カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

ヽ(´ー`)ノ

斎藤淳事務所へ。斎藤淳事務所と今後色々協力関係が作れるといいな。
大学のパンフレット手に入れたけど、前提とする情報が判らんからやっぱ判らんわ。
Y先生のコンパに参加させていただく。

以下、それとは関係なく、メモ。
「他者にものを伝える技術」は、たとえば修辞学とか雄弁術といった学問がかつてあったが、教員へはその技術を伝達していない。
教育とメディアは本来セットで、ある意味競合物だ。
大学が大衆化した70年代以降は、下層文化で生育した下層大衆が、上流階層文化を前提とした大学に続々入学した。
大衆メディアは下層文化を前提としている。
下層文化で生育しても、頭の出来がよければ、大衆メディア情報からの蓄積で、ムリはあるが進学的にはどうにかなる。が、大学が前提している上層文化とは断絶していたから、文化ギャップがあり、その文化ギャップを誰もフォローしない。
下層文化で生育した人間は、上層文化とのギャップに苦しむが、その苦しみを抱えた人は、素で上層文化のヤツに比べ、大きな重荷を抱えることになり、「優秀でない学生」になる。
ブルデューは文が硬いが、このあたりのことを考えるヒントになる。
「学力崩壊」関係の本や、「階層」論も参考になるはずだ。