耐震偽装事件と「記者暗殺」疑惑
以下メモする。
日本でも起きていた!記者暗殺事件!恐るべき闇晋会
http://www.asyura2.com/0610/senkyo28/msg/385.html投稿者 これは大変だ 日時 2006 年 11 月 21 日 11:14:56: Kq60bFHMy4Bd.
朝日新聞耐震偽装担当、斉賀孝司記者死亡もロシアと同じく口封じを狙った暗殺事件ではないのか? 怖すぎる闇晋会(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
耐震偽装事件に関連して、安倍総理の後援会『安晋会』の名前が頻繁に出て来る。以下、耐震偽装〜ライブドア事件に関連する死者。1.斎賀孝司・朝日新聞社会部デスク(耐震偽装事件に積極的に取り組んでいた最中/電話取材に自殺と答えていたのが、後、病死に変化。)
2.森田設計士(耐震偽装関連/自殺?)
3.大西社長(LD投資組合社長/行方不明)
4.古川社長(平成設計の元社長/大阪空港で変死体)
5.森田信秀(姉歯建築設計事務所に構造計算を発注/鎌倉で全裸の水死体として発見)
6.草苅逸男(岡山・新勝央中核工業団地/一級建築士/津山市で設計事務所が爆発し焼死)
7.野口英昭エイチエス証券副社長(LDのグループ会社の元社長。安晋会理事/他殺)
8.東江組員(沖縄旭流会幹事/惨死)
9.姉歯建築士の妻(創価学会員/飛び降り自殺)(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
記者暗殺が事実だとしても、それで臆病になるのは愚かな行為である。 勇気だけが身を守り、臆病は国を滅ぼす。
以下ウォルフレンから引用する。http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/1274/1044564957/l50
日本の編集者と役人は脅しに弱いというのが、一部の国々、とくにアラブ諸国では定説になっている。
顕著なのは、サルマン・ラシュディの『悪魔の詩』の日本語版翻訳者が殺害された事件である。『悪魔の詩』を翻訳した筑波大学助教授殺人事件は、明らかに殺す目的で喉を掻き切られたというのに、メディアはほとんど注目しなかった。
『悪魔の詩』事件は、知識人脅迫の目的で狂信的な殺し屋が日本に出入りできることを示していた。
日本の上層部の人々が簡単に脅しに屈するため、多くの外国人のあいだで日本人はみな臆病者だと思われている。
怖気づいた市民は、きちんと機能する市民社会を築けない。
脅しに対する簡単な対処法ならある。生命の危険がないかぎり、無視するのだ。脅しは、それに敏感に反応する人だけに効く。恐れなければ、脅迫の標的にされる可能性ははるかに小さくなる。
もし他の市民が脅されているのを知ったときは、そのことを騒ぎたて、脅迫者の正体を暴くのが一般に効果的だ。右翼のなかの悪党集団が教師やジャーナリストを殺すと脅迫しているのに、日本の警察や政治家が見て見ぬふりをしているのは、とんでもないことである。
出典;『人間を幸福にしない日本というシステム』(新潮文庫、2000年)344-346p。
なお、「教育基本法改悪」のダシに使われた「イジメ」報道キャンペーンについては、以下参照されたし。
「日本の新聞を綿密に調べてみれば、新聞はほとんど何も監視していないことがすぐにわかる。」
「新聞は時折、社会問題とか社会的虐待を取り上げて報道し、それこそそこそこの反応はするだろう…たとえばサラ金とイジメが頭に浮かぶ。しかし、こういう場合でも、新聞は自らが批判する現象をより大きな視野のもとで全体的にとらえ、読者が因果関係をもっとよく理解できるようにすることはほとんどない。」
「日本の新聞は日本の社会政治制度を監視するかわりに、読者から必要不可欠な情報を体系的に奪うことによって、現在進行形の出来事を不明瞭にする役割を演じている」
「なぜ日本の知識人はひたすら権力に追従するのか」『日本の知識人へ』窓社 8-9p
また、我々がブログ活動することの意義について、ウォルフレンの以下の言葉を想起すべきだろう。以下、ウォルフレン『日本の知識人へ』窓社から引用。
「知識人になるのは、それほど難しくない。大卒の学士号が必要なわけでもなく、技術認定証や職業免許証も一切、いらないし、発表用の論文執筆も要求されない。ある程度の知力さえあればよく、肝心なのは、考える意欲。思考から得たアイディアは、もし変えたいと思う社会環境があるならば,、それを変えるために利用できる。思惟は、得がたい自由の感覚を味わわせてくれる。」(読者へのメッセージ)
「日本では、知識人がいちばん必要とされるときに、知識人らしく振舞う知識人がまことに少ないようである。これは痛ましいし、危険なことである。さらに、日本の国民にとっては悲しむべき事柄である。なぜなら、知識人の機能の一つは、彼ら庶民の利益を守ることにあるからだ。」
「知識人として当然果たすべき役割を果たす知識人がいないかわりに、日本には沢山の学者、ジャーナリスト、ブンカジンがいて…それと知ってか知らずか…意図的な情報(プロパガンダ)を撒き散らしている。」(3p)
「知識人というのは、博識である人とか、硬派ものの記事を書く人とか、大変な学識のある人とかとは違う。こうした人もおそらく知識人ではあろうが、しょせんは役人、もしくはジャーナリスト、もしくは学者でしかないのかもしれない。別の言い方をすれば、これらは真実の追究、あるいは客観的な理解の追及を, 金銭とか安全保障とか相互扶助とかの追及より大切であると考えるとはかぎらない人々なのである。
知的な誠実さを何よりも尊しとする姿勢こそ、知識人のきわだった特徴である。
人が知識人であるためには、独立不羈の思索家(「考える人」全般)でなくてはならない。役人、ジャーナリスト、学者など、自分の頭を使って仕事をする人々も"知識人"たりえようけれど、これらの人はしばしば、この名称に値するほど知的に誠実ではないが普通だ。」(4p)
「およそ知識人たるものは絶えず国民に権力の持つ危険を思い起こさせ、権力保持者をいつも緊張状態にさせておくことを自らの報酬なき職責と見なすべきである」(5p )
- 作者: カレル・ヴァンウォルフレン,Karel van Wolferen,西岡公,中村保男,篠原勝
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