カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「ハイサイおじさん」とヤスクニの分祀

1

以下メモする。

http://plaza.rakuten.co.jp/urakiwamail/diary/200506050000/
ハイサイおじさん」の誕生秘話 
以下、共同通信社編集委員室が作る企画ページ「アジアに広がる「花」の歌 ミュージシャン喜納昌吉(きな・しょうきち)」より、引用します。
喜納昌吉(51)は中学生の時、忘れられない事件に遭遇する。
 精神に異常を来した近所の母親が、七つの娘の頭をまな板に乗せ、おので首を切り落としてしまった。
 「女の子が毛布に包まれて横たわっている。その子の父親が『なぜこの子の足は冷たいの。おかしいよ』と毛布を取ったら首が無い。父親は魂を落としたような顔で、しばらく言葉を失った」
 最初の作品「ハイサイおじさん」は、これを契機に生まれた。まだ高校生だった。
< 「戦後、家を失ったり精神的におかしくなった女性がたくさんいた。事件の家の父親もそんな女性を家に連れ込むから夫婦げんかばかり」。母親の狂気の原因をたどると沖縄戦にたどり着く。>
 ・・・この父親は事件後、酒におぼれた。
 喜納の家に毎日泡盛を求めに来た。
 「顔を出すと僕に向かって古い民謡を歌う。ハイサイ(こんにちは)と声を掛けて僕も酒をあげる。それを繰り返しているうちに歌を作ってあげようね、と急に思った。ダンダダンダダンとリズムが生まれてきて」。不思議な感動だった。
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 そして、NHJ Music Store/喜納昌吉&チャンプルーズのコメントには、
ハイサイおじさんのモデルはもともと校長先生にまでなった優秀な人だったのだが、沖縄の戦乱の中でアル中になり狂ってしまった実在の人物である。そんな彼を、少年時代の昌吉は沖縄の伝統的共同体のやさしい眼差しで歌っている。」とある。
あまりの衝撃的な事件により、酒に溺れる「校長先生にまでなった優秀な人物」を慰める如く伸、突き抜けた、陽気な歌。それが、「ハイサイおじさん」。

2

以下もメモする。

http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20071206/1196982629
 以前、靖国神社に〔半藤一利が〕電話をかけて、こう尋ねてみたことがあります。
「失礼なことをお伺いしますが、戦後復員された横井庄一さんと小野田寛郎さん。きっと一度お祀りされたと思うのですが、復員された後はどうなったのでしょうか?」
 すると相手も「えっ?」と驚いたのですが、調べていただいたところ、名簿から剥がしましたと言うんですね(一説にまだ合祀されているともいいますが、電話の人はたしかにそう言いました)。
 これはどういうことかというと、一度合祀された人であっても、分祀は可能だということなんでしょう。
 さて、ここから先は「歴史探偵」としての推測話になってしまいますが、おそらく分祀されたのは横井さんや小野田さんが初めてではないでしょう。

以上から靖国神社分祀は実はすごく簡単らしい。神道はふつう無教義主義といって、教義なんて存在しない。新興宗教ヤスクニも神道の衣を被っているのだから教義なんてないのである。「分祀できない」というよくある発言は政治的発言であり宗教的発言ではない。

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