カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか、狂乱している老母との生活とか

「抽象」と「具体」/「枝野幸男」と「煽り」

塾で国語の読解の手法として石原千秋を手がかりに、「抽象」「具体」概念を生徒たちに教えている。
「抽象」とは「漠然とした」という意味ではない。雑多なノイズを排し、クリアなモデルをイメージするのが「抽象」である。抽象概念を操作することで、人間は思考する。具体に書かれているものは、抽象を実際には意味している。これを念頭に置くことが国語読解力に繋がる。
それで連想したことをいくつか。

1

枝野幸男議員のオープンミーティングを聞いていて、「枝野幸男は凄いな」と私が感じた理由は、以下である。枝野幸男のオープンミーティングには、枝野の支持者だと自称する、実際には色んな政治組織から送り込まれているだろうと思われる変な人が、明らかにおかしい方向へ枝野を誘導しようとしてムチャクチャな質問とかムチャクチャな意見とかを質疑応答時間にすることがある。そういう人に限らず、聞いているこっちが頭を抱え、自分が枝野幸男だったら激怒してしまうようなアホな発言をする素の阿呆が質問やら発言やらを質疑応答のときにすることがある。枝野幸男の凄いところは、これらの質問に対し、全てキッチリと答えるところだ。聞いているこっちは感動する。
なぜそういう返答が可能なのか。以下その仕組を書いてしまうことは枝野幸男にとってプラスにはならないだろうし、枝野幸男という実名をここで書いてしまうこと自体枝野幸男にとってプラスにならないだろうが、支持すべき人物名を隠さねばならず、一方で安倍晋三のごとき痴呆が総理大臣になってしまう社会は異常であるので、社会が異常であるとき異常な社会に加担すべきではないと思うので、枝野幸男氏にとってプラスにならないことを承知でその解析をする。
枝野幸男氏の返答は、質問者の内容に対して、抽象レベルを一段上げて返答している。だから考えの足りない阿呆な質問や、あからさまに右翼系のプロパガンダな質問に対しても、その質問者自身を否定することなく、返答が可能なのだ。この技術は体得困難で訓練を要する技術だが、枝野幸男はそれを体得することで、抽象レベルを上げ返答することにより、結果として自身の理想を述べるというかたちで質問者を否定することなく納得させることに成功している。もっとも、近頃は「変な人」の参加がしつっこいらしくて、抽象レベルを上げるのに苦労していることも多いように感じるけど…
このことから、抽象レベルを上げる思考法ができる人間は、無用な対立を回避できると言える。

2

逆もまた真なり。無用な対立を煽ろうとするとき、人は、抽象レベルを下げる。感情・情緒は個々人の実存に関わる「具体」なものだ。「煽り」は抽象思考を排し、前提する情緒を無反省に放出し、感情レベルの「具体」のみへ思考を閉じさせることを言う。「具体」が「情緒」から切り離されていれば、個別具体の検討は実りが多い。だが情緒と具体を不可分なものと前提し、この情緒に全面共感か全面対決のみを要求する、これを「煽り」という。素でこれをする人は、世界に自分の全肯定を求めているわけであるが、その欲求は決して達成されないので、言説は不毛化する。人間として練れていない人がしばしばする粗忽な振る舞いがこれである。…だが、これが「技術」として確立し実際に政治戦・宣伝戦で駆使されると、その社会集団の知性はみるみる劣化していく。
情緒と具体を不可分なものとし、抽象レベルを低下させる言説は、政治における党派性を示すパターン化された言説である。「煽り」は、セクショナリズム・党派主義の典型である。それは非生産的であり、軽蔑される言説だ。自分で思考可能な人は、こういう非生産的言説を軽蔑する。だが、それを軽蔑する人自身が抽象思考を訓練していない場合、軽蔑という振る舞いが更なる情緒・抽象レベルの低下という悪循環を招く。
webではしばしば、特定スレッドを「潰す」とき、複数のIDを用いて、一人でこの軽蔑の応酬のエスカレートを自作自演で行い、我々の目の前に本当に横たわる深刻な問題から目を逸らさせる、ということが繰り返される。
真に憂慮すべき事柄、それはたとえば、統一協会系でかつ痴呆である安倍晋三が日本の最高権力者になることhttp://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060606#1149533577
民主党鳩山由紀夫統一協会系の子飼いであることhttp://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060723#1153595011
日本政治と東アジア政治は統一協会の手に落ちていること、警察が天下り先確保のために増加してもいない犯罪を増加・凶悪化していると虚偽のアナウンスを繰り返していることhttp://d.hatena.ne.jp/kamayan/archive?word=%2a%5b%b7%d9%bb%a1%5d http://d.hatena.ne.jp/kamayan/archive?word=%C3%DD%B2%D6
なぜか知らんけど新聞テレビがそのアナウンスを拡大して警察天下り先創設のための追従宣伝をしつっこくしていること、警察官僚OBとサラ金業者・暴力団・カルトが繋がっていることhttp://www.asyura2.com/0601/cult3/msg/398.html
その結節点が今度首相になる安倍晋三であることhttp://d.hatena.ne.jp/kamayan/archive?word=%BB%B3%C5%C4%B1%D1%CD%BA、この状況を我々はいかに打開するかということ。
これら様々な憂慮すべき事柄への打破に日本の残る知性と勇気を結集させなくてはならない。煽りの応酬・軽蔑の応酬という、日本の知性を劣化させるためのしつっこい工作は、これらの事柄を焦点化させることを拒むための「情報操作」だと疑っていい。

3

我々にとって、「絶望した」などとヌルい情緒に耽溺してしまうのは、悪徳である。およそ、最も嫌な死に方とは、誰かに殺されたのに、「自殺」扱いされてしまう死に方だ。真に憂慮すべき事柄・統一協会に連なる連中による日本の私物化は、それほど多くの人間によって行なわれているわけではない。私の言う「カルトのカーテン」http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060715#1152898309の内側にいる人間の数はそれほど多くない。「カルトのカーテン」の内側にいる人びとは、我々が「絶望」し「無力感」に陥ることを期待している。だから我々は決して「絶望」してはいけないし「無力感」など覚えてはならない。たしかに「カルトのカーテン」の内側の連中はその気になれば人を「抹殺」した上でそれを「自殺」処理できる能力を持っているかもしれない。おそらく持っているだろう。だからこそ連中に口実を与えてはならない。我々は「絶望」してはならない。「絶望」は死んだ後にすれば充分だ。我々は「絶望」する前にすべきことがいくらでもある。

ぽちっとな