カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

『アーロン収容所』人間の才能の型・続き

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20110216/1297855383 の続き。ページ数は中公新書版から。書き写しながら思ったけど、この井野班長のケースは表現規制反対活動に色々応用できるところがあるんじゃないかな。

捕虜生活の新指導者

それでは、私たちの捕虜生活のリーダーはどこにいたか。
〔略〕英軍は〔アメリカやソ連とはちがって〕説教どころか日本人を近づけ手なずけることもせず、ただの労働力としてしか待遇しなかった。〔略〕
〔略〕捕虜生活でのもっとも重い役割を果たすものが力を持ってきた。
〔略〕まず井野班長である。もっともこの井野伍長が戦闘では無能だったということはない。ただ、勇敢無比な兵士というような伝説は付随してなかった。しかし井野班長はずばぬけて要領がよかった。ずるいというわけではない。仕事は一人前以上であり、手早い。
しかし、なんといってもこの人が頭角をあらわしてきた第一の理由は、例の「泥棒」である。細心で大胆で、私たちがあっと思うようなことを平気でやってのけた。〔202〜203p〕
昭和二十二年の正月のことである。炊事係もいろいろ気を配っているが、われわれの方でも、せめてお酒と雑煮くらいは用意しよう、それに鑵詰や乾燥物だけでなく、生ものもほしいではないか、ということになった。その調達方が井野班長に依頼されたのはもちろんである。〔203p〕
井野班長の活躍がはじまった。おし迫ったある日、かれは生きた鶏一羽と一瓶のジンを苦もなく手に入れ、シャツにくるんで帰ってきた。ねぎなどの野菜も手に入れた。こうして生ま野菜と餅の入った雑煮を祝うことができたのである。
どこからかドラム鑵を持ち帰り、ベニヤ板で流し台をつくり、風呂場を建てたのも井野班長である。〔略〕私たちは久しぶり、つまり三年ぶりに風呂に入ることができた。もっとも、たきぎを持参するか、水を汲むか、火をたくかしないと威張って入るわけにはゆかない。
入浴するものは一応井野班長に挨拶しなければならない。それは兵隊の仁義・鉄則である。〔略〕「××さん、風呂がわいた。入りませんか」井野班長は中隊の誰かや大隊の誰かに声をかける。そつがなく、そして割合に公平である。こういった点にもかれの人望があるのだろう。班長は、みなが反撥するようになって窮地に立った士官にも声をかけ、最後まで礼節を守ったし、声をかけてやらない人間はいなかった。
しかし最初に声をかけるもの、声をかける度数などにも細かい配慮があった。重んじられたのは、新しい指導者、ボスたちである。私などはこの井野班長の配慮ぶりによって、収容所内での各人の地位の変化について客観的認識を得たのである。
愛想もよく、そつがなく、器用で、泥棒にも大胆で、弁舌もさわやかでゴテだしたらうるさいし、喧嘩も強い、という井野班長は、こうして中隊の事実上の支配者となっていった。〔204〜206p〕
作業でも、指揮官が他部隊の人だと、私たちの中隊員はすぐ条件の悪い職場を割り当てられる。〔略〕相手側の実力者とこちら側の実力者との力関係によってこの争いは決着がつく。だから、こちら側の実力者が相手側のそれより有能な人でないと困るのである。
割り当てに不満だと兵隊たちは坐り込んで動かない。カンカンに怒ったイギリス兵と動かない兵隊との間にはさまって、やせる苦労をするのが士官である。こういう場合に井野班長のような人がいないと、私たちはどうしても不利になるのだ。英軍から不当な作業命令を受けても大体唯々諾々である。そこで、言葉は通じないにしろ、こちら側が不満であることを英軍に示しておかなければならない。つまり大声をあげて士官に詰め寄って見せたりする芸当が必要なのだが、それは井野班長のような人でないとできない。これに対して士官は、兵隊が承知しないで困るというしぐさをする。そこでイギリス人が譲歩するということになる。
士官側にとっても、本気で怒って詰め寄られては困るのだ。井野班長のように半分芝居、半分本気という芸当のできる人が好都合で、全体にとって必要欠くべからざる役割を果たすことになるのである。〔206から207p〕
人間の才能にはいろいろな型があるのだろう。その才能を発揮させる条件はまた種々あるのだろう。ところが、現在のわれわれの社会が、発掘し、発揮させる才能は、ごく限られたものにすぎないのではなかろうか。多くの人は、才能があっても、それを発揮できる機会を持ち得ず、才能を埋もれさせたまま死んでゆくのであろう。人間の価値など、その人がその時代に適応的だったかどうかだけにすぎないのではないか。
ここで挙げたような戦場の英雄も、捕虜生活の指導者たちも、みな今日「戦後の日本」で働いているわけだが、果たしてそれぞれの社会でどのような存在になっているだろうか。
〔略〕お互いにいま何をしているかについては、あまり話し合わないので詳しくはわからないが、一応紹介すると、〔略〕井野班長は自衛隊、谷本兵長は自転車屋さん、水田班長は食品製造業らしい。しかしとくに目立った活躍をしているようでもない。ただ私には、目立たないところで黙々と働いているであろう、たとえば水田班長などの姿が見えるような気がする。その人の本当の価値を知っているのは、いや知り得る特権を持っているのは、かつての戦友仲間だけかもしれない。〔212〜213p〕

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アーロン収容所 (中公文庫)

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