カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

人は風景を記憶する。懐かしい思い出は、その風景の中にある。

人は風景を記憶する。懐かしい思い出は、その風景の中にある。建物は風景のなかにある。そして、多くの思いをこめて維持され、次の世代に伝えられる風景こそは、伝統文化そのものである。(182p)
なぜ、数百年をへた木々を見ると心が落ち着くのか、なぜ、到津の森〔北九州にある森〕に戻るとほっとするのか、それは日本人としては、じつにわかりやすい。木は神だからである。(188p)

戦う動物園―旭山動物園と到津の森公園の物語 (中公新書)

戦う動物園―旭山動物園と到津の森公園の物語 (中公新書)

島泰三の文章は織り込まれた重みを感じさせ、湿気は多くないが切ない。この本は動物学者島泰三が、北海道旭山動物園と北九州到津の森動物園を立て直した園長二人の対談をもとに構成したもの。
安田講堂の闘争を濃厚に体験し記述した島泰三http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20051223#1135279860がこの言葉を発するところに、織り込まれた深みを覚える。
引用したこの文章から、色々つまらないことを連想した。メモしておく。
私の生家にはたいへん立派な桜の木があった。複数あった。立派な杉の木もあった。私の生家での記憶はある意味その桜の木とともにあった。生家は私が小学生の頃建て替えられた。父母は木を伐ることにあまり頓着がないようで杉の大木はその建て替えの時無残な伐られかたをし、数年間惨めな姿を晒し、私が高校生だか大学生だかの時に最終的に伐り倒された。幼少期に過ごした懐かしい記憶の残る古い家は数年間倉庫として放置された後壊され無様なプレハブとなった。そのプレハブも今は残らない。少年期の鬱屈な記憶とともに過ごした家も数年前壊され建て替えられた。私の幼少期の記憶とともにあった桜の大木は先日帰郷した際に見たら消えていた。太い枝の一つを伐ったかどうかして数年していたから、その枝から腐敗が進み朽ちてしまったのかもしれない。消えたのは数年前からだったかもしれない。我が父母は思い出を大切にしないし記憶を大切にしない。自身の感傷には執着するが親族の感傷には無頓着だ。たぶん私も似た性格を受け継いでいる。
私は私なりに千年前の祖霊を慕い敬っているつもりであるが、記憶の風景を変えてしまうことに頓着しない父母は、特に建築において金の使い方が場当たり的で計画性がなく、島泰三の言葉を変奏すると、古き神々への畏敬の念が乏しいのかもしれない。そのためか、生家に私が感じるのは、かつても今も他人な感覚だ。そのことを悲しく連想した。我が父母は悪人ではないのだが私に対しひどくご都合主義なところがあり、そのご都合主義を真剣に内面化し咀嚼しようとしたことが我が人生最大の桎梏だ。
半月ほど前に某占いをした。やはり生家と縁が薄いとの卦が出た。生家とは他人以上に他人であるのだと自身に確認することが双方にとって幸福だ。父母は田舎の基準で見るとそんなに愚かな人ではないし父親は色々と尊敬に値するが、父母と私はひどく相性が悪い。母は私に過度に執着する悪癖があった。比較的無害な新興宗教団体での活動を母が続けることを私は勧めた。その比較的無害な新興宗教団体活動をすることで母は少し無害になったから、私は新興宗教の効能を認めている。母とは無縁であっていいのだと納得することに我が前半生の多くの時間が費やされた。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20070119#1169154250
私は物を捨てたり物を整理したりするのがたいへんにヘタクソで、そのためいつまで経っても引越し作業が完了せず、友人である現在の大家さんに迷惑をおかけしている。物と記憶が不分離なので、今となっては不要な物ですら捨てて整理することに躊躇があるようだ。とはいえ我が荷物の半分は不要なものだ。断念し整理し身軽になるべきだ。

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