カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

(´ー`)y-~

字数オーバーにつき、以下にポスト
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/1274/1025166092/136-140
[2012/01/19 22:27リンク先から転載]

1

 松本清張の『日本の黒い霧』を(上巻だけ)読む。ゾルゲ事件についての記述があった。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167106027/qid=1081297029/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/250-9479339-9838607
 連想的に、ビデオ『スパイ・ゾルゲ』を見る。映画としては出来はよくなかったが、第一次大戦から 日本終戦までの略史としては判りがいい。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000CFB32/qid=1081297085/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/250-9479339-9838607
 webでゾルゲを調べてみる。いくつか面白いサイトを見つける。

http://homepage2.nifty.com/ikariwoutae/starthp/isidou.htm
 なかでも目をひくのが、陸軍省軍務局長の【武藤章】、(略)陸軍統制派の最も有力な人物です。 この武藤が、ゾルゲをたいへん信頼していて、憲兵隊長を呼びつけて「ゾルゲ先生にあらゆる情報を 提供せよ」と軍務局長の名で命令しています。(略)
戦前のコミンテルンの最高幹部であり、戦後ソビエト共産党の最高幹部であったオットー・クーシネン という人がいますが、その奥さんかアイノ・クーシネンといいます。彼女はゾルゲのもとに配属され、 三年間、日本で情報活動に従事します。(略)尾崎・ゾルゲ事件の調書をみますと、ゾルゲグループ のなかにイングリッド(Ingrid)という名前の人物が出てきます。(略)
アイノの伝記(Aino Kuusinen.Der Gott Sturszt Sein Engel 一九七二年 邦訳 アイノ・クーシネン 「神はその天使を破滅させる」一九九〇年 事情があって社会評論社は発売中止)が出てはじめて それがアイノ・クーシネンであることがわかった。(略)彼女が最も親しかったのが【秩父宮】だった。

 昭和天皇には弟が三人いる。秩父宮高松宮三笠宮昭和天皇と弟たちは仲が悪い。 秩父宮は陸軍に所属していた。2.26事件は、昭和天皇を廃して秩父宮を新天皇にしようとするクーデター だったという噂がある。

2

 「近衛上奏文」という、有名な文章がある。15年戦争末期、1945年2月に、近衛文麿が御前会議に 上奏した文だ。日本史上有名で重要な史料だが、まだあまり研究が進んでいない文章だ。 文章作成には殖田俊吉(戦後の大臣)や吉田茂が関わっているようだ。

 「近衛上奏文」の論旨は、以下だ。

 1;日本の敗戦は必至だ。
 2;憂慮すべきは敗戦よりも、敗戦に伴なって起きる共産革命だ。
 3;共産革命の条件は揃っている。生活の窮乏、労働者発言権増大、英米への敵愾心高揚の反面 として親ソ気分、軍部内の革新運動、新官僚の運動。とくに憂慮すべきは軍部内の革新運動だ 〔カマヤン注;具体的には統制派を指すようだ〕。
 4;少壮軍人は国体〔天皇制〕と共産主義は両立すると信じている〔北一輝の論などを指すか?〕。 皇族にもこの主張に耳を傾ける方がいる。〔秩父宮のことか?〕 
 5;満州事変・支那事変を起こし拡大し、大東亜戦争に導いたのは、軍部内の計画による〔実際には 軍部内主導権はリレー状に、あるいは玉突き的にバトンタッチされ、一貫した計画が成立したわけではない〕。 満州事変の時、彼らが事変の目的は国内革新にあると公言したのは有名な事実だ。
 6;いわゆる右翼は、国体の衣を着けた共産主義者だ。
 7;一億玉砕を叫ぶのは、これによって国内を混乱させ、革命の目的を達そうとする共産分子だ。
 8;戦争終結の最大の障害は、満州事変以来今日の事態まで時局を推進してきた軍部内の「かの一味」 〔具体的には統制派のことらしい〕だ。
   出典;『外交資料 近代日本の膨張と侵略』(新日本出版社、1997年)380-383pより抜粋構成。

 1945年2月時点で日本の敗戦を断言した有力者は近衛だけだ。暗殺対象になるのが怖くて、有力者たちは 皆空元気を述べていた。「労働者発言権増大」と近衛は述べているけど、そうかなあ? 「親ソ気分」と いうのは奇妙な話だが、実際この後、日本政府は終戦の仲介としてソ連に期待している。ずっと日本の 仮想敵だった、思想的にも敵であるソ連に終戦仲介を期待する国際政治センスが不思議すぎるが、 そういう変な判断をした原因の一つとして、ゾルゲの存在があるのかもしれない。「近衛上奏文」時点では ゾルゲは処刑されている。
 近衛文麿が「憂慮すべき軍部内革新運動」と呼んでいるのは、具体的には、統制派を指すようだ。 近衛文麿皇道派と繋がりがあり、皇道派から意見を聞いた。皇道派は神がかっていて理性的判断が できない集団だ。皇道派から見ると統制派は「共産主義」に見えたようだ。
 「満州事変・支那事変を起こし拡大し、大東亜戦争に導いたのは、軍部内の計画による」という言葉には、 皇道派による統制派への恨みと、吉田茂英米派による軍部への憎しみが渾然となっているように思う。
 そして近衛のブレーンの一人が、ゾルゲの協力者だった尾崎秀実だった。ゾルゲ事件は近衛にショックを 与えたはずだ。そのショックが「近衛上奏文」には色濃く反映していると思う。…だが、尾崎秀実特高警察に よってむりやりスパイ扱いされただけで、当人はスパイではないようだ。尾崎秀実への嫌疑は、特高警察が 捏造した事件だったようだ。
 余計な話だけど、「関特演」は関東軍特別大演習ではなくて「関東軍【特種】演習」が正しいそうな。 ふつう「関特演」と呼んでいて、正式な名称は学者の中で意見が分れていたが、近頃公式文書が 見つかって「【特種】演習」だと決着がついたそうだ。

3

 上で引用したサイトは面白い。以下の文もある。

http://homepage2.nifty.com/ikariwoutae/starthp/isidou.htm
 横浜のように手荒なことをやれば、沢山の犠牲者が出る。犠牲者にしたてられた人は大変な災難です。 まったく町を歩いていて、屋根から瓦が落ちてきたようなもので、偶然の災難ですけれども。しかし、 政府は誰かを犠牲にしなければならなかった。それによってこの新しい思想の芽をいまのうちに枯らして おかなくてはならなかった。
 これが政府の方針だった。その証拠に、近衛文麿が最後に天皇に手紙を出します〔近衛上奏文のこと〕が、 そのとき、一番恐ろしいのは共産主義革命だといっている。何をたわけたことをいうのか、そんな革命を やるような勢力が当時の日本のどこにあるか、革命思想がどこにあるか。具体的に革命にむけての方針を もっている人間がどこにいるのか。何にもないのです。
 共産党はリンチ事件やギャング事件で国民から見放されている。だからそれを恐れることはない。 しかし、敗戦は必至である。敗戦になれば、いいまでの指導層は国民の信用を失って後退する。 政治的真空ができる。そのときに新しい革命がおこっては困る。
 これを近衛は、天皇にむかって共産主義革命が起こるといったわけです。誰が共産主義革命を起こすか。 たとえば、軍部を考えていたかもしれない。当時の軍部が、なぜ共産主義かわかりませんが、おそらく 革新将校のなごりみたいなものがあって、国民を組織すれば、国民はそれに吸収される恐れがある、 とでも考えていたのでしょう。
 私は敗戦のとき、満州で捕虜にならずに帰ったのですが、除隊するときに、昨日までわれわれを犬畜生の ように殴ったりしていた将校が、「これからはお前たちの世の中になる」などといいました。
 いままで自分たちが酷い目にあわせていた連中が、こんどは主人公になるという本能的恐怖だと 思われます。

4

 理論家としてのゾルゲを扱った以下のサイトも面白い。
http://homepage2.nifty.com/ikariwoutae/starthp/sonter.htm
 学者としてのゾルゲと、スパイという響きに不一致感を覚えるが、ゾルゲは「公開資料」しか利用しなかったと発言しているそうだから、本質的に学者だったのだろう。
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C111252006/E1647782899/
 ゾルゲのキャラクターについて。
http://homepage2.nifty.com/ikariwoutae/starthp/subpage31.html