カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか

『この世界の片隅に』観たことと、涸れ果てている自分の内面

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話題になっている『この世界の片隅に』観た。山梨では上映してないので上京して。
それ以前に原作マンガ読んでいたけど、「あれ? こういう話だったっけ?」と、特に後半感じた。
紙屋研究所http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20161211/1481467922さんが述べる通り、マンガでは後半を心象風景として描き、映画では「日常の再現」として描いたことや、
町山智浩http://miyearnzzlabo.com/archives/40487が指摘するよう監督の『BLACK LAGOONブラック・ラグーン)』などの志向・経験から来る「銃撃の『リアル』さ」への傾斜、自分が感じた範囲では「音」のリアルさ、そういうもので印象がだいぶ違ったかなとか思った。
良い映画だった。
映画館出た後作品を思い出して泣いたというレビューも読んでいた。残念だ、俺にはもうそういう感性が残っていなかった。
若かりし頃、自分をあれだけ振り回した共感感情とか感受性とかそういうものはもう俺には残っていないようだ。

2

共感感情とか感受性とかは若さに付随するものなのかな、とか思った。
50歳が近づき、そもそも「不愉快」と「やるせない悔しさ」以外の感情が自分の中からほとんどなくなっていることに改めて気づいた。(これに「不寛容」を加えれば感性は完全に保守だ。)
性感が衰え鈍くなったこととリンクしているというかパラレルというか。
ちんちんを触られることを想像するだけで勃起し触られたら射精してしまうような内側からごんごん溢れる感情、というのが涸れて。
ちんちんをしごかれても遠い感覚鈍い感覚しか感じないような、感情自体がそういう感じな。

3

共感力とか感受性とかプラスな感情は、幼い頃に蓄えるもので、その貯金を切り崩して後半生を過ごすように感じる。
俺は祖母からの愛情でそれを得て、40歳代いっぱいまで感情貯金が残っていたが、そろそろいよいよ尽きてしまったように思う。

4

とはいえ、それは俺が「不愉快(含む警戒心)」と「やるせない悔しさ」という感情にマインドセットする時間が長すぎるからその感情で固定している側面はあって。
我が老母と約1週間会わないでいたら、氷が解けるというか塩が溶けるというかそんな感じで他の感情もじわり湧いてきたりしたから、年齢的問題よりどの感情でマインドセットするかは大きいようにも思う。できれば「不愉快」と「やるせない悔しさ」などというマイナス感情にセットしたくないものだが。

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この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

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