カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

我が嫁の偉さとか

1

結婚記念日の時に、嫁に、結婚記念日っぽいことをしてあげられなかったhttp://d.hatena.ne.jp/kamayan/20120629/1340978048ことを詫びた際、
「私、よく耐えているよね」
と嫁が冗談っぽく応えた。

2

我が家の世帯収入は、中流上層、くらいに位置する。
サービス業というのは、チップをもらうたぐいの職業であり、職業威信的には、下位に属する。
我が老母がウチの采配を奮うとヤンキーの客が増えるのは、我が老母の生活階層がヤンキーの階層と重なるからだ。だから我が老母は、ウチの店の業種を向上させ客層を向上させるのを常にずっと拒み、同時に、私に、人生は安売りするべきである、というメッセージならびにメタメッセージをしつっこくしつっこく与え続け、でまあ私は人生をできるだけ安売りするよう、すべきではない努力をめいっぱいしてしまったが、私は我が子孫にそんな要望をしないよう振る舞いを気をつけたいものである。
我が嫁は地元では珍しいインテリの家の出身で、生活階層的に、私と幸いにしてわりと馴染む。と、少なくとも私は思っている。嫁の父君もおそらく思っていらっしゃる。裏返すと、我が老母の生活階層とはいまいち馴染まない。
我が嫁も私もどちらかというと包容力は豊かな方であることだし、我が老母に、思いやりとか、人としての温かみとか、湿り気とか、そういうものがあれば、別に我が老母の生活階層がどうだろうと、我が家の生活はさほど問題はないのだが、我が老母には、思いやりと温かみと湿り気とユーモアセンスが欠けているので、我が家はたいへんに殺伐とした、乾ききった、疲弊する場所となる。
我が老母は、我々に、「私の理想のママになって!」という要望をメタメッセージで送り続けているので、我が嫁と私は疲弊しまくる。
この環境に耐えている我が嫁は偉い。
とはいえ、嫁に耐えることを要求し続けるのは不健康すぎるので、嫁は実際問題としてつわりがわりと重いのだが、仮に今後軽くなっても、出産するその日までつわりが重いことにして可能な限り多く休息をとってもらい、可能な限り老母との接触を避けてもらうようにしてもらいたいと思う。

3

私はマンガ家と塾講師と現在の観光業の、3種類の仕事を経てきた。
現在の仕事が、客観的には、一番楽チンで、一番収入になる(20年前はそうではなかった。ウチの仕事は他の仕事と比較して最も過酷でしかも退屈だった。その過酷で退屈な環境で少年期から思春期の時間をゴリゴリ無駄に削り取られた)。だから、私生活においては、しばしば「羨ましい」とか「優雅な生活ですね」と言われる。その評価を聞くたび耐えがたい理不尽さを覚える。たしかに老母抜きでこの仕事であるのなら、その評価はけっこう妥当だ。だが、今後私が存命する限り、我が生涯には我が老母がついている。
かつてウチの仕事が信じがたいほど過酷だった理由の半分は、我が老母が、無意識に、労働を煩雑に煩雑に設計したがったせいだ。今でもしたがる。老母は労働に無駄が多ければ多いほど充実感を覚える、そういう人だ。暇と沈黙には耐えられない人だ。暇と沈黙は自省の機会を人に与える。その機会を我が老母は全力で拒む。
こういう喩をするのは嫁には失敬であるのだが、マンガ家という仕事は、憧れの片思いの相手みたいな存在だった。実際に付き合ってみたら釣り合いが取れなかった、そういう相手だった。塾講師は気心の知れた幼馴染みたいな、そういう仕事だった。どちらも収入的には下層だった。現在の仕事は本人はそれほど悪くはないが耐えがたい姑がセットな、そういう仕事だ。
私と我が老母の余命は似たようなものではあるが、私と我が老母が亡くなった後はウチの中流上層くらいな資産は全て嫁のものになる。嫁にはそのことで我慢して頂きたいと、嫁に直接以前申し上げた。手相的には、嫁は玉の輿の結婚をしたという相を持つ。

4

成人のADHDのチェックリストをどこかで見たが、我が老母には実に多く当て嵌まった。そして我が老母は自省反省を全力でお拒みになられる。自省反省の回路、共感回路がありさえすれば、ADHDだろうが発達障害だろうが構わないのだが、我が老母は反省回路と共感回路を欠いていて、かつ、常に自分が中心でないと気が済まないので、親族を常に無駄に振り回す。

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