カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

小中学校時代の自分へのメッセージと大学生時代の自分へのメッセージと

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20170105/1483615838の続き

小中学校時代の自分へのメッセージ

お前のいる環境ははっきり言って地獄だ。柔らかに言って地獄に隣接している。そのことをお前は知っている。地獄そのものだと言ってさほど誇張ではない。刑務所によく似ている。
内戦時代のカンボジアベトナム戦争時代のベトナムよりはマシだろうから、地獄そのものよりは少しマシなはずだとお前は考えて、4歳から15歳までの幼少期11年間耐えたが、お前のいる其処は地獄に程近い。お前はそのことを薄々知っている。そしてお前の周囲の大人は誰も気づかない。大人は子供を理解しようとは毛ほども思っていない。「君たちは人生の一番いい時代にいる」とか朝礼で抜かした町会議員は死ね。とっくに老衰で死んでいるが。
お前に非は何もないが、お前の環境は最低だ。
生まれた場所とタイミングが悪かった。
内戦の現場よりマシっていう比較を先進国日本の小学生がせざるを得ない時点でおかしい。
お前を救う方法は50歳になる今の俺にもちょっと見当がつかない。転校させるくらいが関の山だ。転校先も似たようなところだろうが、転校させるに至る経緯が少しはお前の父母に心の痛みを与えたかもしれない。そういうものを感じない父母だが。お前の父母には共感能力がない。お前はそのことを想像できないが、お前の父母はそういう狂人であり特に母親は狂人度合いが酷い。
転校に至るためには、少なくともお前は数週間レベルの家出くらいはする必要がある。きつい話だが、家出しろ。それで事態が好転するとは今の俺でもさほど思わないが。お前が家出して飢え死にしても状況はさして悪化しない。だから家出するほうがだいぶマシだ。
お前があと4日早く生まれれば、地獄からかなり遠いところで育つことができた。
お前が好きだった祖父が早生まれだったことが生涯の桎梏で、俺の生誕に際し、「早生まれで生まれるな」と願い、それゆえ俺が出産予定日より一週間遅れて生まれたというエピソードを我が老母が嬉しそうに語るのがつらい。
もしも小学受験とか中学受験とかの選択肢があったら多少は話が違うが。そんな選択肢はない。
狭い範囲で考えると受験は人を救う手段だ。秘境レベルの田舎にはそんな選択肢はない。

大学生時代の自分へのメッセージ

大学で得た知識でその後の人生を乗り切るのだということをお前は知らないが、知れ。
専攻選択をしくじったことを1年生1学期で知り、専攻変更のための試験等をすることを父母に相談しようとしたという点は同情できるが、後者は無意味な作業だ。お前が勝手にやれ。お前の父母はともに語るに値しないし報告するに値しない。お前の母親は過干渉だが、狂人ゆえの過干渉なのであって、忖度する必要はない。というか忖度は罪悪だ。学費を払っているのは彼らだがフリーライドしろ。責任を感じるな。向こうもお前に責任など、正味のところ何も感じていない。狂人なのだから。
大学一年生の時にお前の母親が狂人だという事実をこれ以上なく突きつけられてお前は心が折れたが、狂人から逃げるためのチャンスは大学時代に得られるはずだった知識にある。お前の母親は狂人だからお前の心を挫くために全力を尽くした。そしてそれは叶った。お前の母親は狂人だからお前が心を折ったことに憤慨した。狂人の狂人たる理不尽論理。狂人の論理に付き合うのは身内レベルでは生涯の損失だ。
お前が進んだ大学はお前の生活感覚的には上層過ぎて居心地が良すぎることに背徳感を激烈にお前は抱いたが、そういう感覚を与えようとお前に呪いをかけ続けた母親の狂気から離脱する戦略をお前は立てるべきだった。
常人には無理なのだが。

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高校生の頃の自分へのメッセージ

高校時代は俺の人生の中ではわりと安楽な時代だったが、色々選択を間違えた時期で、息子がいたらとくとく語るのだが、息子は生まれそうにないのでここに記す。
自分を好いてくれる子が登場することもある。その子のことを誰に対しても悪く言うな。
絵が好きなら素直に美術部に入れ、誘われても体育会系の部になんぞ入るな。体育会系に向いていないのは自分でよくわかっているだろう。
進路相談は一人二人に相談するだけではなくて教員全員に相談しろ。いっそ親族全員に相談しろ。お前の父母は想像しうる限り最も相談相手に向かない。
高校での文系と理系というのは、「英語が得意か、数学が得意か」という意味なのだということをまず理解しろ。
英語が壊滅的に判らないことを、できるだけ早く英語教師に伝えろ。
お前の苦しみの半分は大学進学で正しい選択をすれば消えることをお前に誰一人伝えないし、何が正しい選択なのか誰一人ヒントもくれない。誰かヒントよこせと全力でもがけ。おまえはまだ認めたがらないが、お前の母親は狂人だからお前は母親の心情を察しようとする努力を全力で放棄しろ。

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kindleを紛失、年末の近況

1

キャンプ連盟のおっちゃんたちと反省会名義での一泊旅行の直後、菅直人のパーティーに出席するため友人宅へ一泊という強行スケジュールしたら、その後、kindleを紛失した。
駅で紛失したか、自宅で我が老母が錯乱して捨てたか。我が老母はわりとしょっちゅう錯乱して俺の私物を捨てる。狂人故。我が老母が捨てたとは限らないが。
駅に問い合わせ、警察に届けたが、出てくる見込みがなさげなので、amazonの紛失時のお勧めに従いamazonの個人ページから端末を削除した。

2

この世界の片隅に』を観た勢いで、『BLACK LAGOON』視聴。ロベルタの登場シーンがバカバカしくていいね。その際の曲もいい。ロベルタの復讐編のほうはメイドコスしてなくてメガネっ娘してなくてどうなんだろうという感じだったけど。銃声にこだわりを感じた。
ロベルタ登場曲は↑5分48秒くらいから

3

自営業のほうでは今年は年末年始約1週間満室が続き、どういうことだこれはと思った。確認したら昨年もそうだった。その前の年は全然そうではなかった。してみると年末年始に約1週間満室になる流れに昨年からなったのだろう。

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『この世界の片隅に』観たことと、涸れ果てている自分の内面

1

話題になっている『この世界の片隅に』観た。山梨では上映してないので上京して。
それ以前に原作マンガ読んでいたけど、「あれ? こういう話だったっけ?」と、特に後半感じた。
紙屋研究所http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20161211/1481467922さんが述べる通り、マンガでは後半を心象風景として描き、映画では「日常の再現」として描いたことや、
町山智浩http://miyearnzzlabo.com/archives/40487が指摘するよう監督の『BLACK LAGOONブラック・ラグーン)』などの志向・経験から来る「銃撃の『リアル』さ」への傾斜、自分が感じた範囲では「音」のリアルさ、そういうもので印象がだいぶ違ったかなとか思った。
良い映画だった。
映画館出た後作品を思い出して泣いたというレビューも読んでいた。残念だ、俺にはもうそういう感性が残っていなかった。
若かりし頃、自分をあれだけ振り回した共感感情とか感受性とかそういうものはもう俺には残っていないようだ。

2

共感感情とか感受性とかは若さに付随するものなのかな、とか思った。
50歳が近づき、そもそも「不愉快」と「やるせない悔しさ」以外の感情が自分の中からほとんどなくなっていることに改めて気づいた。(これに「不寛容」を加えれば感性は完全に保守だ。)
性感が衰え鈍くなったこととリンクしているというかパラレルというか。
ちんちんを触られることを想像するだけで勃起し触られたら射精してしまうような内側からごんごん溢れる感情、というのが涸れて。
ちんちんをしごかれても遠い感覚鈍い感覚しか感じないような、感情自体がそういう感じな。

3

共感力とか感受性とかプラスな感情は、幼い頃に蓄えるもので、その貯金を切り崩して後半生を過ごすように感じる。
俺は祖母からの愛情でそれを得て、40歳代いっぱいまで感情貯金が残っていたが、そろそろいよいよ尽きてしまったように思う。

4

とはいえ、それは俺が「不愉快(含む警戒心)」と「やるせない悔しさ」という感情にマインドセットする時間が長すぎるからその感情で固定している側面はあって。
我が老母と約1週間会わないでいたら、氷が解けるというか塩が溶けるというかそんな感じで他の感情もじわり湧いてきたりしたから、年齢的問題よりどの感情でマインドセットするかは大きいようにも思う。できれば「不愉快」と「やるせない悔しさ」などというマイナス感情にセットしたくないものだが。

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この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

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