太平洋戦争開戦史コンパクト/「これはひどい」将校列伝
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たいへんにコンパクトな太平洋戦争開戦史を拾ったので、ここに保存しておく。
245 名前:朝まで名無しさん 投稿日:2006/08/22(火) 20:22:46 pqIzjcgF
日本「満蒙は生命線(自作自演で満州は俺のものになった。石原将軍は頭いいぜ)」
中国「日本は侵略国だ。国際連盟で罰してください」
連盟「うーん。日本の自衛とは言えんが、共同管理ってことでどう?」
日本「いや、もう満州国承認しましたから。連盟脱退しますわ」
連盟「・・・」
日本「(華北は満州より美味しい所だな)」
中国「(日本は華北に手を伸ばしてきた。マズイ)」
反日運動激化
日本「おい、おめーのとこのデモなんとかしろや」
中国「日本が華北で謀略するのはやめてくれ。そうすれば収まる」
日本「じゃあ中立地帯設定ね。中国軍は撤退してね。キトウ防共自治政府作るから」
中国「えっ、ちょっと待って。困ったな。(じゃあキ察政務委員会で対抗)」
日本「防共自治政府統治内は超低関税だよ(密輸もおいしい)」
中国「困りますよ。配慮して下さい」
日本「ウゼーな」
反日運動激化
中国「(共産党撲滅せんといかんし、日本も防がんといかんし困ったな)」
日本「支那駐屯軍増やしますんでよろしく」
中国「(困ったな)」
盧溝橋事件
日本「不拡大方針だな」
中国「日本がこれ以上無茶するとこっちにも覚悟がありますからね」
日本「やっぱ、暴支膺懲。対支一撃論ね」
上海事変
中国「(上海に日本軍を誘き寄せれば国際社会も注目するだろう)」
日本「中国恐るるに足らず。楽勝楽勝」
中国「(ドイツ式軍隊も投入せんとな)」
日本軍「中国め。小癪な。南京まで突入だー」
日本「ちょっと待って待って。(補給なしでどうすんだろ?)」
日本軍「いや、行きますから。南京落とせば勝ちだって」
日本「和平工作してたけど、まあいいか」
南京事件
日本「南京占領したから講和条件もそれなりのものにしてもらわんとね」
中国「徹底的に戦いますから(首都占領されて面目丸つぶれじゃん)」
日本「じゃあ、もう相手にしないから。(どうせ自滅するだろう)」
中国「(欧米に応援を頼もう)」
欧州「うーん、日本はウザイけど、ドイツもヤバ目なんで期待しないで」
アメリカ「日本は宣戦布告してないから中立法適用できないんだよね」
中国「なんとかお願いします」
アメリカ「まあ、資金援助くらいならおk。(日本にも資源輸出してるし両方に顔立つだろ)」
日本「南方に行けば中国に勝てそうだな。仏印進駐だな」
アメリカ「(ちょっとそれはフィリピンを狙ってんじゃないの?)」
イギリス「(シンガポールも狙ってんじゃないかな?)」
オランダ「(俺んとこもヤバそう)」
米英蘭「少し様子見するか・・・」
中国「だから、日本はヤバイって。help me!」
日本「南部仏印進駐しますから」
米英蘭「あいつは本気らしい」
中国「経済制裁で日本の侵略を止めて下さい」
米英蘭「俺たちの場所を荒されちゃあ我慢できねーな。制裁すっか」
中国「じゃあ、利害一致ということでおk」
米英中蘭「石油をストップしますから」
日本「ヤ、ヤバイ(そこまで考えてなかった。国民にどう説明したら・・・)」
日本「えー、国民の皆さん。わが国は正義の戦いをしているのに米英が邪魔をしてます。けれど交渉はします」
日本軍「米英と一戦じゃあ。米英恐るるに足らず」
日本「ちょっと、待って待って。勝てる見込みは?」
日本軍「アメリカ人は贅沢だから挙国一致なんて無理無理」
日本「交渉を重視した方が・・・」
日本軍「交渉なんてマンドクセ。ドイツが英本土上陸するからアメリカと早期講和できるって」
日本「資源とかは?」
日本軍「南にいっぱいあるから大丈夫。アメリカの潜水艦もカスだから心配なし」
アメリカ「(暗号解読したけど日本は本気らしい)じゃあハル・ノートでFA」
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ついでに、小林よしのり『戦争論』批判も拾った。
72 名前:朝まで名無しさん 投稿日:2006/08/15(火) 14:12:45 tjNjzn7B
戦争したことはどうでもいいんだ。はっきり言って。 ただ戦争したことと、日本が軍部独裁の低能国家だったことは別の問題。普通に立憲君主国としての戦争がなぜできなかったのか? 大本営がすべての情報を自分のために握りつぶすような戦争に、どうしてしなければならなかったのか? 全部、外国のせいにする前にそれを考えてみるんだな。まずは小林よしのりが統一教会に書かされたバカ漫画を忘れろ。
80 名前:朝まで名無しさん 投稿日:2006/08/15(火) 14:28:28 tjNjzn7B
〔混乱の元は〕漫画で「日本イコール軍部」という刷り込みがされたからだよ。だけど軍部がやってたのは憲兵と情報コントロール、武力支配とマインドコントロールだからな。一部の独裁が「日本」か?
もともと『戦争論』は、小林よしのりが統一教会系人脈に取り込まれた時に、うまく誘導されて書かされたものだ。小林自身はあとからそれに気がついたが、もう自分で言い出したことから逃げられなくなってるだけだ。統一教会と右翼とつくる会と日本会議と「摂理」についてはぐぐってみろ。間接的に朝鮮カルトにマインドコントロールされてたことに気がつくだろう。139 名前:朝まで名無しさん 投稿日:2006/08/15(火) 20:07:14 tjNjzn7B
日米戦争を避ける必要?そんなもんあるのか? それ以前に憲法通りの立憲君主国であることが基本なんだよ。バカどもに実権を握らせない政治体制であることが必要だった。まず役人どもが無能すぎた。満鉄とかな。とにかく国としての基本的なシステムができていなかった。まともに植民地運営ができるようなスキルがないのに、軍事力に任せて領土拡大に走った。 バカな人民は天皇が神だから、日本は不敗だと信じていた。
前近代的宗教国家であることから抜け出すことが最低限の条件だ。それはアメリカのせいでもハルノートのせいでもない。ましてや中国や韓国のせいでもない。日本におまえみたいなバカがいるからだ。173 名前:朝まで名無しさん 投稿日:2006/08/16(水) 03:00:16 MsuU7SE9
ダブルスタンダードっていうのは、小泉参拝支持者たちが、国会や海外での小泉の公式見解(外務省と同じ)を、ないものと勝手に決めつけてることだよな。
ウヨどもは自分たちの歴史観がそんなに正しいと信じるんなら、中国や韓国じゃなくて、小泉や外務省を先に説得して、その歴史観を公式見解として、内外に知らしめるべきなんだって。抗議するなら加藤紘一じゃなくて小泉の謝罪外交と外務省だろ。結局、誰もそれをしないのは、それが統一教会と勝共連合(日本会議)がでっちあげたデタラメだって、後ろで糸を引いてる連中はわかってるからなんだよ。漫画と2ちゃんしか読めないバカだけ、何も知らずに踊らされてる。249 名前:朝まで名無しさん 投稿日:2006/08/23(水) 01:57:55 Lq8yuhzy
よしりんの絵がついてない日本語はわかんないんだよ。ほんとにどいつもこいつも同じ事言うんだよな。ハルノートだ、開戦は不可避だ、バール審判の言葉だ。
しょせん統一教会のつくったシナリオなんだが、思考停止にされていて、自覚がない。どこが思考停止かって言うと、「中国とアメリカがサタン」で、諸悪の根源。日本がああいう間抜けな宗教国家であったことの功罪は一切、考えないようになってる。そりゃそうだ。なんたって統一教会の洗脳法なんだから。宗教国家である事の功罪についてはすべて隠蔽されて、全部、中共とアメリカのせいってことで目くらましになってる。軍が天皇制を利用したことで、どれだけ経済に負担があったかとか、軍の馬鹿げた作戦がそのまま通ってしまったかとか、そういうことを一切考えない。
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「これはひどい」将校列伝
193 名前:朝まで名無しさん 投稿日:2006/08/16(水) 19:09:56 2WoGCYAV
海軍の大西は最後に自殺したし、〔評価は〕賛否色々とあるだろうよ。
さて、近衛内閣・東條内閣での陸軍次官さまで、東條失脚後に第4航空軍司令官に転出しフィリピンで陸軍特攻隊を指揮し、特攻隊出撃前の訓示では「諸君はすでに神である。私も必ず後を追う」と言って特攻隊をすべて出撃させたあとは出征先のフィリピンから台湾へと護衛戦闘機を伴って、会議を口実に山下大将の許可も得ずに独断で敵前逃亡し、その後胃痛を理由に温泉療養で体を休め、十分英気を養っっていた富永陸軍中将閣下はいかがですか?194 名前:朝まで名無しさん 投稿日:2006/08/16(水) 19:27:10 +ab8xt5O
−坂田健一氏のサイトより http://www8.ocn.ne.jp/~nnn/C3_3.htm
20年1月8日、比島の陸軍飛行場から1機の輸送機が飛び立とうとしている。乗客は富永ほか少数の幕僚。積荷は爆弾か。否。ウィスキーであった。ウィスキーを積んで敵艦に体当たりをするのか。いぶかしむことはない。富永機は比島の主戦場を離れて北へ進路を取った。向かったのは台湾である。さらに内地へ。ここも安全地帯でない。本土決戦が迫っている。さらに北へ。満州に飛んだ。日ソ不可侵条約が生きているからここが一番の安全地帯だ。思惑は外れソ連軍が侵攻する。シベリヤ抑留の後舞鶴へ無事帰還した。
富永の行為はどう考えても「敵前逃亡罪」か「戦線離脱罪」に当たる。しかも最高責任者である。銃殺以外の刑はありえない。諸外国でも同じだ。指揮官が部下を捨てて逃亡するのを許せば軍の秩序は崩壊する。しかるに富永の場合、軍法会議にもかけられていない。東京で事情聴取を受けただけだ。下級兵士には苛酷極まりない陸軍刑法も対象が高級軍人ともなれば寛大なものだ。
引き揚げてきたとき記者団が当時のことを聞き質していた。富永がどんな言い訳をしたか記憶にない。
時が経ち、富永の娘が雑誌で弁解している。「父はあのときマラリアで高熱にうなされ正常な判断力を失っていました」身びいきだから仕方がないとも思えるが、一般兵士がマラリアにかかれば内地送還してくれるのか。47万の兵が餓えと病で比島の土と化したでないか。
一説によると富永は満州から在満邦人や部下を見捨てサッサと帰国したとも言われている。筆者の記憶では復員者と一緒に引き揚げ船で舞鶴に帰着したことになっている。198 名前: ◆.rs/blFuew 投稿日:2006/08/16(水) 21:38:46 05RpOJGm
207 名前:朝まで名無しさん 投稿日:2006/08/17(木) 11:01:33 1hhiJxW6
A級戦犯刑死者 木村兵太郎
イギリス軍の総攻撃が開始され、ビルマの防衛が危機に瀕していた昭和20年4月23日、木村は前線で苦戦する隷下部隊や、日本が支援したビルマ政府のバー・モウ首相、自由インド仮政府のチャンドラ・ボース主席、石射猪太郎大使以下日本大使館及び民間の在留邦人等を置き捨てて、幕僚とともに飛行機でラングーンを脱出、タイとの国境に近いモールメンへ敵前逃亡。取り残された人々は、陸路で脱出を試みたが、多くの犠牲者を出した。(この時、チャンドラ・ボースは常にインド国民軍部隊の殿を歩き、渡河を行うときなどは、最後の兵が渡河を終えるまで川岸を離れなかったという。)
木村を含めたビルマ方面軍司令部の唐突なラングーン放棄により、方面軍の指揮命令系統は大混乱に陥り、イラワジ河西部でイギリス軍と激戦中だった第28軍は敵中に孤立し、包囲を突破して脱出したものの、多大な犠牲を出した。ビルマ戦役における日本軍の戦死者は約14万4千人に達するが、悲惨を極めたと言われるインパール作戦における戦死者は1万8千人と12.5%であり、戦死者の約52%がこの最終段階で発生していることを考えれば、我が身を逃がすために必要な指揮を怠り、バー・モやチャンドラ・ボースといった日本と盟友関係にある外国要人や在留邦人の保護義務も果たさなかった木村の軍人としての責任についてはビルマ戦役の生還者を中心に厳しい批判がなされている。A級戦犯として処刑されたことにより、牟田口廉也や富永恭次のように日本人サイドからの批判にさらされることは少なかったが、A級戦犯としての処刑の是非とは別に、部下や民間人、友邦の指導者等を見捨てて逃亡した木村には極刑は実にふさわしい末路といえる。