カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

老母の妹さんの話、続き

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http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20120128/1327762563 の続き。
週末の客が少ない割に、毎日一組ずつくらい宿泊客がいらっしゃって、それはそれでありがたいんだが、約2週間、私と嫁の休暇がなくなった。
金曜日に、今日は休日にしよう、と嫁と決めた。嫁が老母の妹さんに誘われていたので、老母の妹さんのところへ伺った。
老母が留守番をしてくれれば客からの予約電話の心配を我々はしないで済んだのだが、老母は突然、病院だかどこかへ出かけると言い出したので、老母は留守番役として全く機能しなかった。が、それは老母のキャラそのものであるのでやむを得ない。
老母の妹さんから、老母の兄が入院中、老母の兄の家で老母が何をしたか、について教わった。
老母は悪意はないのだが、全ての行動が、「相手がどう感じるか」という発想回路を欠いて行う。ので、老母の善意は他の全員にとって迷惑になる、そういうことが多々繰り返されたのだと老母の妹さんから教わった。

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たとえば、老母の兄が植えていた大根畑があった。老母の兄が入院中、そろそろ収穫の時期だった。老母は大根を全部抜いた。大根を抜く作業自体はけっこう大変な作業で、老母は頑張った。
老母は抜いた大根を、兄の息子の仕事用の自動車の前に積み上げた。仕事用自動車であるから、自動車を動かさなくてはならないから、そんなところに積み上げられたら迷惑極まりない。老母の兄が入院していることで仕事がテンパっているところに、更に積み上げられた大根の移動というかったるいかつ緊急な仕事が増えてしまったため、当然に、老母の兄の息子は猛烈に腹を立てた。あたりまえだ。
相手の仕事用の自動車の前になど積み上げたら、相手の家にとって迷惑だ、という思考回路は老母にはない。「私のやった善意を絶対に見落とされないところに置かなくては」と、無意識下で老母は思い、最も迷惑な最も目立つところに老母が積み上げたのだと解析できる。
老母は自分の家の掃除のときも、必ず、通路のど真ん中に掃除機を放り出して、一日そのままにしている。その掃除機は決して片付けない。「私が掃除機をかけたのだ」という無意識下のアピールのために老母はそうしているのだろう、と、私と嫁は合意している。ネズミを捕った猫が家の真ん中の一番目立つところや、最も人が通る通路にわざわざネズミの死骸を置くのと同じだ。
大根の件に戻るが、抜かれてしまった大根は洗わなくてはならない、漬物にするなら切るなど漬物にする作業をしなくてはならない。大黒柱が入院中で、人手が足りないとき、わざわざ仕事を増やされてありがたがる人間はいない。だが老母は自分が相手にとって迷惑なことをしたとは全く考えない。相手がどう感じるかという共感回路がないからだ。
共感回路があれば、全部の大根を抜くなどということをせず、いくつかの大根を抜いて、自分で洗って切って漬けて、その完成品を兄嫁に渡せば、これは喜ばれる。だがどうすれば相手にとって嬉しいことであるかという想像力が老母にはほぼ完全に欠けていて、共感能力の回路がないので、目の前の作業(大根抜き)を全力でやりました、だから私は感謝されるべき、というところで全ての行動が止まる。大根を抜いた後どうすべきか、という完成形については老母は一切思考しないし、「仕上げ」的作業は老母は決して行わない。そのため老母が手出ししたところは必ずどんどん混乱が増し、他人に仕事が増えていく。

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老母の兄の家では、老母の兄が入院した時、色々手伝いの人が来て、切り盛りしていた。老母の兄嫁は人間ができた人で、和気藹々と回していた。
そこに老母が来ると、老母は爆竹やネズミ花火のように大騒ぎして、兄嫁の意志を完無視して老母は手伝いの人々にムダに具体的な指示をする。指示された方も困るのだが、老母の迫力に勝てる人はいない。やむなく老母のムダに具体的な指示通りになしたとしても、それは完成を見越しての指示ではないから、単に混沌混乱が増しただけであり、それをどう仕上げにつなげるかをまた別に考えなくてはならないのだが、その完成へ向けての老母からの指示を必要とするときには、老母は必ずいなくなっている。
老母はヒトにああしろこうしろと要求するだけして、他人を自分の意思に従わせることに全力のエネルギーを注ぐのだが、目的意識とか完成形とかそういうことには関心が全くない。
老母は「采配を振るえるほど優秀な私」という自己イメージを得る快楽のためにああじゃのこうじゃの他人に指図しているだけだから、その快楽が一応満足されると、その場から無意識的に逃亡する。「常に色んなところで必要とされている私」という自己イメージを得るために逃亡する。老母は基本的に無責任なのだ。無責任だが悪意はない。老母にとって「仕上げ」は無価値に近いから、無責任だとは自分のことを決して思わない。「私は全力でやっているのだから称賛されてしかるべきだ」と老母は思い、善意で全力で他人を指図する。
そのため老母の指示は他人には単に迷惑であり、全く感謝されない。そもそも感謝されるに値することを老母は全くしていない。だが、老母本人は善意で全力で行っている。老母が混乱を周囲に与えているのだが、老母の目から見ると、「私が口出ししないと、皆愚図ばかりだ」と見える。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20120328/1332954794

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嫁と話をしたのだが、きっと老母は激しい根本的不安を抱えている人なのだろう。だから常に虚勢を張り続け、「他人に指示出しできる自分」というイメージを自分向けに発信し続けないと耐えられないのだろう。
親族や親しい人たちからそのように迷惑な存在だと老母が見做されている、という話は、この老母の妹さんからでなくては聞くことがなかった。老母の妹さんは我々夫婦の心の支えだ。

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ところで、老母は外見的には田舎風の温かみや湿り気のありそうなおばさん、という雰囲気が一見あるが、老母は共感能力がないので、老母とは一切心の交流ができない。心の交流が不可能な人間というのは、温かみと湿り気とユーモアが決定的になく、心が荒野のように乾ききっている。共感能力がないとか共感回路がないというのは、そういうことだ。そのため、老母と生活を共にすると、こちらの心が枯れそうになる。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20120216/1329403379

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我が老母は強迫神経症とかそういう類の精神のアレなのだろうと思う。そのため老母が生活空間にいる時間が長くなると、私と嫁の生命エネルギーがゴリゴリと削られる。

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