カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

鬼の霍乱

1

私のこの田舎は寒冷地だ。古い離れの片づけを、今年、真冬に老母に何回も命じられた。人が住んでいないので家が冷え切っていた。床が冷たすぎ、数時間で足の筋が攣(つ)り、作業にならなかった。暖房を入れ、スリッパを履き、靴下を2重3重に履いてもそうだった。「ワレ(お前)の寒がりは異常だ」と老母は私を何度も罵った。老母は寒さに鈍感で、悪意なくムチャクチャに酷薄な悪態をつく。
この古い離れを一刻も早く老母は取り壊したいと願っている。取り壊して新居を建てるつもりで老母はいる。離れの敷地内に老母たちの建てた新居はすでにあるのだが、それでは住むのに気に入らないそうだ。私には意味が良く判らない理屈だ。

2

春になり、陽気が暖まったので、アルバイトのおばさんを率いて老母はそこを片付けに行った。40年分近い埃と黴を大量に吸いつつ、老母は作業した。
翌日から老母は風邪をひいた。10年以上風邪をひいたことがなかった、と老母は言う。
余計な話だが、私は一人暮らししていたとき、とくに塾講師をしていた時期はほとんど風邪をひかなかった。が、20年以上前、実家で生活している間は、しょっちゅう風邪をひいていた。実家は衛生感覚が緩いのと、寒暖の差が激しい気候であること、生活にストレスが多いこと、などが理由だと思われる。

3

老母は若い頃、「『疲れる』という言葉の意味が判らない」と素で発言した人間だ。老母は血圧が高めで体温も高めで、寒さを知らず、疲労を感じない体質だ。疲労を感じない体質の人間というのは時々いて、肉体労働を一緒にするのは御免被りたい人種だ。老母も今は老齢となり、身体の支障が色々出ているが、自分以外の人間の疲労倦怠などに共感能力を全く欠くのは昔からそうだし今もそうだ。老父は昔肝臓を病み胃腸も弱く、倦怠感や体調不良が多いのだが、そういうことに一切の共感を老母は示さない。死ぬまで理解しないだろう。

4

老母は喉が痛み、咳が止まらない。病院で看て貰え、と私は薦めた。重い腰を上げて老母はかかりつけの脳神経外科に行った。「ただの風邪ですね」と診断され、薬を大量にもらってきた。その薬を飲んでも全然効かない。専門が違うから診断に自信がなかったものと思われる。
老母は市販の咳止めを購入して飲み始めた。それは効いていったん咳は止まった。

5

その翌日、4月17日に、「封切(ふきり)」「名乗り」という儀式を行なった。婚約披露の一種で、新郎の親族に新婦を紹介するという儀式だ。本家筋の長男の時だけ行なう儀式だそうで、私の村独特の風習らしい。
4月17日のその儀式に合わせて親戚や妹たちが実家に集った。16日の夜、私の予約処理が気に入らず老母が私をムチャクチャに罵倒し悪態をついた。老母は自分勝手が強い。自分以外の人間の判断処理が基本的に許せない性格だ。別な部屋でその声を聞いていた、今年小学生になる甥が、「ああいうこと(悪態)を言うのは良くないよね」と評した。

6

市販薬で咳を止めているだけで病気自体を改善させているわけではなかった老母は、4月18日にもっと症状が悪化した。
脳神経外科ではなく、耳鼻咽喉科か総合病院で改めて診察してもらうべきだ」と私は薦めた。
老母は行くのを嫌がった。「すげえ待つから嫌だ。どんだけ待たされるか判らない」
今日は何の用事があるわけでもなく、客もゼロで、一日中病院に老母がいても何も困らない、と老母を説得して送り出した。老母は事業を私に任せたくなくて、家から離れるのをあれこれ理由をつけて全力で拒む。老母は私を指図し倒すことに何の痛痒も遠慮もない。私にはそれが耐えられない。そのことについて、アルバイトのおばさんと私は意見が一緒だった。アルバイトのおばさんも客の面前で随分酷い罵りを何度も老母からされ、立場がないことが何度もあったそうだ。老母は「相手がどう感じるか」ということへの感性が欠けている。とくに老母にとって「身内」と判断した相手に対しては酷薄だ。「あれでも、だいぶ丸くなった」とアルバイトのおばさんが言う。
診察の結果、老母は肺炎の一歩手前だと判った。新しい薬をもらい、この薬で症状が改善しなかったら入院だとのこと。
「神様が母に、休め、働こうとするな、と言っているんだ」と老母に言う。老母はその解釈を拒む。

7

18日夕刻、任せている税理士事務所職員が来た。老母はそういう人相手にグダグダと長話をするのを好む。「まあまだ息子には任せられないけど、自分で失敗しながらやれば少しずつ大人になるかも」と老母は彼に言った。
「大人になるも何も、もう俺は老人になる年齢だ。とおの昔に厄年を過ぎている」私は老母にそう反論した。老母は私を10歳児扱いしているが、そのことに自覚がない。

8

ところで、嫁になってくれる人との見合いの当日、老父母は幸いにして不在だった。観念上の「近所」と一緒に老父母は旅行にその時行っていた。老母がいていつものようにぐちゃぐちゃと私に指図していたら見合いが良い雰囲気で進行できなかったと思われる。
見合い相手とその父親が私の家に訪ねに来る手はずになっていたが、見合い当日は老父母が不在だったので、お茶煎れを老父の姉に頼んだ。老父の姉は柔らかい人柄で、たいへんに良い雰囲気を演出してくれた。それで見合いがうまくいき、結納に至った。
「疲れるという言葉の意味が判らない」と若かった頃の老母が言った相手はこの老父の姉だ。老父の姉が若い頃、ウチに何度も手伝いに来てもらっていた。今よりずっと激しい労働をしてもらい、老父の姉がヘトヘトになっていたときのエピソードだ。この台詞には本当に参ったそうだ。
この老父の姉から聞いたのだが、私は幼少の頃、まだ若かった老母に「僕のお嫁さんを苛めないでね」とお願いしたことがあったそうだ。老母は昔からキャラがきつく、今もきつい。今回の縁談が不思議なほどスムースに進行した理由の一つは、要所要所で老母が不在だったりパワーが弱まっていたから、ということはある。「老母を何とかしてくれ」と毎日神様とご先祖様にお願いしている効能が顕れたのかもしれない。

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