は考える。紙メディアで遥か昔に語られた重要情報は現在ではたとえば国会図書館へ行かなければ読むことが困難だったりする。webはそこを貫き打破する機能を持っている。その機能を私たちは有効に使うべきである。
これは「翻訳」が異なる言語圏間で果たす機能と等しいと思う。
(だからwebで情緒を垂れ流し《だけ》しているのは、まったくもって宝の持ち腐れである)

ぽちっとな