カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

セカイ系の我が老母

昨日ご報告申し上げました通り、結納の日取りが決まりまして、私以上に我が老母がワクテカで手がつけられない状態であります。
「結婚披露宴には誰を呼ぶか」ということで我が老母は興奮しまくりであります。我が親戚と老母老父の友人で80人程すでにリストアップしているようであります。披露宴の規模は120人から150人ほどになりそうであります。
ところで我が老母は物事の正当な重みというものを理解しない性癖がございまして、私に対して「ワレ(お前)は政治に随分いれこんでいるみたいだから、結婚式に呼べる政治家とかいないのか」とか問うのでありますよ。かあちゃん、物事の軽重というものをかあちゃんは判っていない。俺にそんなのがいたらたぶん俺は田舎に帰っていない。俺がロビー活動とか選挙活動の手伝いとかしていたことをめいっぱい軽蔑しておいてそういうこと言いますか。「祝電くらいならもらえますけど」と私が回答すると「そんなの当たり前だ」と老母は私を軽蔑するのでありますよ。かあちゃん、地元政治家が選挙目的で祝電送るのとは訳が違うんだぞ。老母は共感能力に難があるのでリアクションが常に軽蔑になるのでありますよ。自分にとって理解できないものや身内にカウントしたものへのリアクションは常に軽蔑となるのですよ。ですから私の全ての言動が老母にとっては軽蔑対象となりまして、それが私には耐え難いのでありますが、老母は悪人ではないので自分が軽蔑していることの自覚を金輪際しないのでありますよ。あのなあ、現与党の官房長官から祝電もらえる手づるがあるっつーことの重みをなあ、かあちゃん、少しは想像してほしいと俺は思うんだ。選挙区違うんだぞ、その人が俺に祝電下さったとしてもその人に全然メリットがないんだぞ。と反論したところで全く通じないのでその話は終了。老母の内面にそれを想像する材料がないのだから全く通じない。
激烈に仲の悪い、ヤンキー率が異様に高い私の地元同級生を披露宴に呼ぶべきであるという老母からの要請を聞いて「だから田舎の生活は耐えられないのだ」と繰り返し反論するがもちろん全く通じない。ウチの田舎は選択肢が少なすぎて不健康だ。老母が自分自身の結婚披露宴に自分の同級生を呼ぶことができなかった悔いを私を使って解消したいらしいということだけやっと判った。かあちゃん、あんたと俺は別な人間だということをかあちゃんは死ぬまで納得しないだろうが、どうやったらかあちゃんに通じるのだ。なぜかあちゃんとの会話をするたび俺はこんなに絶望的な気分になるのだ。これが自分の結婚の話題でなかったら泣くぞ。
地震が起きた当日並びにその後数日も我が老母は震災の深刻さを理解されていらっしゃらないので、宿泊客ならびに予約客の皆様にトラブルを招きそうになったのでありますよ。
セカイ系」という言葉がオタク界にだいぶ前から東浩紀さんなんかを中心にして浸透しているようでございますが、私はこの「セカイ系」という概念にあまり好意を持たなかったのでその概念内容に明るくないのでございますが、「セカイ系」というのは、「自分」と「この世の果て」だけで世界観を完結させていて、その中間段階であるところの「社会」が欠落している、大雑把に言ってこういう理解で宜しいのでありましょうか。
その解釈で良いのだとしたら、ウチのように社会からわりあい隔絶した、我が老母のように教養の乏しい自営業者は「セカイ系」な社会像・世界観を持つよなあ、とか、本日つらつら思ったのでございますよ。計画停電で午後6時20分から午後8時過ぎまで真っ暗な中でものを考える以外にほとんど何もできない時に。午後7時半くらいから蝋燭の明かりで読書して気を紛らすようにしたりしておりましたが。電灯がないと午後8時って深夜同然ですね。
「社会」という言葉が意味するものは、自分や家庭と行政との関係、会社などの組織との関係、それらの繋がり、といったものであろうかと思われます。
私の田舎での生活は、「社会」から気味が悪いほど隔絶しております。私の生活の範囲では、インターネットが最も「社会」に近かったりします。それ以外は「自分」と両親と「世界の果て」しかここにはないのであります。老母は「世間」すなわち直接接触する人間関係は多少は持つのでありますが、そこからどこかより外側に繋がっているという意味での「社会」とはかなり分断しているのであります。隣近所が存在せず、同級生と険悪な関係で、ギチギチに家に拘束されていた30歳代までの私は、その隔絶が気色悪くてこの田舎にいられなかったのであります。私は一時期漫画家をしておりましたが、私の漫画には「社会」が一切登場しないのは、「社会」との繋がりが私の前半生において酷く希薄であったからであります。それが私の漫画家としての最大の弱点でありまして、ついに克服できなかったのであります。表現規制反対発動に私が必要以上に入れ込んだのはそこが私にとって「社会」を実感できる回路だったからであります。
我が老母は地元の接触面「世間」を介して、「社会」との関係を相当程度好き勝手に取捨選択しておりまして、老母はそれで楽なのでありましょうが、地元の人間関係「世間」がほぼゼロな私にとってその環境は思春期頃から今に至るまで不気味なものでありました。
教養がなくて社会との関係が希薄で自営業で生活している我が老母は、悪人ではないのでありますが、話す内容がオカルトばかりになるのであります。「自分」と「世界の果て」だけでこの世を解釈するとそれはオカルトになるのであります。そして私が知るところの「社会」の話や、私なりに色々調べた「オカルト」の話は、老母にとって全て不快であるようであります。
私の嫁さんになる予定の方は常識的な方でいらっしゃるので、我が老母の悪癖を適当にスルーできるよう守ってあげたいとも思いますし、老母の悪癖に対して味方が増えて私はホッとできそうなのであります。

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