カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

日本では日常的な、検察・警察・暴力団共謀による事実隠蔽

ライブドア野口の、警察が「自殺」と強弁、テレ朝など御用メディアがそれを連呼、webで「んなわけねえだろ」言説が流通、という状況は、webユーザーのメディアリテラシーが一定程度向上した、という側面があるかな、と思う。http://critic2.exblog.jp/2742501#2742501_1
今まで我々は疑念を発言する機会を奪われていたし、疑念を持ったもの同士は孤立させられていた。
ところで、以下の記事のアクセスがわりと多かったので、未読の方のためにリンクしておく。
安倍晋三と朴東宣(パク・ドンソン) http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060213#1139775568
光永仁義慧光塾)と安倍晋三と「ポリスマガジン」 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050702#1120264148
安倍晋三ヒューザー安倍晋三ダイナシティ広域ホニャララ団フロント) http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060118#1137530453
■刑務所内で口封じされる「容疑者」たち http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050318#1111091866
松本智津夫の「脳疾患」に見る、パターン http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050317/1111087453
人権擁護法勝共連合 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050515#1116151975
■[共謀罪]10月13日/弁護士会http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20051015#1129316652
■新興宗教ヤスクニ http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060103#1136227293

ぽちっとな 

高年齢処女率と、孤島・ティコピア島

「童貞問題」記事http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060206#1139178296言説が接続しているようで、そのこと自体は嬉しい。

http://d.hatena.ne.jp/tomoco/20060214 
以上より、30〜34歳の女性の性交未経験率=0.264x0.372=0.098 つーことで、処女は10人に1人ってこと? 実感としてはありかな。
問題なのは、童貞であることでも処女であることでもそのメンタリティでもなく、出生率が低下しているということであり、イコール生き物として生殖能力が低下しているということじゃないんだろうかと、このへんを読んで思った。そう考えると生き物として30代の童貞や処女はやっぱり不自然なのではないか。*1

この投稿を読んで、以下を連想した。ジャレド・ダイアモンド『文明崩壊』下巻から。

ティコピア島での居住を持続可能にするためのもうひとつの必要条件は、人口を安定させ、増やさないことだ。〔略〕ティコピア島では、避妊やその他の規制に沿った行動の目的は、島が人口過剰になることを防ぎ、家族が自分の土地で支えきれる以上の子どもを持たないようにするためだと、住民がはっきり口にする。例えば、ティコピア島の首長たちは、毎年儀式を執り行ない、島のための《人口ゼロ成長》の理念を説く。〔略〕
ティコピア島の伝統的な人口制限の七つの方法のうち、最も簡単なのは、性交中絶法による避妊だった。もうひとつの方法は、出産の近い妊婦の腹部を圧迫したり、熱した石を腹部に載せたりして引き起こす堕胎だ。また、別の選択肢として、新生児を生き埋めにしたり、窒息させたり、うつ伏せにしたりして、嬰児殺が実行された。貧しい家族の次男や三男は独身を貫き、結果として余剰となる適齢期の女性たちも、一夫多妻制のもとで結婚するよりも、独身でいることを選んだ――ティコピア島では《独身》とは子どもを持たないことを意味し、性交中絶法を行なったり、必要なら堕胎や嬰児殺に頼ったりすることを禁じられてはいない。さらにもうひとつの方法は、自殺だ。一九二九年から一九五二年までのあいだに、首吊りによる自殺が七例(男性六人、女性ひとり)、海へと泳ぎ出る入水自殺が十二例(すべて女性)あったことが知られている〔当時の島人口は1278人〕。そういう明らかな自殺よりもずっと一般的なのは、危険を承知で航海に出る《事実上の自殺》で、一九二九年から一九五二年のあいだに八十一人の男性と三人の女性の命を奪った。この種の航海は、未婚男性の死因の三分の一以上を占めていた。航海が事実上の自殺なのか、あるいは単なる若者の無謀な行動なのか、判別しがたい事例もあったが、混み合った島で飢饉が起きたときの、貧しい家族の次男や三男の暗い先行きについては、おそらくたびたび考慮されていただろう。〔略〕
今日、ティコピア島の首長たちは、島民の数を制限し〔略〕千百十五人までとしている。(30-33p)

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)

環境がもたらすある種の圧力によって「童貞」「処女」が、おそらく相対的に貧困な層で増えるのではないか、とカマヤンは思う。
関連 「パラサイト」@ルワンダ

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060130#1138555118
フツ族ツチ族による虐殺で後に有名になったルワンダでは、〕コミューン〔共同体、村〕のすべての土地はすでに占有されていたのだから、若者たちにとって、結婚して家を離れ、農地を手に入れて自分の世帯を整えるのは困難なことだった。しだいに、若者は結婚を先延ばしにして、親もとで暮らし続けるようになった。例えば、二十〜二十五歳の年齢層では、親もとで暮らし続ける若い女性の比率が、一九八八年から一九九三年の間に三九パーセントから六七パーセントに増え、若い男性の比率は七一パーセントから一〇〇パーセントに増えた。一九九三年には、親もとを離れて暮らす二十代前半の男性はひとりもいなくなったのだ。そのことは明らかに、次に解説する破滅的な家族間の緊張を生み出す一因となり、一九九四年の激発へとつながった。(下巻75-76p)

ところで、本文にはティコピア島は「大西洋南西部」と書いてあるが、本文に収録されている地図を見ると太平洋(ニューギニア近く)にある。誤植なのだろう。
「童貞問題」記事http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060206#1139178296へのコメントで克森さんが「男性同性愛者だから童貞」である場合が暗数になっていることを指摘されていらっしゃるが、とりあえずここではそういうケースは無視します。同時に、克森さんが「孤独」の問題として一般化するほうが適切かもと指摘されていらっしゃるが、それは適切かもしれない。貧困にあると孤立化し、貧困は外から見えなくなり、さらに孤独になる、というスパイラルがある。
経済収縮期には、主観的要因より「貧困」という外的要因から観察する方が妥当だろうと私は思う。現在は長期波動での経済収縮期だ。だからその少ない取り分を「(政治的・経済的)強者」たちが分捕りあい、相対的(政治的・経済的)弱者は静かに「自殺」していく。

ぽちっとな 

*1:引用にあたり、改行に手を加えました

太平洋戦争中の生活

最も犯罪が少なかった時代は太平洋戦争中である、という話をしばしば聞くが、清沢洌(きよし)『暗黒日記―1942‐1945 (岩波文庫)』の中に、以下の記述があった。

1943(昭和18)年六月一八日(金)

〔略〕近頃、最も増した犯罪は強姦だそうだ。(45p)

日本人の性格について、以下の記述もあった。

1943(昭和18)年七月二十五日(日)

〔略〕日本人の美徳は《あきらめ》にあり。しかし積極的建設はとうてい不可能である。馬鹿な国民にあらざるも、偉大な国民にあらず。(67p)

その他、面白い部分を拾ってみる。

1943(昭和18)年八月十九日(木)

〔略〕右翼連中は、日本人を殺すよりも、敵を殺すべきだ。〔略〕彼ら〔右翼〕の考えは目前的で歴史的でない。(78p)

同胞をばかり狙って危害を加えるのは右翼の戦中からの習性であるようだ。今の右翼がダメで戦中戦前の右翼は立派だったというのは幻想もしくは神話あるいは自己宣伝である。

1943(昭和18)年十月五日(火)

問題がなくなると「統制強化」をやるのが日本人の特徴だ。(99p)

1943(昭和18)年十月二十一日(木)

〔略〕日本人は干渉好きだ。しかし何か行動によってこれをなすことはしない。たとえば昨日、電車の中で網の上に鞄を載せようとしたのを何人も手助けしない。日本人の干渉は思想的なものに対してだ。
英米人は干渉嫌いだ。
しかしそれは思想に対してであって、他が困っている場合にこれを助ける。町で考え込んでいると、「何を探すんですか」といって必ずヘルプしようとするのはその例だ。電車の中でも必ず助ける。とすれば干渉は同じだ。相違は「何を目がけて?」という点に帰する。(103p)

ベタベタとした「思想への干渉」(行動における冷淡)は、リベラリズムの対極にあるのだな、と思った。
ところでものを知らないバカなネット右翼と彼らを煽る悪意ある扇動者たちは、戦中戦前の日本を思いやりのある暖かい社会だと宣伝しているようだが、もちろんそんなことはない。旧憲法下でも日本人は行動において冷淡だった。

1943(昭和18)年十一月八日(月)

警察は泥棒を捕まえるためではなしに、良民を捕まえるものになった。事実、その方が楽でもあるのだ!
日本は、英国を東亜の舞台から引きあげしめるべきではなかった。英国が居れば、相共に米国をけん制することが出来た。英国は恐ろしくない。しかるにこれを追ったために英米は握手してしまった。
排英運動は素人の外交運動の最悪なる見本であった。(108p)

21世紀の外交も典型的素人外交だよね。理性を欠いた意味不明な北朝鮮強硬論とか、盲目的従米路線とか。

1943(昭和18)年十二月五日(日)

軍人は教育を憎む。しかし自身は陸大、銀時計というようなことを誇りとするんだから教育そのものを排斥するのではないことは明らかだ。

ここで言う「軍人」とは、軍人官僚・軍部官僚のことである。高級軍人とは官僚すなわち上級役人である。

1943(昭和18)年十二月六日(月)

日本が宣伝下手であるという事実が、日本人がアドミットする唯一の弱味である。他は総て日本人が優れていると思っているのに。
我らから見れば、日本人ほど自家宣伝する国民は他にない。(117p)

1943(昭和18)年十二月八日(水)

大戦争二周年廻り来たる。〔略〕
大東亜戦争には(一)戦争そのものを目的な人と、(二)これを機会に国内改革をやろうという人と、(三)それによって利益する人とが一緒になっている。そしてその底流には武力が総てを解決するという考え、また一つの戦争不可避の運命観を有している民衆がある。〔略〕
二年に気付く現象は、コソ泥の横行である。物を盗まれない家とてない有様だ。玄関に置いた外套、靴、直ぐとられる。(118p)

1943(昭和18)年十二月六日(月)

〔略〕今度の戦争で、日本人は、少しは利口になるだろうか。教育を根本的に変えなければ。(124p)

1943(昭和18)年十二月三十日(木)

〔略〕考え方が違っても愛国者であり得、また意見が相違しても団結することができる。そう我国の「愛国者」は考うることができぬ。
日本的な政策では、他民族などは決して治めることができない〔略〕。(126p)

1944(昭和19)年二月十日(木)

〔略〕外務省の役人が正直であるところは買うべきだ。彼らは学問あり、対手の立場を知るものとして、事実を事実として認識するフェアネスを持つ。しかし進んで敵を打つ積極性を持たぬ。そこで僕は「議論的に日本の立場の困難は認めており、その点は同感だ。しかし彼ら〔米国国民〕の二割でも三割をでも日本も理屈があると考えればそれでいいんで、その努力をするんだ」といった。
〔略〕青山女学院では弁当をストーブであたためることを中止した。ドシドシ盗まれるからだ。〔略〕

清沢洌は相手国世論を動かすことが戦争の上では非常に重要だということを深く理解していた。日本の当時の全ての為政者はそのことにまったく無頓着であり、現在も無頓着である。現在の日本の海外世論工作能力は南米諸国家並のレベルである。日本は太平洋戦争からすら何も学ばなかった。

1944(昭和19)年三月十二日(日)

〔略〕大東亜戦争は総ての研究――人文科学を殺した。世界機構の問題の研究すらも危険なり、赤化なり、敗戦主義なりと迫害された。〔略〕(151p)

1944(昭和19)年三月十三日(月)

大東亜戦争の思想的背景が極端なる封建主義であることはいうまでもない。〔略〕同時に戦争に対する態度も、日清戦争日露戦争よりは一層反動的だ。〔略〕
一、大東亜戦争の思想的な根流は「仇討ち思想」である。「仇討ち貯金」というものが、各常会で行なわれている。〔略〕
「買い出し取締り」「横流れ禁止」「闇の絶滅」――役人がやっているだけに取締りはあらゆる方面において強化されている。しかし生産方面については、ほとんど何らの考慮が払われていない。〔略〕物は自然に産れると〔役人は〕考えるのだ。(152p)

「生産方面については、ほとんど何らの考慮が払われていない」のは現在のオタクコンテンツ政策においてもそうだね、とか思う。

1944(昭和19)年三月十六日(木)

この戦争において現れた最も大きな事実は、日本の教育の欠陥だ。信じ得ざるまでの観念主義、形式主義である。樺太その他の漁業場で、ありあまって困るにしんや魚を統制するのである。統制そのものが目的なのである。また一つの命令に対しては、ゆとりのない画一的実行だ。
生産部面を考えないこと――物は自然に出来て来て闇に横に流されさえしなければありあまるはずだといった考え方であるから、その方面については無責任だ。〔略〕(155p)

1944(昭和19)年三月二十一日(火)

先頃、避難荷物の検査があった。その検査官は、出入りの大工梅村であった。我らの隣組長を従えて、挙手の礼をして「よくできました」と讃めて行ったそうだ。〔略〕
ここに問題は二つある。一つは大震災の時もそうであったが、今、秩序維持の責任が、大工や植木屋、魚屋に帰したことだ。彼らはちょうどいい知識と行動主義の所有者である。第二は自己の持物をも、警察の代表者等によって検査するという干渉主義の現れだ。新聞には疎開の荷物の中にカンカラ帽があったとか、ピアノがあったとかと、そんなことばかり書いてある。荷物の分量を決めて、何が大切であるかはその人の裁量に委せればいいではないか。その人によって「最も大切なもの」の観念が違うのだ。

丸山眞男は「日本ファシズムの思想と運動」で十五年戦争の国家組織の末端の担い手になった人々を「擬似インテリ」と呼び、いくつかの職業を列挙した。それを「ファシズム運動の担い手について断定しながら、国家主義団体の構成員の職業や学歴構成などを示す実証的データの裏付けが本文中にはまったくない」と『丸山眞男の時代』(中央公論社、2005年、116p)で竹内洋が指摘・批判した。この清沢洌の記述から類推すると丸山眞男の世代には、誰が国家組織末端・国家主義団体末端であるのかは日常あたりまえに見ていた事柄だったんだろう。竹内洋の世代(1942年生まれ)はそれを自分自身が直接見聞しなかったから実証データを欲するのだろう。もちろん実証データはあったほうがいい。私もそれを知りたい。が、それは丸山眞男に求めることではなく、後の世代が再検証・再調査・再確認するべき事柄なのだろう、と私は思った。

現代政治の思想と行動

現代政治の思想と行動

 「日本ファシズムの思想と運動」収録。

ぽちっとな 

チェイニー米副大統領が2006年2月11日に起こしたごくささやかな事件と、唯一たしかな事

http://www.janjan.jp/nigaoe/0602/0602140229/1.php?
ディック・チェイニー米副大統領 78歳の老人を散弾銃で撃って重症を負わせたそうな(2/11)。
米国ナンバー2の権力者が起こしたそんな一大事を副大統領室が公式発表したのはなんと24時間も経った後だった。日本だったら国がひっくりかえるほど大騒ぎになるところだけど、さすがはアメリカ人、こんなことでいちいち騒がないね。

ぽちっとな