カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「22歳の自分に教えてあげたいこと」

http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20100908/1283952482とかhttp://labaq.com/archives/50912311.htmlとか読んで思ったんだが、22歳の時に教わっても、日本ではたいがいもう手遅れなんじゃないかな。
塾の元同僚がだいたいそのくらいの年齢だが、どれ一つその同僚にとってアドバイスにならない。彼女は出身階層から数段上の中学高校大学に進んだので、アイデンティティが不安定になり、塾講師をして精神の安定を図ったため、大学はドロップアウト同然になった。素の能力は低くないから卒業はできるんだが、出身階層が「就職」と「大学」を関係付ける発想を欠いているため、高学歴無資格無職→高学歴ワーキングプアの人生がほぼ決定してしまっている。
階層という言葉は適切じゃないかもしれないが、大学が前提する文化と、生育してきた文化との乖離が大きい人は、「大学的なもの」というか高級官僚を頂点とした社会の主流的なソレからはドロップアウトする。私もそうだったし、その元同僚もそうだし、昔マンガに登場させた「みぃちゃん」のモデルの子もそうなったし、ウチで働いている遠い親戚の旦那さんもそうなんだが、これらの人々は、大学とか都会生活とかそれに慣れた人とかとの文化ギャップに翻弄されて、22歳頃にはほとんど手遅れになっている。言い方を変えると、18歳当時まで血の滲む努力で「庶民」文化に馴致させた身体が、「文化的」文化に身を置くと身体的発狂状態になる。これ、判る人には判るだろうけど、判らない人には全く想像もつかないだろうなあ、とか思う。
ここまでの話を平たく言い直すと、大学ってところは、学生運動当時の私大が最悪だったんだが、学生を大量に入学させて、劣悪な環境で篩いにかけて、大学に馴染めないものを放り出すことで、受験料儲かりました、入学金取りました、学費取りました、あとは学生消えて良し、ということで経営的に回っていた。ちなみに少子化が始まった近年は、大学院に無理矢理入れることで大学経営は回り、高学歴ワーキングプアを大量生産するようになったんだが、それはまたちょっと別な話。
18歳当時の自分には助言してやりたいことはそれなりにたくさんあるけどね。15歳当時の自分とか12歳当時の自分にはもっとあるけど。「庶民」文化に無理矢理馴致させた努力とか、閉鎖的で選択肢のない環境に無理矢理自分を馴致させた努力は、全てムダだからとにかく逃げろ、とか。逃げ出す先が思いつかなくても、とにかく一晩分の食料と、凍死しないための毛布だけ持って、歩ける限り逃げろ、逃げられる限り逃げろ、とか。思春期な自分を無理矢理客観視しようとするな、思春期の激情に溺れろ、とか。これって適切かなあ。
いわゆる社会のメインストリームとされているのはアレだのコレだのだから、それらがメインストリームとされているということは知っておけとか。このメインストリームへの知識を持つか持たないかで日本は二階層に分れている気がする。悔しいなあ。つまらねえなあ。
22歳から後の人生は…まあ、あの設定値からはこんなもんだったかもしんないなあ…。一つだけ22歳当時の自分に助言するとしたら、なんであれ、20年間一つのことを継続していたら、道が開かれたかもしれないよ、とか、ありえないほどの幸運は予告なく突然来て二回目はないから、巧い話や惹かれる話にはとりあえず乗ってみろ、どの道堅実な人生とは縁がなかったんだから堅実に考えようとするな、とか、人生について話しやすい同年代には相談するな、意味がない、「これはすごい」と思った本の著者に無理矢理会って無理やり相談してみろとか、そのために可能な限り広く学術書っぽいもの、論文ぽいものを読んでおけとか、そんなことかなあ。
「巧い話」に乗った後、どういう結果が来たかまでは想像の外だけど。そしてこんな話は全く一般化できないけど。
「思惟」という言葉の存在する世界で生きたかったな、と思う。「思惟」という言葉を知ったのは、30歳近くなってからだった。

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