カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

『松吉伝』みなもと太郎―日露戦争秘史

東京新聞でマンガ規制反対意見を表明くださったみなもと太郎先生http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20081106#1225907385に、コミケでちゃんとその御礼を申し上げなかったのを悔いる。
みなもと太郎の同人誌新刊『松吉伝』購入。雑誌「斬鬼」「乱ツインズ」で連載され、未完な作品の6回までが収録されている。みなもと太郎の祖父漆原松吉についてのマンガ。

1

近衛師団に入隊した漆原松吉は明石元二郎のもとで、日露戦争時、諜報活動に関わっていた。以下『松吉伝』から引用。

40p
明石元二郎の行動ルートと活動内容は日露戦争史上最大の謎である。のちに司馬遼太郎が「坂の上の雲」で綿密な調査を行ったが、結局新事実は何も書かれていない。有名なのは戦時日本の国家予算が一億五千万という時代に百万円という巨額の特別予算をにぎってロシアに潜伏し、社会革命勢力を背後から応援――日露戦争中にロシアで内乱・反乱が次々と起こったため、皇帝は前面の敵・日本との講和を急ぐ事を余儀なくされた――というのが明石元二郎の功績であったとされている。しかしこれとても証拠書類一枚あるわけでなく、「明石は実はもっと大きな手柄をたてているのだ」「いやいやどうだか。ロシア革命の一件だって明石のホラじゃないのか」といった毀誉褒貶に一切口をつぐんだまま、大正八年、明石元二郎は五十六歳の生涯を台湾で閉じた。
43p
日露戦争中、松吉がどこに居て何をしたか、結局一言も語らず松吉は世を去ったが、
〔みなもとの父〕「実はな、松吉さん、俺に少しだけ話してくれた」
〔みなもとの母〕「えっ」
〔みなもとの父〕「死んでから話すなり好きにしろという条件でな」
44p-46p
以下は祖父の死後、父から。父の死後、母からというまた聞きのまた聞きであるから、内容の信憑性にはみなもとは一切責任を持たない―。
〔みなもとの父(以下「父」〕「それにしても国家予算の150分の一もの大金、明治政府はよく明石さんに託しましたね。今なら何十億…もっとかな」
〔松吉〕「150分のいち? それっぽっちで何が出来る」
〔父〕「すすすすすすするとっ」
〔松吉〕「…お前が何を聞きたいのかはわかっている。わしの話は一切しないが、明石閣下の功績があまりに小さく伝えられているのがつらくてな……。ロシア革命を早めたなんてのは枝葉にすぎん。…まァわしの独り言を聞き流しておれ。酔っぱらいの戯言だと思ってな…。実際の予算は国家の数分の一だ。」
〔父〕「と、当時で千万単位の金を――っ」
〔松吉〕「むろん知っているのは政府の中でもほんの数人。絶対極秘の裏金だ。イギリスはじめヨーロッパ中の新聞が、どうして日本びいきの報道ばかりし続けたと思っているのだ
〔父〕「あ! あれは開国したばかりのアジアの小国が大ロシアを相手に戦う姿がいじらしいからと… 同盟国として当然の…」
〔松吉〕「だから日本人は甘い。金をまかずに都合よく動くものか
〔父〕「世界中のマスコミを味方につけたわけですな……」
〔松吉〕「政府レベルでな…。記者や幹部に金をまけばのちに必ず発覚する……」
〔父〕「そうです……」
〔松吉〕「しかし何といっても最大の効果をあげたのは、ロシアの諜報機関をまるごと買収出来たことだ……」
〔父〕「つまり今でいうKGB、アメリカならCIA、イギリスなら007の情報部をトップぐるみ……」
〔松吉〕「…彼らは実に信義を守ってくれたよ。いい奴らだった。日露戦の後半が連戦連勝になっていったのは、すべての情報がつつぬけになったからだ
〔父〕「すると日本海海戦の完全勝利は、偶然や天佑でもない当然の結果だと……」
〔松吉〕「時の政府でも知っているのはほんのひと握りだ。現場ではおそらく東郷一人……。彼は少し口がすべったな」
48p-50p
〔父〕「もちろん国会でも公に出来ない事ですね。戦地の指揮官にはどのくらい知らされていたんですか」
〔松吉〕「そんなのはわしの知ったことじゃない。ただ東郷平八郎一人だけは教えられていたようだな。そうでなくては御前会議でのあの発言は出てこんわい」
〔父〕「あ……。たしかにそうです」
「あの発言」とは連合艦隊司令長官東郷平八郎が御前会議で
〔東郷〕「必ずやバルチック艦隊を殲滅してごらんにいれます!!」
明治天皇に言いきって回りの高官をあわてさせた有名な発言である。なにしろそれまでの世界海戦史上、一方的勝利というものは無く、敵味方ともにかなりの損害を出し、勝敗はわずかな差で決まるというのが海戦の常識だったからである。御前会議のあと、政府高官たちは東郷平八郎に「いったいどぎゃんしてあげな事いうとじゃっ」「おみしゃんのその自信はどこから来なさるんじゃ」と口々につめよったが、
〔東郷〕「おいどんは陛下の御宸襟を安んじ奉りたかっただけでごわんど……」

以上引用。

2

日露戦争時には日本は情報戦の重要さをよく分かっていただろうから、松吉の言っているようなことは行われただろうと思う。だが、松吉や明石元二郎などこれに関わった人は何も記録を残さず墓場まで秘密を持っていった。それは日本的美学だったのだろうが、後年、勝因を正しく把握する機会を国内的には失い、情報戦の価値を知るものが軍や政府の中枢から消えた。買収された他国は情報戦の効果を経験に学んだ。沈黙の美学が残した禍根は今にも続く。
 関連 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20051206#1133810677

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画像はhttp://piapro.jp/content/ar33nduo6alkvum0から。