カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

書協・雑協、都青少協の答申に反論「表現の自由損ねる」

http://www.shinbunka.co.jp/news2009/12/h091217-05.htm
書協・雑協、都青少協の答申に反論「表現の自由損ねる」
書協と雑協は12月11日、連名で都青少年問題協議会「メディア社会が拡がる中での青少年の健全育成について」の答申に対する意見書を提出した。このなかで児童ポルノ非該当の写真や架空児童の漫画などの規制強化は「表現の自由を著しく損ねる」と反論するとともに、同協議会が「ラブ・コミック」などと規定する本は「都にも定義がなく、レーティングの対象とするのは問題」と鋭く指摘。さらに単純所持の処罰化については「別件捜査・逮捕や冤罪の発生、過去に入手した出版物の廃棄義務は焚書そのもの」と問題点を挙げ、答申への反映を求めた。
意見書では「不健全図書類」や「表示図書類」の書店、コンビニにおける区分陳列販売などの自主規制で都条例を尊重してきた経緯を説明し、そのうえで問題点を指摘した。
第2章「児童を性の対象として取り扱うメディアについて」(答申35〜47頁)への意見では、「児童を性の対象として取り扱うメディアの根絶・追放のため」と一括りにし、児童ポルノに非該当の写真や実在しない児童の漫画を含めて規制強化を論じるのは、実在する児童の人権保護が目的の児童ポルノ禁止法の趣旨から逸脱し、さらに「表現の自由を著しく損ね、由々しき問題」と非難した。
また、出版界に存在しないジャンルである「ジュニアアイドル誌」や「ラブ・コミック」について「どのような雑誌を指すのか不明で、レーティングの対象とすることには問題がある」と言及する一方、出版社の判断で「青少年に販売しない」ための小口シール止めなどの措置を講じていると説明した。
さらに単純所持罪の新設を都が国に要請する件に関しては、児童ポルノの定義が曖昧なままで単純所持罪が新設された場合、過去に入手した出版物の廃棄義務が生じ、焚書そのもので看過できないと強く反対した。
(本紙http://www.shinbunka.co.jp/honsiannailog.htm2009/12/17号掲載記事から)

以上メモ。

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画像はhttp://piapro.jp/content/sieiy3euvx72ekys(みけ)から。

自然への畏怖と寂寥

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昨年末にhttp://d.hatena.ne.jp/gameover1001/というブログを発見して以来、愛読している。引用すべき着目すべきは他に色々あるんだが、心情的にメモしておきたいところがあるのでメモをする。

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080814/1219752518
夜、キャンプに出かけた森の中や、牧場のパドックにひとりで立っていると、人間がもともと感じていたある絶対的な「寂しさ」や「畏れ」というものが判るような気がする。
そもそも人間が文明というものの建設に向かった理由が利便性の追求などではまったくなくて、自分が「虚無」に取り巻かれている、あの感じ、自分の存在のあまりの小ささと無力に戦慄する、あの誰でもが自然のなかにひとりおかれたときに感じる、あの感覚に端を発しているのだと理屈ではなくて判ります。

この畏怖と寂寥と孤独感は、帰るべきどこか、暖かく迎えるべき何かがあることで色々バランスが取れる。畏怖と寂寥を覚える機会は人並みを超えて多く、暖かい何かとか人の繋がりとか社会との関わりを感じることが極めて少なく、骨身が芯まで疲労することばかりが多い環境では、感受性ばかり肥大して碌なことにならない。私の初期設定の日常環境はそこで、そこはスティーブン・キングの言う「悪い場所」に似ていて、そしてそこへ私は帰る。

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以下もメモ。

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20091229/1262116671
英語には「悔しい」という言葉も「反省」という言葉もない。その言葉が前提としている現実そのものが存在しないからです。

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20091021/1256055387
信じてもらわなくても構わないが、わっし〔ガメ〕は「日本人の感情を理解することが出来る」ようになってしまったのでした。わっしは「日本語という知覚システムを通して感受された世界」を見ることが出来るところへまでやってきた。そうしてその「日本人の感情」なるものの悲しさと絶望の深さは、わしがいまだかつて見たことがないものであったことをわしはゆわないではおれないのです。わっしは、これほど孤独な民族がこの世界に存在しているなどとは、これまで想像したこともなかった。日本人が住んでいる世界、というのは言葉で表現しがたいほど哀しく孤独な世界である。日本語なんか勉強しなければよかった。この言語は人間の言葉であるには、哀しすぎる。

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/comment?date=20091021§ion=1256055387#c
前にヤフーJapanのニュースコメント欄〔略〕で合衆国で育ったという人が「自分は“Make somebody happy.”といわれて育ったけど、日本では“他人に迷惑をかけるな”といわれて育つのですね」と書いていたのを思い出しました。

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