カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

高年齢童貞処女論続き

幸いにして言説が接続しているので「高年齢童貞処女論」として独立したカテゴリとする。
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060215#1139945169 の続き。

http://d.hatena.ne.jp/tomoco/20060215
あと男性と女性で数値に差があるのもなんだか興味深い。どちらかというと婚姻率の差か。
・30〜34歳の男性の独身率=42.9%
・30〜34歳の女性の独身率=26.4%
・30〜34歳の独身男性の性交未経験率=29%
・30〜34歳の独身女性の性交未経験率=37.2%
いろいろ推測することは可能だが、推測にすぎないからなあ。

数値化してみると、面白いものが見えてくるんだなあ。
1;高年齢独身率は男性の方が多い
2;だが高年齢性交未経験率は女性の方が多い
…性交というフィジカルな(肉体的な)行為に対する警戒心は女性の方が強いから女性の方が性交未経験率が高くなるのは、まあそうなんだろうな、と私は思ったけど、id:tomocoさんはどんな風に推測されたんだろう。
女性の方が性交への警戒心が強くなるのは、卵子の方が精子より貴重だから(卵子は一ヶ月に1個しか作られない、精子は一ヶ月に数億作られる。卵子は受精した後、身体の自由が相当拘束される。従って卵子精子より貴重である)という理屈を、何の本だっけ、動物学かなんかの本で読んだと思った。この理屈には強い説得力を私は感じる。

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060215#1139945169
『生殖と性交がこれほど乖離した時代はないのだから。』

それはそうだが、性交欲求の背景には生殖欲求が横たわるという側面は無視できないと思う。無意識レベルで生殖を断念していないと性交を断念しないようにも思う。意識において生殖しようと思って性交するものではないけど。

http://d.hatena.ne.jp/crowserpent/20060215
経験論になってしまいますが、私の知る限り「高齢童貞・処女」には高学歴の人が少なくなく、高収入を得る可能性も低くはないと思います。彼らを「経済的弱者」とするのはどこをどう考えても無理があります。経済格差と性経験に有意な関係があるとは到底思えません。

高年齢処女が性交可能な周辺男性は、高年齢処女より経済弱者しか存在せず、だから高年齢処女は高年齢処女でい続けるのだと想像する。性交の次の段階である婚姻が経済的に不利な結果をしかもたらさないのなら、性交したいという意欲を阻害するだろう。
周辺に自身より経済弱者な男性しかいないのは、その高年齢処女は階層を個人能力でのみ飛躍し、同等の経済能力を持つ異性と同じ文化資産を持たず、「孤立」しているのだと想像する。
現在四〇歳台後半となった層あたりが「高学歴であるがゆえに《孤立》し高年齢処女」となった最初の世代だろう。成り上がり者はその階層では少数派であり、同等の階層内では「相対的弱者」だと言えるのではないかな。
今回の私のこの記事、漢字ばかり多くて観念的で、えらい読みにくいな。

ぽちっとな 

「善」と「悪」に世界は二分するはずだと思っているかもしれない君へ

「善」と「悪」に世界が二分する「はず」だと考えるのは極めて幼稚な思考である(フロイト学説で言う肛門期的段階である)。
「善の本性を持った人」と「悪の本性を持った人」がいる「はず」だと前提するのは、誤った世界像である。カルトはこういう世界像を好む。幼稚な人々を釣りやすいから、というのは好む理由の一つである。もちろんカルトは自分を「善の本質を持つ」と自称する。
「良い行為をした人」と「悪しき行為をした人」がいる、と捉えるのが妥当な世界像である。人間は常に善行をし続けることは無理である。同様に絶え間なく死ぬまで悪行をなし続けるのも人間には無理である。人が人を評価するのはその行為を通じてである。
「悪の本性(本質)」「善の本性(本質)」が実在すると前提する思考法を「エッセンシャリズム(本質主義)」とも呼ぶ。エッセンシャリズムは特定人間集団を、多くの場合民族集団(エスニック集団)を、「悪の本性を持つ」「善の本性を持つ」と決めてかかる。たとえば「コリアンは悪の本性を持つ」としつっこく連呼している「嫌韓」厨は、「エッセンシャリズム」の典型である。偏見がまずあり、その偏見に色々な知的まやかしを塗りつけ粉飾する。
「善の本質」を持つがゆえに特定集団が「無謬(間違いをおこなさない)」である、とする思考法は、どこまでも(自身の)残酷行為を許す。何かを「無謬」であると前提すると、どこまでも残酷になれる。自身を「無謬」であると前提した集団の行為は、外から見たときは「悪」そのものである。
他民族より大和民族は道徳的に優れていると自己宣伝し続け残虐行為を繰り返した旧日本軍や、ゲルマン民族は他の民族よりあらゆる面で優秀であり当然に道徳的にも優秀であると自己規定したナチズムや、マルクス主義は他の思想より道徳的に優れていると自己宣伝し続け残虐行為を繰り返した旧ソ連や、アメリカの「自由」と「民主主義」は他の国家の制度より道徳的に優れているから他の国家を先制攻撃(これは国際法違反である)していいと自己宣伝・自己撞着したネオコンや、高級官僚は他の国民より優秀だから無謬であると自己規定している連中は、外から見たとき、同じ醜悪さを持つ、「悪」そのものである。
人に可能な「善」は、自己を省みる行為の中にある。最も醜悪な「悪」は、何かを「無謬」であると前提する知的怠惰にある。

ぽちっとな 

在日米軍が事故を起こすと、他のニュースが洪水状態になる

私たちの接する「情報」は常に操作・統制されている。

http://d.hatena.ne.jp/miyutomo2/20060118
■[ニュース]ホリエモン強制捜査のニュースの陰で起きている事。
もっと国民生活に密接した事件が次々と起きているんだけどなあ。〔略〕また沖縄で米軍機の墜落事故発生。

沖縄近海に米軍機墜落 嘉手納基地所属のF15
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060117-00000101-kyodo-soci
「漁場に…」住民ら衝撃 F15墜落
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060117-00000018-ryu-oki

〔略〕マスコミのニュース選択の目が腐っているね。

私たちの接する「情報」は常に操作・統制されている。在日米軍が事故を起こすと、他のニュースが洪水状態になるということを私たちは意識しておいて損はない。
ところで、webからだけ情報を得ているかネットゾンビな人々は「印象操作」という変な言葉を使いたがるが、それは彼らが「感情でしか、好き嫌いでしかものを見ないバカ」だという告白込みなのであって、そういうバカではないのならば、正しくは「情報操作」「情報統制」である。情報は思考を規定する。故に統治者は常に情報を統制し操作する。
webは情報統制への対抗の契機でありツールである。従って統治者はwebを(も)統制しようとし続けている。

ぽちっとな 

「闇」って言うな

http://d.hatena.ne.jp/yeyehill/20060123/p1 の記事への感想。id;:yeyehillさんは深くものを考える人だし誠実な人柄だろうと御見受けするが、「頭のいい人」が陥りがちな思考の罠に嵌っている。そのことを以下批判する。
自己矛盾に気づけ。「闇」がないと回らないのなら、それは近代社会ではない。
「闇」という言葉を用いることはそれ自体「私は思考停止します」という宣言であり、近代人であることを放棄し未開の人間になることを宣言するものである。
我々は「闇」という言葉を使うべきではない。具体個別に暴力団の名称を書くべきである。それを避けるのは単に知的勇気と公徳心を欠いているにすぎない。
心配するな、私が生きている間は、君は死なない。

ぽちっとな