カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

主催者発表数と警察発表数とか

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官邸前デモhttp://digital.asahi.com/articles/TKY201206290577.htmlの参加者数字について、「盛り過ぎ」とかそういう批判を耳タコにツイッター上で見るんだが、初詣の参拝者数の主催者発表数と警察発表数の違いを踏まえていたら、「警察発表数より少ないということは考えにくい、主催者発表数より多いということも考えにくい」、という読み方をすべきだと、そのように理解してそれ以上は判らないと判断して措くのが妥当な態度だと私は思っていたんだが、初詣参拝者数の件をひょっとして知らんのだろうか。知らんかもしれんな。知ってりゃ偉いというものではないけど。
参拝者の主催者発表と警察発表のズレについての適切な記事を例証・論拠としてリンクしたいなと思ってweb検索かけてみたけど、ピタリ嵌る記事が見つからないので諦める。
  [07/01 21:10追記]ブクマコメントで教えてもらった記事↓祭の主催者発表数と警察発表数

 http://www.asahi.com/showbiz/stage/koten/TKY200808260008.html
細かい計算式を定めているのは盛岡のさんさ踊り。▽250平方メートルのサンプルエリアを選び、実行委員がカウンターで人数を数える▽主会場が1万平方メートルなので、1万を250で割った40をかける▽開催時間の3時間で、4回人が入れ替わったとみなして4をかける▽さらに、隣り合う通りに主会場の4割の人が訪れたと見積もって、これも加える。「10年近く前までは目視が中心だったが、客観的なのかという指摘があり、今の方法に改めた」と実行委。
 岩手県警は雑踏警備の目的から独自に人出を算定している。今夏のさんさ踊りの人出を4日間で16万人と推計。主催者発表は116万人で、その差はなんと100万人だ。

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官邸前デモ主催者へのツイッター上での批判も大量に見るんだけど、一番共感したツイートは以下。

政治運動・市民運動をゼロから立ち上げた人々にああしろだのこうしろだの要求するのは作法として間違っていると私は思う。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20100805/1281016662
主催者の流儀が気に入らないのなら、自分で立ち上げるのがやはり正しいと思う。たとえば「月曜日官邸前デモ」とか「木曜日官邸前デモ」を立ち上げるのが「批判」の作法として正しいと思う。
表現規制反対運動」の最前線にいたとき、「畳の水練」的批判がものすげえ辛かった。水の中に実際に入ると、畳の上での水練の無意味さがすげえ実感できるんだが、畳の上にいる限りそれはよほど人間のできた人でない限り実感できない。

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先に「月曜日官邸前デモ」とか「木曜日官邸前デモ」を立ち上げればいい、と書いたけど、「金曜日官邸前デモ」主催者の人々はおそらく重々知っていて、彼らを批判している人たちにはピンとこないであろうことは、「官邸前デモ」自体が、法令的にはけっこう綱渡りというか、デリケートというか、行政の「お目こぼし」で成立しているというか、そういう代物だろうことを、私は以前別件で国会前デモンストレーションした経験から想像します。
法令的には道交法あたりをタテに、明日から警察が禁止してもそれなりに法的に順当という、そういう狭い微妙な「市民的自由」を徐々に拡大したのがあの官邸前デモでありまして、というか拡大ちゅうても規模だけ拡大で法令的に権利拡大しているわけじゃあないので明日から禁止される可能性がゼロではないという、意外と中国政府並み・ロシア政府並みに市民的自由の少ない社会を私たちは生きておるようであります。日本人の市民的自由ってのは、だいたい半世紀前に、主犯岸信介あたりによってほとんど剥奪されています。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20070630/1183150255 現在の官邸前デモ主催者の人々とかがなさっているのは、その剥奪されている日本人の市民的自由の恢復だろうと思われます。
他の先進国並みの市民的自由を我々は恢復させるべきなんですが、我々にすでにして他の先進国並みの市民的自由があるはずだ、と前提して批判したい人は、畳の上から水の中に入られてほしいかもとか思います。

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俺も縁のある議員に脱原発の要求要望をちゃんとすべきなんだけどね。

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