カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「石森章太郎」は漫画界にとってどういう存在だったか

1

話題になった増田記事

http://anond.hatelabo.jp/20160218185410
石ノ森章太郎って漫画界にとってどれ程の存在なんだろう
あの人の漫画でうわーすげー天才だーと思った事がないんだよ
でも存在感は結構ある、手塚や藤子には劣るけど
安定して面白いってくらいで自分の中では浦沢程度の存在なんだが
作品以上に漫画家の存在感がでかいなーと思うのはあさきゆめみしの大和とかもいる

それへのブクマコメントとして以下書いた。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160218185410

2

石森章太郎」時代の石森章太郎は輝いていた。「石ノ森章太郎」になってからの「石ノ森章太郎」は増田が評価した程度の存在に劣化した。(でも浦沢は凄いよ。石森と同じくらい。その点で増田と評価は一致する。)
「石森」から「石ノ森」に改名したのは1985年、昭和60年だそうだ。もうそれ以降は老害的な臭いを晒していた。姓名判断的には「石ノ森章太郎」の方が良い。

3

石森章太郎」が最も輝いていたのは『サイボーグ009』を発表し、『マンガ家入門』を発表した頃だ。60年代中盤から後半にかけてだ。
石森章太郎トキワ荘の中で、最も少女マンガに影響を与えた。感性のリリカルさがトキワ荘世代の中で特に際立っていた。『ファンタジーワールドジュン』はそのリリカルな感性を視覚化した一つの高峰だ。しばしば少女漫画雑誌に描いた。それにより、24年組、特に竹宮惠子萩尾望都に影響を与えた。

4

石森章太郎トキワ荘の中で最大の才人であり最大の多作家だった。月産300枚とかいうマンガ量産世代は、石森章太郎を筆頭とした。多作のわりに絵があまり荒れなかった。トキワ荘時代には、藤子不二雄の出世作「オバケのQ太郎」(第一期)は主人公以外は石森章太郎の絵で成立していた。主要キャラのうち「ゴジラ」「よっちゃん」「ハカセ」は第一期は石森章太郎が描いている。この頃の「石森章太郎」は才気が迸っていた。
石森章太郎のリリカルな才気の由来は、トキワ荘で石森の世話をしていて急逝した彼の姉の影響が想像される。

5

多作するようになった大きい理由の一つは、彼の婚姻による。トキワ荘仲間が通っていたバーのママが「一番売れそうな」石森章太郎に娘を結婚相手として与えたエピソードはある世代のマンガマニアには有名だ。
婚姻相手母子は「売れる」ことと「権利」管理に貪欲で、それで石森章太郎は過剰に多作家になった。
絵はあまり荒れなかったが、ストーリーは、石森が観た映画や石森が読んだ小説をパクった作品がけっこうあった。パクったとはいえ、石森章太郎がきっちり消化しているという肯定評価をすると石森の評価は下がらず、でもパクリだろ、けっこう安易なパクリだ、と見なすと石森の評価が下がる。
多作時代の作品は、それ以前の作品を高く評価しているマンガマニアからは評価が高くない。

6

石森章太郎には(映画や小説からの)パクリ作品が多いが、石森のオリジナリティとか、後世に最も残したものって何だ」という問いは、俺の世代、50歳前半から40歳代末頃のマンガマニアにはある程度共有されていた問いだ。
コマ割りを劇的(より映画的)に改変した功績の一部は、石森章太郎に帰せられる。このコマ割りの劇的変化は、松本零二や24年組以降の少女マンガで大発展した。
俺より上のマンガ評論世代にはあまり評価が高くないが、俺とほぼ同世代のマンガ評論世代は、「仮面ライダー」に始まる東映タイアップ特撮ヒーローものを創始し大量に生産したことを石森章太郎の遺産と考える人がいる。俺はそれに複雑な気持ちで賛同する。
仮面ライダー」「ゴレンジャー」「変身忍者嵐」「人造人間キカイダー」「イナズマン」「ロボット刑事K」
などのスーパーヒーローのスタンダードを作り、特に「仮面ライダー」シリーズと「ゴレンジャー」を祖形とする東映ヒーローシリーズは現在までその命脈が続いている。(「ゴレンジャー」の祖形には「ガッチャマン」があるが。)
この東映タイアップヒーロー作品は、石森の外戚が金稼ぎのために石森に要請したのが透けて見える点で今の俺の年齢になるとその経緯が切なく、その切ない気持ちはいまだに石森プロが東映仮面ライダーの原作料を得ている事実からさらに加算させる。
とはいえ、物心ついた時、石森ヒーローに囲まれていた世代にとっては、あのヒーローも石森が原作だ、このヒーローも石森が原作だ、大人になったらスーパーヒーローになりたい、石森ヒーローに。と思わせた。そしてちょっとだけその子供が成長すると、スーパーヒーローになることはどうも不可能みたいだ、でもせめて石森章太郎になりたい、と一部のマンガマニアに思わせた。

7

なので80年代頃に「オタク青春期」を迎えた人には、石森章太郎というのは、円谷英二に並ぶ「凄い人」だった。
石森章太郎門下からは、赤塚不二夫永井豪という巨星が生まれた。
藤子不二雄Fが「伝説化」「神話化」するのは90年代以降なので(なのですよ)、70年代後半時点では、少年マンガのスタンダード(除くスポ根系)は石森章太郎、幼年マンガのスタンダードが藤子不二雄、どっちが凄いと言ったら石森の方が凄い、という感じだった。手塚はそれに比べると少しマニアックな位置づけだった。石森と手塚のどっちがマニアックなのかは時期により感じ方が分かれるが。

8

とはいえ80年代以降の石森章太郎は、「ちょっと前までは凄かったけど、今はどうなんだろう」という人だった。創作家としては迷走していた。作品的には『HOTEL』をテレビ化したり、『マンガ経済学入門』が話題になったりして存在感は示していたけど。
デニケンのトンデモオカルトを漫画界にいち早く取り入れて、後に『ムー』とか「オウム真理教」とかを生み出す底流を作った罪は、平井和正とともに石森章太郎は負ってしかるべきだ。
契約が雑なマンガ家の中で例外的に権利関係に糞煩く、平井和正の映画『幻魔大戦』に全く関わってないのに版権の半分を得ていた件は当時の両者のファンに驚きを以て知られたなんてこともあった(平井和正原作の『エイトマン』も権利関係では糞煩いので有名だが)。トキワ荘が伝説化神話化し、その過程から「あ、権利関係の糞煩さと多作化は、石森の嫁とその母親が…」という俺の知る都市伝説がマンガマニアの中で知られるようになったのは、伝説化神話化がほぼ完成したその少し後だ。

9

俺の世代にとっての石森章太郎って、上記のような存在だった。
俺は運よく(なのかどうか正直言って少し悩ましい)、一度だけ、生前の「石ノ森章太郎」に会うことができた。今は仲違いしている渡辺電機(株)さんのお蔭で、ごく短期間、石ノ森章太郎のアシスタントをしたことがある。その短期間に一度だけ石ノ森章太郎の尊顔を見ることができ、持参した『マンガ家入門』にサインをしてもらった。「石ノ森章太郎」のサインを。

10

この記事は http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20150119/1421675645 にちょっとだけ関連する。

11

この記事の補遺を http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20160220/1455979774 へ書いた。

感じるところのあった方は   にほんブログ村 政治ブログへ  をクリックされたし。