カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか、狂乱している老母との生活とか

「教育」と「医療」の類似性

他の国のことは知らないが、日本の場合、あまり勉強していない政治家は「教育」を口にする傾向がある。とくに文教族議員はバカの集まりであり、カルト癒着議員と暴力団癒着議員だらけだ。
またあまり政治や政策のことを勉強していない一般人も、政策のこととなると「教育」を口にしがちであり、政治や政策のことを知らなくとも「教育論」は多くの人が一家言持っている、と少なくとも本人は思っている。
これは「教育」なら自分が経験したことだから自分は判っている、と思ってしまいがちだからだ、としばしば説明される。この説明は正しい。
ところで、たいがいの人は「病気」を経験している。「治療」も経験している。だが「医療」なら自分が経験したことだから自分は判っている、と思う人はあまりいないし、そう主張する議員はもっといない。薬害エイズ原告団の元代表・家西悟議員は偉大な例外だ。
この違いは何か。「医療」の場合専門性が高いと我々は思っている。また我々はふつう「医学」を「科学」だと思っている。少なくとも加持祈祷と「医学」は別だと我々はふつう思っている。だから我々は「患者」というかたちで「医療」を経験していても、その政策についてあまり語らない。
「教育」の場合、まず戦前戦中に「科学」性が政治的に排除されるという歴史的不幸があった。「教育学」は社会科学の一環だと言えると思うが、戦中の日本では社会科学は排斥され、貧弱なものとなった。戦後の一時期社会科学は復権し、今もある意味その復権は続いてはいるが、戦後にも歴史的不幸があった。戦後の冷戦構造下で文部省官僚と文教族議員は戦中の人脈を継続した。「社会科学」と共産主義の区別をつけない言説が文教族の意識では継続した。その人脈から文教族議員ならびに文部省と、日教組とは、不倶戴天の仇敵となり、文教族議員と繋がる暴力団日教組を物理的意味も含めて「攻撃」し、文教族議員は「共産主義」に対抗すべくカルトや暴力団などと深く繋がった。カルトも暴力団も己を分析されることを嫌う。両者ならびに文教族議員は主観の無限拡大を行動原理としており、「社会科学」を嫌う。よって、「教育論」において、とくに教育行政の場では、「社会科学」からの提言はあまりまじめに受け止められず、せいぜいがご都合主義的なつまみ食いがなされる程度の科学性のみであり、「加持祈祷」レベルの迷信がいっぱしの「教育論」ヅラをする、という悲惨な状況が現在まで続いている。
本来、「医療」と同じ意味で、「教育」の専門家以外が「教育」行政にぎゃあのぎゃあの口を挟むのは、「医療」行政に加持祈祷や民間療法を書き加えろと要求するのと同じ意味で、慎まれるべきことである。
安倍晋三が言うところの「教育」とは、この「加持祈祷」の類であり、安倍晋三は真性のバカであるから、「加持祈祷」だけを信じて、社会科学としての教育学を憎悪している。だから安倍晋三の「教育」言説は痴呆的なのであり、これからも痴呆的であり続ける。もちろん「教育」を加持祈祷レベルにしたら日本の国力は確実に低下するが、安倍晋三は当人が真性のバカであり、彼の取り巻きも安倍晋三を総理に相応しいと考えるような、知性か倫理観かのどちらかか、あるいは両方が欠落した人々であり、日本の国力を衰えさせることを目いっぱい全力で行っている。
多くの人が知っている通り、安倍晋三は受験勉強すらしたことがなく、おそらく入社試験も受けたことのない、血統と世襲人脈だけで議員になり自民党幹事長になり内閣総理大臣になった低能である。

痴呆の売国奴安倍晋三は一刻も早く地獄へ墜ちるべきであると憤る同志は   にほんブログ村 政治ブログへ  をクリックされたし。