カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか、狂乱している老母との生活とか

フォードとヒトラー、アメリカとヒトラー

以下メモする。

1

http://www.nagaitosiya.com/a/fordism.html
なぜアメリカが、フォーディズムのおかげで、イギリスに代わって世界最大の工業国になれたか〔略〕。
フォーディズムの画期的な側面は、生産効率の上昇に伴う利潤の増大を、労働者賃金の上昇に反映させた点にある。〔略〕
フォードの経営は、今日私たちが「日本的経営」と呼んでいるものに近く、株主や銀行家のために利潤を追求するのではなく、消費者に安くて良い製品を提供し、労働者に高い賃金を支払って、社会に奉仕することを経営の目標とした。〔略〕
このフォードの経営方針は成功した。高い賃金をもらった労働者たちが、その金でフォードの安価なT型自動車を買ったからだ。〔略〕
〔略〕イギリスは、海外に植民地をたくさん持っていたので、国内の労働者の賃金を上げて有効需要を増やす必要がなかった。マルクスが糾弾したように、イギリスの資本家は、イギリスの労働者を徹底的に搾取した。この搾取は、一見するとイギリスの資本家に恩恵を与えるかのように見えるが、国内においても、植民地においても、消費者の大多数を極貧状態に追いやったために、イギリスの工業は、衣類のような、貧乏人でも買うような製品しか大量生産できない段階で停滞した。〔略〕
このフォーディズムをドイツに移植しようとした人物がいた。アドルフ・ヒトラーである。ヘンリー・フォードは、ナチス党の運動を賞賛し、1922年という早い時期から、外国人としては初めて、ナチスに資金援助をした。一方、ヒトラーもフォードを崇拝し、事務所にフォードの肖像写真を飾っていた。フォードの『国際ユダヤ人』は、ナチズムの信奉者たちの間で聖典のように読まれた。
1929年の世界経済恐慌の波がドイツに押し寄せてくると、失業者数は600万近くになり、社会不安を背景に、ナチスが党勢を拡大していった。 1933年、首相に就任したヒトラーに国民が求めたことは、失業率45%という深刻な雇用問題の解決であった。そして、ここでヒトラーは、フォードのまねをした。一方で、高速道路(アウトバーン)の建設という公共事業を行い、他方で、安価な大衆車の大量生産を帝国自動車工業会に命じた。ドイツの労働者は、公共事業で職を得、稼いだ金で、T型フォードのドイツ版とも言うべき国民車、フォルクスワーゲン・ビートルを購入した。そして自動車の普及が消費と生産を拡大していった。ドイツの不況は克服され、1939年には失業者数も30万人に激減し、それは当時ヒトラーの奇蹟と呼ばれた。

いつも思うんだが、日本にはヒトラーやナチズムのように雇用問題対策しようという右翼は全然いないよな。
関連外部リンク http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20100913

2

日本の現状

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100923-OYT1T00047.htm
生活保護190万人超す、1950年代並み水準
 全国の生活保護受給者が今年6月時点で190万7176人(速報値)となり、前年同期比で20万8307人増加したことが22日、厚生労働省のまとめでわかった。
 190万人を超えたのは、受給者が多かった1950年代並みの水準となる。長引く景気低迷の影響などで、生活保護を受ける人が増えているとみられる。
 同省によると、生活保護受給者は2008年12月で160万人を超えた。それ以降、毎月1万〜2万人程度のペースで増え続けており、今年6月は、前月比で1万8822人の増加だった。
 受給世帯数も増加傾向が止まらない。今年6月時点では137万7930世帯で前月比1万3711世帯の増、前年同期比でみると、14万7923世帯の増加だった。受給世帯数は26か月連続で過去最多を更新し続けている。
(2010年9月23日03時04分 読売新聞)

3

ヒトラーとアメリカからの連想。以下、『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』の冒頭部分の以前書いた要約http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/1274/1076336901/


アメリカに中央情報機関が置かれ、世界にスパイネットワークを張り巡らせる以前、スパイの役割を肩代わりしていたのは、民間石油企業や投資銀行、法律事務所などのエリート達だった。CIAの原型情報調整局COIが設置されるまで、スタンダード石油、ブラウン・ブラザーズ・ハリマン商会、サリバン&クロムウェル法律事務所などの役員たちが、国際政治舞台で暗躍し、アメリカ対外政策に影響を及ぼした。(7p)

第一次大戦で打撃を受けたドイツ経済の復興に熱心だったのはアメリカだ。ドイツが政治的・経済的に不安定になることで、世界の政治経済の安定が脅かされることを懸念した。
アメリカ最大の銀行J・P・モルガン商会の共同経営者トマス・ラモントは以下のように述べた。「欧州はアメリカ最大のお客さんであり、アメリカ産の穀物・綿花・銅やその他の一時産品を購入してくれる最大の顧客だ。アメリカの産業と商業活動を回復させるためには、欧州復興のため力を注がなければならない」(13p)
 ドイツ賠償金問題解決にアメリカの民間銀行家が乗り出した。シカゴの銀行家チャールズ・ドーズを議長とする、ドイツ復興のための各国金融問題のエキスパートを集めたドーズ会議には、ゼネラル・エレクトリック社会長オーウェン・ヤング、ロスの銀行家ヘンリー・ロビンソンなどアメリカ財界の大物が出席した。ドイツ経済はアメリカ金融資本を中心とする外国管理下に置かれた。1924年、J・P・モルガンが主幹事となり、欧米各国の首都でドイツ債が発行された。(16p)
 20年代対独投資ブームでは、ごく少数のウォール街投資銀行や法律事務所のエキスパートが米独間のビジネスをとりまとめ、莫大な利益をものにした。その一人がジョン・フォスター・ダレスだ。ダレスはウォール街の名門法律事務所「サリバン&クロムウェル」の共同経営者で、パリ講和会議アメリカ代表団法律顧問に参加したのがきっかけで、ドイツ政財界エリートたちと懇意となった。ダレスたちが20年代にもっとも活動的だった分野は、米独間の金融と売り引きだった。ジョン・フォスター・ダレスは、1924-32年に、10億ドルを超える対独金融取引をまとめた。ジョン・フォスター・ダレスは後に合衆国国務長官に、実弟アレンはCIA長官になる。(17-18p)
 投資銀行ブラウン・ブラザース・ハリマン商会は、20年代を通じ、ドイツ債を商い大儲けした。ハリマン兄弟の父親は、日本と南満州鉄道の共同経営を提案した、19世紀アメリカの鉄道王E・H・ハリマンだ。ブラウン・ブラザース・ハリマン商会の前身、W・A・ハリマン商会で活発にドイツ債を商ったのが、ジョージ・W・ブッシュ大統領の祖父プレスコット・ブッシュだ。プレスコットはローランド・ハリマンの学友で、1926年W・A・ハリマンの副社長となり、ブラウン・ブラザース・ハリマン商会では執行役員となった。(18-19p)
 莫大なアメリカン・マネーがドイツに流れ込んだ。ドイツ経済は寡占化が進んだ。
1926年ドイツ四大鉄鋼会社が合併し、合同製鋼株式会社が誕生した。アメリカのU・S・スチールに次ぐ世界第2位の鉄鋼会社になった。
1925 年ドイツ八大会社が合併し、IGファルベン社が誕生した。ドイツ化学工業の生産及び売上の30%以上、輸出の50%以上、就業者の30%を占めるマンモス企業となった。化学会社としては世界最大だった。軍事上の重要性は、火薬・ダイナマイト・毒ガス・化学兵器原料を独占的に生産した点にある。ナチス強制収容所で使用された毒ガス、ツィクロンBはIGファルベンが開発した。アメリカのナショナル・シティ銀行がIGの3000万ドルの社債発行を引きうけ、ドイツ最大の化学会社誕生を可能にした。ナショナル・シティ銀行は、世界最大の石油会社スタンダード石油を支配するロックフェラー家の銀行であり、ロックフェラー・グループ、とくにスタンダード石油はIGファルベンと提携関係となり、ドイツの再軍備を側面支援する。(19-21p)
合同製鋼の監査役会会長フリッツ・テュッセンは、まだ無名だったヒトラーのファンとなり、ナチズム運動初期の最大のスポンサーになった。(22-23p)
1929 年、ドイツ賠償総額と支払期限を決める国際金融会議が開催された。議長はモルガン財閥の銀行家でゼネラル・エレクトリック社会長のオーウェン・ヤングだ。賠償額の年間支払い額はヤング案により減額され、支払期限は延長された。テュッセンはヤング案に反発し、テュッセンとヒトラーの関係は強まった。(25-26p)
1929年、世界大恐慌が起きた。ドイツでは失業者が、1929年9月の132万人から1932年9月には510万人に急増した。1930年ナチスは19%の票を獲得し、ドイツ第二の政党になった。ヒトラーは財界、とくにルール重工業首脳と恒久的なパイプを持つことに成功した。(26-27p)
1932年7月の選挙でナチスは608議席中230議席を獲得した。IGファルベン社はナチスに接近した。IGはナチスに三万マルクの資金援助を行なった。1932年11月の選挙で、ナチスは34議席を失い、かわりに共産党が11議席増やした。とくにベルリンでは共産党ナチスをはるかに上回り第一党になった。ドイツ重工業界首脳は共産主義の脅威からドイツを救うためヒトラー政権の誕生を望み、画策した。1933年1月、ヒトラー内閣が誕生した。(27-30p)
1933年、ヒトラーはアメリカ企業家代表団と接見した。代表団は、アメリカ大手通信社ITTのソスシーンズ・ベーン社長だ。ベーン社長はヒトラーの経済顧問ヴィルヘルム・ケプラーに、ITTドイツ子会社取締役候補、ナチスと折り合いのいいドイツ財界人紹介を頼んだ。ヒトラーのスポンサーでケルンの銀行家シュレーダー男爵が、ITTの子会社の取締役に就任した。シュレーダーを通じ、ITTは兵器ビジネスを拡大させた。ITTはもともと通信という軍事に重要な分野に関わっていた。1938年ITTのドイツ子会社ロレンス社はドイツ軍用航空機メーカー、フォッケ・ヴォルフ社の株式28%を買収した。ロレンス社はナチスの兵器を生産し、ドイツ再軍備に貢献した。
1922-25年の駐独アメリカ大使アランソン・B・ホートンは「赤の国よりは独裁国家を望む」と発言していた。(30-31p)
当時のアメリカ財界エスタブリッシュメントは、ヒトラーを歓迎していた。1929-40年のアメリカの対独投資は、他の欧州諸国への投資が減少しているにも関わらず、48.5%上昇した。同時期のアメリカの対英投資は2.6%増えただけだった。(32p)
ジョン・フォスター・ダレスは30年代、大企業間の競争を廃しマーケットを分割する国際カルテルをとりまとめた。カルテル協定によりアメリカ大企業はドイツ企業の進んだ科学技術を入手できた。まずニッケルに関する協定をダレスはまとめた。ニッケルは装甲版やステンレス鋼製造に不可欠な、軍事的に重要な戦略物資だった。IGファルベン社はこのカルテルへの参加が許され、ニッケルという戦略的に重要な減量を入手できた。
ダレスは化学業界の大再編・カルテル化にも関わった。マグネシウムという、航空機産業での不可欠な原料に関するカルテルはドイツに圧倒的に有利に作られていた。イギリスはマグネシウム輸入ではドイツに依存する羽目になった。(33-36p)
ロックフェラー家の中核企業スタンダード石油はIGファルベン社と提携した。(37-41p)

アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか

アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか

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今日はwebがバカみたいに重いな。