カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか、狂乱している老母との生活とか

安倍一族との変な因縁/安倍宗任と鎌倉権五郎

本日の画像は http://www.asahi-net.or.jp/~tj8t-itu/kyara2.html から借用。歌舞伎「暫」に登場する鎌倉権五郎。

http://blog.livedoor.jp/baseom/archives/50421099.html
来月行われる自民党総裁選挙で最有力候補の安倍晋三官房長官は東北の豪族、安倍一族の子孫とされていることからきょう、奥州市にある一族のゆかりの神社で総裁選必勝祈願祭が行なわれました。これは、自民党玉沢徳一郎衆議院議員が働きかけて、行なったもので支持者ら170人が奥州市衣川区の磐(いわ)神社に集まりました。安倍晋三官房長官は11世紀初めの東北地方の豪族安倍宗任(あべのむねとう)の子孫とされ、磐神社は安倍一族の守護神をまつる神社です。

安倍晋三の関連で900年前の祖先の話が出てきたから、この祖先たちの話を書いても罰は当たるまい。安倍晋三のことを調べているうちに異様な世界にトリップする感覚を覚えてしまうことは一度や二度ではないが、今日書くことはいつもとは別方向へのトリップ。他の人にとっては笑い話っつーかバカ話、私にとっては深い因縁。以下、実証的歴史学でどうなっているのかは知らない。歌舞伎世界でどうなっているのかも知らない。webで集めた情報の断片である。
安倍晋三の祖先が、「前九年の役」で源頼義に倒された「安倍宗任」だという話は、だいぶ前に某サイトで発見した。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/1274/1072976963/

25 名前: 安倍晋三との因縁 投稿日: 2004/01/05(月) 06:43

◆ 「そういえば、内閣官房副長官安倍晋三さんは、安倍宗任の末裔という 説があります」 阿部文右衛門さんは、突然ポツリと言って遠くをみる目をした。
◆ 東北の安倍宗任山口県安倍晋三さんのつながりは、唐突のように思われて、私の頭の中では むすびつかなかった。同じ安倍姓だけで関連付けし てしまうのは、かなり乱暴な話である。
◆ 阿部文右衛門さんが帰って、しばらくすると約束通り「原姓安倍氏豊間根家の栞」という石至下史談会の資料が送られてきた。パラパラと拾い読みしていると前九年役で敗れた安倍一族について「三男宗任、五男正任は 朝廷軍に降り、肥前国松浦と伊予国桑村へ流罪、宗任は後に宗像郡大島で 生涯を閉じ、地元の安昌院に眠る。享年七十七歳」とあった。さらに「宗任の末裔は今は亡き安倍晋太郎氏で、子息の晋三氏は父の跡を継ぎ衆院議員として奔走」と記されてある。
http://www.azaban.com/kajika/furusawa/010818_1.htm

前九年の役」については以下参照されたし。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E4%B9%9D%E5%B9%B4%E3%81%AE%E5%BD%B9
安倍宗任」で検索し、以下の記述を見つけた。

http://www.town.yashima.akita.jp/kinenkan/chokainamae01.htm
 鳥海の山名がどういう関係でつけられたかは、この山の変遷をたどる上で、見のがすことができない。鳥海という山名が記録の上に現れたのは、和論語の中に鳥海山大明神とあることに始まるとされている。後世長く呼ばれた鳥海の山名は、どうしてできたのであろうか。結論からすると、安倍氏の全盛時代【安倍宗任(むねとう)】の所領がこの方面にあったことによるものとするのである。なぜかといえば【安倍宗任】を【鳥海弥三郎宗任】と称したことである。そのわけを調べると、宮城県亘理郡に鳥海の浦という所があって、ここが宗任の誕生地であるところから、その生地にちなんで【鳥海弥三郎】と称したと推定される。
 今一つは、【酒田】方面と【宗任】との関係である。かの有名な藤原秀衡の母は宗任の息女で徳尼公と呼ばれた人である。その人は藤原氏滅亡の際、十六人衆と呼ばれる家来と共に【酒田】に逃れてきたと伝えている。現に酒田市の泉竜寺に徳尼公廟があり、また十六人衆の中の何軒かは今に残っているとのことである。

安倍宗任」は「酒田」(加藤紘一の所在地)に関連している。「安倍宗任」の別名は「鳥海弥三郎宗任」と、このサイトではしている。これって歴史学的に正しいのかなあ? たぶんどっかおかしいんじゃないかと思うけど、ともかく続ける。

■目玉清水観世音-岩手県岩手郡滝沢村

 平安の昔、前九年の役(1062年)〔正しくは後三年の役?〕で厨川の柵をめざして兵を進める源義家は、御仮屋山に陣取った安倍の大将鳥海弥三郎の陣に攻め込みました。
 源義家の家臣、鎌倉権五郎景正は、鳥海弥三郎に弓矢で左眼を射られ倒れてしまいました。権五郎は泉の湧く井戸で傷ついた眼を洗い清め再び御仮屋山の安倍勢力に切り込み見事になぎ倒し、この活躍で源義家が勝ったと伝えられています。のちにこの泉の湧く井戸を「玉水さん」と呼んで毎月16日を祭日と定めています。
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~onsen/roman/roman-special01/roman-aterui05.htm

1062前九年の役〔正しくは後三年の役?〕で厨川を目指していた義家が、御仮屋山に陣を構えていた安倍の大将鳥海弥三郎と交戦。義家部下の鎌倉権五郎景正が弥三郎の矢で左目を射られる。泉の沸く井戸で目を清め結局勝利する。この井戸を玉水さんと呼ぶ。目玉清水観音の由来 (滝沢伝承)
http://homepage1.nifty.com/tomori/museum/2/201takiz.htm

我が祖霊にして我が祖先は、この鎌倉権五郎景正である。上の二つの記述は、鎌倉権五郎景正が鳥海弥三郎(安倍宗任?)に片目を射られながらも再び切り込み、安倍勢力に勝利した、という伝説を語っている。鎌倉権五郎景正が参戦したのは史実では「後三年の役」であり、「安倍宗任」とは実際には時代がズレているはずだから、上記記述は何かどこかが間違っているのだとは思う。
wikiの「後三年の役」では鎌倉権五郎について、以下のように記述している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E4%B8%89%E5%B9%B4%E3%81%AE%E5%BD%B9
源義家方の先鋒軍に、鎌倉権五郎景正という16歳の若武者がいた。清原軍の放った矢が右目に刺さるも、その敵を逆に射殺し、自陣に帰った。苦しむ景正に対し仲間の三浦平太郎為次が駈け寄り、矢を抜こうと景正の顔に足をかけた。景正は怒り為次に斬りかかった。驚いた為次に対し、景正は「武士であれば矢が刺さり死ぬのは本望だが、土足で顔を踏まれるのは恥辱だ」と言ったという。為次は謝り丁重に矢を抜いたと伝えられている。

この剛毅な魂が武士の誉れとして、鎌倉権五郎景正は鎌倉武士の守護神となる。ところで我がご先祖が射られたのは左目なのか右目なのか? それはどっちでもいいんだが、片目の神であることから、神田明神とも関連する。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/geinohsi1.htm
鎌倉権五郎は後三年の役で十六歳で出陣し矢で片目を射られながら奮戦した剛の者として知られました。権五郎の「五郎」は「御霊(ごりょう)」に通じ、また額を射ぬかれて死んだ平将門のイメージと重なり合うことから御霊信仰の対象とされたのです。
ちなみに将門を祭る神田明神の「神田」は片目という意味の「カンチ」に由来します。言うまでもなく平将門は関東武士の首領として京都の中央集権に反抗した反体制の象徴であり、江戸町民の自立精神をあおる存在でありました。
それだけに江戸幕府神田明神の扱いには細心の注意を払ってきました。

http://www.geocities.jp/kawanayataibayashi/tairanokagemasa.html

鎌倉権五郎平景政

【初陣】 1083年(永保3年)16才で奥州・後3年の役に出陣。鎮守府将軍八幡太郎義家に従い、奥州の清原氏の反乱(後3年の役)の平定に出陣。清原氏追討で、秋田の堅墨金沢の柵に立て篭もる敵を、先陣として奮迅に攻め勇猛果敢に奮戦し、敵から目に矢を受けたが怯まず敵を殪し(たおし)た。景政手負いたりと陣に帰り、従兄の三浦為次に抜いてもらったが土足で面を踏まれ烈火の如く怒ったという。熾烈な戦闘で清原氏を滅ぼしたが、敵の亡骸を集め塚を造り手厚く葬ったという。今でも《景政の功名塚》と銘記され、金沢の柵の一郭に残されている。そのように、勇壮の中に情があり、遍く(あまねく)天下に名声を轟かした。

鎌倉権五郎は敵を殲滅した後、敵を慰霊した。このように敗北した敵を祭るのが日本の伝統である。敵を祭るからこそ、制圧した土地の住民の人心を得ることができるのである。自国の兵士だけを一つの神社に押し込めて祭るなんて罰当たりかつ自己中丸出しで軽蔑を買う行為をするのは、新興宗教「国家神道」とその末裔の新興宗教「靖国神社」だけである。新興宗教「ヤスクニ」は、日本の伝統的価値観から全く断絶している奇怪な施設である。
鎌倉権五郎は鎌倉・藤沢の開拓者で、歌舞伎「暫」にも登場し、「デジタルデビル女神転生」にも最強のモンスターとして登場する。
ついでに、安倍晋三の祖先について拾い物。

371 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2006/08/30(水) 00:43:36 PLQ8EXLt

安倍が神武天皇に滅ぼされた長脛彦の兄、安日彦の子孫だっつって、信じる人ってどのくらいいる? 史実じゃなくて、あくまで系図上の話のことなんだが・・・。

372 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2006/08/30(水) 12:43:32 BzqsFV1Z

んな妄想を信じるヤツァいねぇ。

382 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2006/08/30(水) 19:52:23 PLQ8EXLt

わはは、やっぱりそうか。ただ妄想したのは俺じゃなくて、晋三んちのご先祖さんなんだ。実は安倍家の家系図がそうなってんだよ。

384 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2006/08/30(水) 22:31:37 DzjQPOrQ

安日彦は邪馬台国の王様だったとする偽書の類もあるからねぇ。一種の誇大妄想だね。

394 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2006/08/31(木) 19:21:35 9g2Hxe/E

奥州安倍氏の拠点は現在岩手県の北上平野だ。安倍氏津軽に進出したのは、前九年の役安倍頼良・貞任父子の勢力が滅んだ後、貞任の子の高星丸が津軽に亡命してからだ。安倍氏を語るなら「陸奥話記」や「藤崎系図」を読んでくれ。すげー面白いぞ。〔略〕
安倍氏の血脈が荒唐無稽なのは、前九年の役の後のことじゃなくて、それ以前のものだよ。なんつったって、アビヒコだかんな、すごすぎるぜ。w
そんなわけで昨日(8月30日)晋三の弟の岸信夫が岩手に来て、大先祖の奥州安倍氏の墓参りをしていった。安倍晋三の安倍家は、蝦夷の大酋長の家系だってことをわかってくれたか?

奥州安倍氏はどこまでさかのぼっても天皇家には繋がらないんだね。
奥州安倍氏の末裔には、松浦党という海賊集団もいる。

http://www.sagatokimeki.ne.jp/genkai/seminar/kiso/kiso-04/kiso1-1.html
 松浦党は、肥前松浦地方に割拠した中世の中小領主・武士団で、広く玄海東シナ海を活動の場とした。嵯峨源氏渡辺綱(つな)また久(ひさし)を祖と考え、直(なおす)・持(たもつ)・勝(まさる)など一字名乗りを使う、擬制的同族集団である。
武士団としての松浦党  彼らの活躍は、古くは平安末期の保元の乱(1156年)や平治の乱(1159年)、壇の浦の合戦(1185年)に見える。

「松浦」っていうとね、「松浦良佑」ってのを連想するんだ。「松浦良佑」については以下リンク先参照されたし。リンク先を読むと、もう一度別方向に、つまりいつもこのブログが扱っている方向、すなわち暴力団とカルトと職業右翼の方向にバッドトリップすること請け合い。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/1274/1037310426/?KEYWORD=%BE%BE%B1%BA
いや、私も自分のブログを暴力団とカルトと職業右翼の話ばかり書こうと思ってはじめたわけではないんだけどね。安倍晋三について調べる前は、そんなこと何も知らなかったわけだし。あ、安倍晋三とカルトと暴力団と職業右翼について調べだしたのは、ブログ始める前からか。
以上、変な因縁についてでした。

ぽちっとな 

創作/もしもこの世に霊魂が存在するのなら、広島被爆者の霊魂は安倍晋三を祟り殺すべきである

http://www.sankei.co.jp/news/060825/sei055.htm
安倍氏、出馬会見は広島で 「平和への思い」強調
 安倍晋三官房長官は25日、9月1日に予定している政権構想の発表を伴う自民党総裁選への出馬会見を、広島市内で行う意向を固めた。1日午後に同市で開かれる党中国ブロック大会に出席し、平和記念公園を訪問した後に記者会見する。
 憲法改正を掲げる安倍氏は「タカ派」のイメージが先行しかねず、被爆地の広島で「平和への思い」をアピールする。地方重視の姿勢を強調するねらいもある。また、ブロック大会終了後に帰京すると記者会見が夜にずれ込み、夕方のテレビニュースに間に合わないことも考慮した。(08/25 10:40)

安倍晋三は総裁選出馬宣言を広島で行なった。安倍晋三の演出係が誰か知らんが、たぶん統一協会電通か世耕か安倍晋三ママの企画だろうが、渾身の企画だ。
ヒロシマ? オレがブサヨの真似をするのかよ?」
「晋ちゃん、そこに座りなさい。」
「はい、ママ」
「いいですか、これから20日間が勝負なのです。晋ちゃんの父は首相になれるチャンスを逃しました。今、晋ちゃんは黙ってさえいれば、首相の席が回ってくるのです」
「だったらブサヨの真似なんてしなくても…」
「晋ちゃん!」
「はい、ママ(目が怯えている)」
「いいですか、自民党総裁の席はたやすく手に入るものではありません。自分とは正反対の豚どもをどう騙すか、それが必要なのです」
「でも…」
「晋ちゃん、母の父、岸信介は、この世で最も偉大な人でしたが、メディア操作には失敗しました。母は同じ過ちを繰り返しません。ですから、晋ちゃんに関する情報はあらゆる力を使って母がコントロールしています。…晋ちゃんが政界デビューしたとき、岸信介の血筋であることをマスコミに黙らせていましたね、覚えていますか?」
「え? そうだったの?」
「晋ちゃんは考えが足りないから覚えていないかもしれません、覚えておきなさい、黙らせていたんです。ところがブサヨな連中がインターネットで、晋ちゃんが岸信介の孫だということを誹謗たっぷりに書き散らしたんです。だから戦術を変えて、晋ちゃんが岸信介の血筋であることを、むしろ全面に出すようにしたのです」
「あ、それ、覚えているよ、なんか女性雑誌だったね、ママといっしょに出た取材だ、ボクが岸信介の孫だってことを言っていいことになったときのことだ」
「晋ちゃん、いい子ね、よく覚えていました。そしてそれ以降も、晋ちゃんに対してつまらないことを言う連中がいたら、こっぴどく脅すよう、怖いお兄さんたちに頼んでいます。加藤紘一もつまらないことを言いそうだったから、家に火をつけておきました。テレビと新聞には晋ちゃんの悪口を絶対に言えないよう、使えるものは全て使いました。全てです。インターネットにも毎日晋ちゃんの宣伝書き込みをさせています」
「ま、ママ、目が怖いんだけど…」
「晋ちゃん」
「はい! ママ!(怯えすぎて泣き出す寸前)」
「これから20日間、晋ちゃんは私たちが用意する原稿以外のことは一切喋ってはダメです。晋ちゃんは口が軽いところがあります。余計なことを口走ったら、何もかもが水の泡です。」
「ぼ、ボク、がんばってるよ、富山での討論だって、ちゃんと勉強していったんだ。富山県の名産品とか、がんばって覚えて…」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060827-00000152-mailo-l16
「そうね。四谷大塚『予習シリーズ社会』4年下巻、富山県のページを夜遅くまでよく勉強していたわね。あんなに勉強したのは初めてだったわね。母は感動しました。ちゃんと富山県の名産品がチューリップだと討論会で言えたわね」
「そうでしょ、ボク、がんばってるんだよ…(えっくえっくと鼻水をすすっている)」
「晋ちゃん」
「はい、ママ(ぼたぼた泣いている)」
「これから20日間、晋ちゃんは毎日あれと同じくらい勉強しなくちゃいけないの。そうでなくては、総裁の椅子はいかに岸信介の孫でも手に入らないわ」
「そ、そんなに…そんなに勉強したら、死んじゃうよ、えっく、えっく」
…わが子ながら、なぜこんなに弱い脳みそしか持っていないのだろう、岸信介とは全く似ていない、と洋子は思った。晋三は父親安倍晋太郎似であったのか、とも洋子は思った。安倍晋太郎が東大卒であることを洋子はその瞬間完全に忘れ、安倍晋太郎の血が晋三に流れていることを憎んだ。しかしバカな子ほど可愛い。人並み外れて頭の弱い晋三が20日後に総理になれるのは、全て私一人の力によるのだわ、と洋子は思った。つまりそれは洋子自身が自分の力で日本の最高権力者になることを意味するのだ、そう洋子は思い、陶然となった。自分の「力」もその全てが岸信介の黒い人脈と黒い権力に依存していることなど、洋子の脳裏には全くよぎらなかった。この点でこの親子はよく似ていた。
「死にません。いいえ、死んでもかまいません。総理になれないのなら晋ちゃんは死ぬべきです」
晋三は絶句した。晋三のめくれた上唇がヒクヒクと小刻みに震えた。
自民党総裁選というのは、演劇の舞台なのです。最も本心を隠し、本来の『敵』をより多く取り込んだ者が勝利する、そういう勝負なのです。台本は母が作りました。晋ちゃんはそれをキッチリ暗記して、母と母の用意するスタッフが指示したとおりにふるまいなさい。広島で出馬宣言し、原爆ドームを背景に写真撮影をします。報道にはそれが流れます。日本人の9割は豚同然のバカなので、原爆ドームを背景に出馬宣言する晋ちゃんを見たら『あ、平和な人なのね』と何も考えずに思います。晋ちゃんを『タカ派』だと非難するブサヨは、それで、誰からも相手にされなくなります。そして、そこで何を言えばいいかわかってますね?」
「わ、わかっているよ。こう言うんでしょ。『自衛のための必要最小限度を超えない限り、核兵器であると通常兵器であるとを問わず、これを保有することは、憲法の禁ずるところではない』『核兵器を、用いることができる・できないという解釈は、憲法の解釈として適当ではない』(2002年5月13日 安倍晋三官房副長官 早稲田大学の講演においての発言)」
洋子の平手が唸った。頬をはたかれた安倍晋三は次の瞬間、火がついたように号泣した。とても51歳とは思えない号泣だった。洋子は両手で晋三の顔を掴み、晋三の目を覗き込んだ。洋子の瞳の奥に宿る何かを見た晋三は、その瞬間、本物の恐怖で、ぴたりと泣き止んだ。
「こう言うのです! 『平和への思い』! 言って御覧なさい!」
「へ、へいわへの…」
「そうです、そうすれば国民は総裁選で晋ちゃんの名前を聞くたびに『平和への思い』と連想します。それであなたは総裁になれるのです」
「へいわ、へいわ…で、でも、いつも北朝鮮と戦争するべきだってママは…」
「選挙期間中に嘘を言うのは当然でしょ、何回選挙をすればあなたは覚えるんですか! これは選挙なの! 総裁選挙! いいですか、私たちの書いたもの以外、あなたは何も言ってはいけません。私たちの書いたものは、死んでも覚えなさい。覚えられないのなら死になさい。死なないのなら私があなたを殺します! 安晋会の野口が行ったところへあなたを連れて行きます!」
安倍晋三は恐怖のあまり、とうとう脱糞した。
翌日、全国の新聞各紙は、「安倍晋三、出馬。『平和への思い』」との見出し付きで、原爆ドームを前に立つ安倍晋三の写真を一面に載せた。安倍晋三はかつて見せたことがないほどつらそうな、苦痛に耐えているかのような表情をしていた。(少なくとも読売新聞9月3日朝刊はそうだった。)
以上の対話はあくまで創作であって、実在する特定総裁候補や総裁候補母親とは関係が深くあります。
さて。
もしこの世に霊魂が存在するのなら、広島被爆者をかつてないほど虚仮にしている国賊安倍晋三を祟り殺すべきである。

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