カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか、狂乱している老母との生活とか

『蟻の兵隊』

ドキュメンタリ映画『蟻の兵隊http://www.arinoheitai.com/を観てきました。不正義と正義に関する映画です。不正義とは、日本軍上層部と、その戦争犯罪を隠蔽しようとする司法と、靖国利権に連なっている売国奴どものことです。
日中戦争終結した1945年8月、中国山西省にいた5万9000人の日本軍部隊はこの地方の中国国民党軍に降伏した。軍閥的な国民党将軍・閻錫山(えん・しゃくざん)は、共産党軍との戦いに日本軍を必要とした。日本軍司令官・澄田ライ[貝來]四郎は閻錫山(えん・しゃくざん)と密約を交わし、日本兵2600人を残留させた。以後彼ら日本軍兵士は数年にわたり戦闘を継続させられる。しかし日本政府は彼ら残留日本兵に対し、補償や恩給の対象から一切外し、現在に至っている。
奥村和一氏が、病床の…というより、寝たきりでもはや会話もできなくなっているしおそらく思考力すらなくなっていると思われる宮崎舜市中佐に語りかけると、宮崎舜市中佐が咆哮するシーンには、語りえない凄みがあった。
宮崎舜市中佐は終戦後、軍人・民間人合わせて200万人の残留邦人の帰国輸送を統括した。山西省での将兵残留の不穏な動きを当時察知し、澄田ライ[貝來]四郎司令官らに残留部隊編成の中止を強く迫った人物だ。立派な人物だ。正義の人だ。それにより組織的な残留工作は一度は撤回された。が、澄田ライ[貝來]四郎司令官らにより極秘裏に残留工作はなされ、結果として2600人が残留兵士となった。
奥村和一氏が病床の宮崎舜市中佐に語りかけた内容は、「我々の力が弱いため、裁判に勝てなかった、申し訳ない」という事柄だ。その瞬間、恍惚の人と思われていた宮崎舜市中佐が咆哮する。その咆哮は宮崎舜市中佐による奥村和一氏らへの謝罪の哀哭であり、不正義への怒りの咆哮であったようだ。
2600人に残留を命じた澄田ライ[貝來]四郎司令官は、閻錫山(えん・しゃくざん)将軍に計らってもらい、残留兵士を残したまま、ひとり日本へ帰国した。最低な人物だ。
上映は8月いっぱい、渋谷シアターイメージフォーラムにて。
書籍版として『私は「蟻の兵隊」だった』(岩波ジュニア新書)がある。

私は「蟻の兵隊」だった―中国に残された日本兵 (岩波ジュニア新書 (537))

私は「蟻の兵隊」だった―中国に残された日本兵 (岩波ジュニア新書 (537))

関連 
http://d.hatena.ne.jp/xiaogang/20060805#p1
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20060807/p2

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