順当なアドバイスをする人は貴重である件
http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20080802/eduをブクマ。楠 正憲さんのこの記述を「心に沁みる」など肯定的評価する人は、なにがしか苦労をしてきた人だろうと思う。
私が十代のうちにこういうことを私に言ってくれる人がいたら、私の人生はだいぶ違っていたように思う。それは妄想かもしれないが。どう脳内検索しても言ってくれる人物が思い当たらない点、私の前半生はやはり不毛だった。あの頃「助けてくれ」と全力で悲鳴を上げればまた違っただろうか。しばしば上げたんだが。悲鳴を上げ助けを求めるべき相手を間違えていたか。
そしてこの頃気づいたが、どうも我が後半生も不毛になりつつあるようだ。いや、後半生のほうは自己責任。人生最後のチャンスに力を注ぐことを怠ると不毛が決定する。まだ僅かに可能性が。
教えにくくて成績の伸びない、しかしバカではない生徒
今年は教えにくくて成績の伸びない、しかしバカではない生徒が複数いる。こいつらは下手に自分の頭で考え、作業を作業として行なうということができない。下手に考える以前に作業を作業として行なうことにより身につけないとならないことが基礎学習においては存在するんだが、こいつらはそれができない。こいつらは受験に失敗する。こいつらの親はそれなりに愛情に溢れているが、教育方針がぶれまくっている。あるいは教育方針が矛盾している。
こいつらは俺に似ている。俺も学習という局面で作業を作業として行なうのがわりと不得意だった。俺は教えにくい生徒だったんだろうな、と思う。組織では使い勝手の悪い人間だろうな、とも思う。それは自分の長所だと思っていたが、こいつらを見て長所なわけではないと思うようになった。