カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

国民投票法/戦う枝野幸男

辻元清美ブログから。

http://www.kiyomi.gr.jp/blog/2006/06/01-991.html
2006年6月 1日 国民投票法案めぐり与野党決裂――憲法の未来を見据えた一日(2)
午後1時から、本会議。提出された両法案の趣旨説明が始まった。自民党側の議員席にはパラパラと空席が目立つ。〔略〕
趣旨説明のために、民主党枝野幸男議員が登壇すると、猛烈な野次が飛んできた。〔略〕この野次は異常、そして幼稚。ときおり「うるさい!」と制しながら原稿を読み進めていた枝野議員だが、答弁のときにいったん原稿から目を離し、野次のとんでくる方向を見据え、声をおとして「いいのか、それで?」と言った。もちろんマイクは拾っていたから傍聴席にも聞こえていたとは思うが。
私はこのとき、枝野議員が腹を固めたな、と感じた。
私の質問のときも、枝野議員のときほどではないがすごい野次。とくに「自民党など保守の人たちも含めて、歴代の内閣もまた『改憲手続き法』を作らないことに、意味を見出してきたのです」と述べたときには蜂の巣をつついたような騒ぎに。でもその通りなんだから仕方がない。自分たちの先輩方が何を考え、何を選び、または選ばなかったのか――いまの自民党議員たちは、もっと謙虚になって学んだ方がいい。
とにかく私は、この法案が「手続法」の名を借りた「改憲準備法案」であること、その証拠に「憲法審査会」なる耳慣れない機関がツルっと設置され、自動的に改憲へのベルトコンベアーに国民みなが乗せられてしまう危険を力説した。
私はまた、自民党ではなく、民主党だけに次のように質問した。
「昨年、自民党は『新憲法草案』を発表しました。この草案については、『国民が遵守しなければならない責務を国家が規定している』などの点において、近代憲法の原理を逸脱している、という指摘が専門家からも出されています。自民党の『新憲法草案』についてのこのような指摘を、民主党の法案提出者はどのように考えますか。率直な意見を求めます」
答弁に立った枝野議員は、ちゅうちょなく「自民党の新憲法草案は、今申し上げた憲法の定義を全く理解していない論外のものであると強く申し上げたい」と発言。これまで以上のすさまじい野次。枝野議員がひるまず「国民に対する命令と解される内容が含まれていること、これは憲法のイロハがわかっていない議論であるといわざるをえない」と指摘。そもそも国会は憲法の範囲内で国民に対して自由に義務を課せるのだから、<法律でこれを定める>という規定を憲法に書くこと自体、これまた憲法のイロハがわかってない――と発言したときが、賛同の拍手と罵声が入り混じった、今日の本会議最大の見せ場となった。
本会議は30分以上も延長し、間髪いれずに憲法調査特別委員会が再開。両法案の趣旨説明が機械的に行われ、すぐさま理事懇談会へとなだれこむ。全理事が席につくやいなや、自民・民主は互いに怒りをぶつけあう。「あの野次はなんだ! ひどすぎる!」と民主。そうだそうだと私。自民党の面々も枝野議員があそこまではっきり批判するとは思ってなかったらしく、怒りで顔が紅潮している。〔略〕来週の憲法調査特別委員会は開かないことになって解散。自民・公明は無理して理事懇談会を開いたものの、民主を含めた野党との立場の違いだけを浮き彫りにした結果となった。〔略〕

民主党HPから。

http://www.dpj.or.jp/news/200606/20060601_08edano.html
2006年06月01日 【衆院本会議】枝野議員、民主党国民投票法案の趣旨を説明 〔概要〕

枝野幸男HPから、議事録。

http://www.edano.gr.jp/dpj20060601.html
衆議院-本会議 日本国憲法の改正及び国政における重要な問題に係る案件の発議手続及び国民投票に関する法律案
趣旨説明 
平成18年06月01日 民主党・無所属クラブ 枝野幸男
〔略〕
以上が本法律案の主な内容ですが、最後に、皆さんに申し上げます。
ひとつは、この法律案と与党案が、1946年の憲法改正後に審議されてきたすべての法律案の中で、ある意味、最も重要な法律案であるということです。
私たち国会議員は、さまざまな政策課題について、さまざまな権限を行使しています。このことの正当性は、すべて憲法に由来します。その憲法改正に関わる手続が中立公正でなければ、権限行使の正当性そのものが揺らぎます。
46年改正以降、憲法改正手続に関する法律案の審議は、一切なされてきませんでした。今回はじめて行われるこの審議が、慎重かつ真摯に、そして公平公正になされなければ、他のすべてについて、私たちの議論と権限行使そのものの正当性が疑われます。
また、各種世論調査等によると、憲法改正国民投票が必要であることを知っている国民は、多くても2割程度にとどまってきました。国民自身が、みずからの主権を行使するための手続なのですから、その中身について十分な理解を得た上で整備すべきことは、当然です。中身どころか、必要性すら周知されていない状況を踏まえるならば、国会での開かれた真摯な議論を通じて、まずは国民の理解を得ることが重要です。
議員各位には、ぜひ、こうした謙虚な姿勢で法案審議に臨まれること、そして拙速に陥ることなく、広範な理解と合意を形成するために努力されるよう、強く希望します。
もう一つ、まず具体的改正案をお持ちの皆さん。これら法律案の審議は、「改憲への一里塚」でも、「改憲へのステップ」でもありません。憲法改正の是非を判断するのは、主権者たる国民であり、これから議論される手続が「改正のための手続」としての意味を持つのか、それとも「改正を否定するための手続」としての意味を持つのかは、その都度、国民が決めることです。
「改正に向けた」ものとしてこの法律案をとらえ、そのような主張をされるならば、改正に有利な制度になるのではないか、中立公正な制度にはならないのではないかとの、重大な疑義を生じます。これは、わが国の立憲主義にとって自殺行為です。私は、このような考えを持ち、このような発言をされる方々とは、この法律案について真摯に議論することが不可能であると考えています。
一方、一切の憲法改正に反対であることを表明している皆さん。皆さんは、国民の多くが憲法改正を望んでいないとして、そのことを、国民投票法制が必要でないことの論拠としています。しかし、そうであるならば、むしろ国民投票によって具体的改憲発議を否決し、そのことで、国民の意思を、より明確にすべきではないでしょうか。
もちろん、制度設計によっては、国民の意思が正確に投票結果に反映しない恐れがあるのは確かです。しかし、だからこそ、改正を目指す者と、改正に反対する者とが真摯に議論し、双方が納得できる中立公正な制度を創設することが重要なのであり、皆さんはそのことに、重い責任を負っており、積極的な役割を果たす必要があるのではないでしょうか。
私は、この法律案のうち、少なくとも憲法改正に関連する部分については、時間をかけてでも、全会一致で制定されることが望ましいと考えています。繰り返しますが、改正賛成派に有利であっても、改正反対派に有利であっても、国民の正確な意思を捉えることはできず、そうなれば、立憲主義と民主主義そのものの自殺行為です。そうさせないために、私たち民主党の責任が重いことを自覚しつつ、議員各位に、謙虚かつ真摯な議論を重ねてお願いして、趣旨の説明といたします。

ぽちっとな